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Archives: 愛の選択/恐れや不安の選択

「思考」と「意識」で閃く答えはまるで違う

このブログにたびたび登場する「イリュージョン」とは、私たちが頭の中で創り出す幻想です。それは「意味づけ」や過去の後悔、未来の予測など、

「何かを考える」

こと、すなわち「思考」によって生まれます。

そしてこの幻想は、「これ以上よくないことを思い浮かべるのはやめよう!」と考えることではけっして止められません。

なぜならば、

「私たちは、一度にひとつのことしか考えられない」

からです。

少しややこしいですが、シングルタスクである思考では、自分がいま何を考えているかをリアルタイムで認識できないうえに、考えている最中には「ストップ!」と考えることもできないのです。

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「いまここ」は過剰な購買欲を抑えてくれる

10年ほど前から徐々に浸透してきて、いまでは誰もがあたりまえに口にするようになった言葉に「断捨離」というのがあります。

もともとはヨガの思想だったものが、最近ではすっかり「かたづけ術」の代名詞になっているなどの、細かいことはひとまず置いておきましょう。

それよりも、

「なぜ私たちは、結局は処分する不要なモノを、大量に買ってしまうのか?」

について考えてみたいのです。

かく言う私も、実は2011年くらいまでは、常軌を逸するほど大のモノ好きでした。

当時、ガジェットをテーマにしたブログ「ZONOSTYLE」や、動画番組の「Creation Hack TV」を主宰していたこともあり、買い物が仕事だと思っていたくらいです。

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恐れや不安のない「愛のある選択」とは何か

1月6日に新年最初の記事を投稿してから、ずっと「ひとつ意識」について書いています。

昨年もこの話題に触れてこなかったわけではありません。けれども、どちらかといえば、やはり「意味づけ」や「いまここ」などの、「自分が平安な心でいる方法」についての解説をしがちだったように思います。

グッドバイブスのゴールは、外的な要因によって揺らぐことのない「完全無欠のしあわせ」を得ることにあります。このブログでも何度か紹介したように、それは次のような段階を経て実現すると私は考えています。

第1段階:ひとりのときはグッドバイブスでいられる。
第2段階:周囲の人々の言動や、思いがけぬ出来事に影響されることなく、いつでもグッドバイブスでいられる。
第3段階:自分のグッドバイブスを周囲の人々に伝播できる。

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総集編②「他の人をグッドバイブスに導く」

昨日からお届けしている年末特番、グッドバイブス総集編の第2話は、

「平安な心を得られた自分として、他の人をグッドバイブスに導く」

ためのメソッドについて書こうと思います。

ふだんの生活に当てはめるなら、あなたに怒りをぶつけてくる人、あなたが「それは悲しい」「それは許せない!」と感じる言動をする人、大声で怒鳴り散らす上司、まさかのタイミングで理不尽に思える依頼をしてくる家族などと向き合いながら、どのようにして「平安な心」を保つかがテーマです。

まずは、この取り組みを行ううえで、忘れてはならない2つの準備を確認しておきましょう。ひとつめはこれです。

準備1:「けっして深刻にならずに、俯瞰の視点とゲーム感覚で挑む!」

このブログの一周年を記念して書いた記事、「私たちはイリュージョンの世界に住んでいる」にあるように、そもそも私たちは、自分の判断や解釈といったフィルター、すなわち「意味づけ」を通して出来事や他人の言動を見ています。

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「愛」や「平安な心」に反対の概念などない

昨日の記事で書いたように、私たちには、異なる2つのものを比較して優劣や貴賤を判断する、「相対的なものの見方」の習慣が染みついています。

それは、「評価」をするときに限ったことではありません。私たちが「これは何だ?」と思うような、よくわからない物事に出くわした際も同様です。

その対象だけを凝視して、深掘りして、正体や本質に迫るのではなく、

「わからないものとは反対に見える別の何かをもち出してきて、両者の違いを見比べることで、それが何かを把握しようとする」

のです。

たとえば、「愛」という概念があります。たしかに「愛とは何か?」を語ることは簡単ではない感じがします。そこで、その反対に見える「憎しみ」などの別の概念を登場させ、それぞれの違いを想像してみます。

その結果、「なるほど、相手を憎んでいない状態が愛か」「愛が憎しみに変わらないように、気をつけなければ」などと考えることができれば、「愛」については、少なくとも「理解不能な状態」からは脱したことになるわけです。

今日は、この「相対的に眺めてみれば、物事の本質を把握できる」というイリュージョンを疑うとともに、それによって私たちが陥りがちな「ある罠」について書いてみようと思います。

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まずい事態を想定して保険を打つのをやめる

このところ、連日にわたって「イリュージョン」について書いています。何よりも、このシリーズで私が伝えたいのは、

「私たちは、現実とイリュージョンの2つの世界を往復しながら生きている」

という事実についてです。

バックナンバー「イリュージョンから抜け出すためのメソッド」で書いたように、「現実」にいるときの私たちは、自分や他の人々、そしてこの世界のありのままを知ろうとしています。五感によって外の情報とつながる「外向きモード」です。

反対に、「現実」を見ようとせずに、想像や予想によって、自分の頭の中だけで答えを出そうとするとき、私たちは「イリュージョン」のほうにいます。これが五感を閉ざして世界から切り離された「内向きモード」です。

要は、現実を把握する前に、「思考」に頼って何かを先取りしようなどと思わなければいいだけなのですが、多くの人にとってそれは「言うは易く行うは難し」となっています。

そこでたまには、「思考」ではなく「行動」のほうにスポットを当ててみようと思います。考えを止めることに比べれば、目に見える「行動」を変えるのはそれほど難しくないからです。

そして、「妄想を生み出しやすい行動」というのがたしかにあります。今日は、私も日々、「絶対にしない!」と心がけている禁じ手のひとつを紹介します。

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人生からいっさいの攻撃を手放すという選択

そういえば最近、「スパルタ教育」という言葉をあまり聞かなくなりました。私が子どものころは、「スポ根」(スポーツ根性もの)と呼ばれるジャンルのマンガが大流行したせいもあり、どちらかというと、ポジティブな意味で使われていたように思います。

その解釈は人によって異なるでしょうが、ときには体罰も辞さないほうど厳しく教育したほうが、強くたくましく、少々のことではへこたれない良質の人物が育つという発想だと私は捉えています。

昭和37年生まれの私は、もちろん、小中高の学校生活を通して、さまざまなスパルタ教育を体験してきました。教師の暴力が日常茶飯事だった時代です。正確な数は覚えていませんが、授業や部活の中で、おそらく年間に100発くらいは殴られていたはずです。

想像ではなく、この身体でそれを受けてきた経験から「スパルタ教育」の本質を解き明かすとするなら、それは、

「さまざまな攻撃によって、恐怖を植えつける」

手法だと思います。

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