あなたと相手に必要なのは心配ではなく信頼

今朝、たまたまつけていたNHKの子育て番組で、初めて育児をするお母さんに向けて、先生がこんなアドバイスをするシーンを観ました。

「その子に必要なのは、あなたの心配でしょうか、それとも信頼でしょうか?」

私には子どもがいないのでリアルな感覚はもてませんが、このメッセージを聞いた瞬間に「おお、これはグッドバイブス的な発想だ!」と感動しました。

言葉を見ただけではいまひとつピンときませんが、心のあり様からすると、たしかにそれぞれは真逆の意味をもっていることがわかります。そこで今日は、この「心配と信頼の違い」について書いてみようと思います。

まずは「子どもを心配する」とはどのような行為なのかを見てみましょう。拙著『グッドバイブス ご機嫌な仕事』の定義からすると、心配とは、

「望ましくない未来を想像して、恐れや不安を抱くこと」

となります。

子育ての場合、お母さんは2つの「望ましくない未来」を頭に思い描いているはずです。

ひとつは「子どもに起こるかもしれないよくない出来事」です。「この子が病気にならないだろうか?」「この子が心に傷を負わないだろうか?」などがこれにあたります。

もうひとつは「自分が子どもに与えるかもしれないよくない影響」です。「授乳のタイミングは間違っていないだろうか?」「お風呂の入れ方に問題はないだろうか?」「しつけの方法はこれでいいのだろうか?」など、こちらは自分の子育ての方法に対する懸念です。

つまり、「子どもを心配する」には、子どもの健康状態などへの不安とともに、自分自身のスキル不足や知識不足に対する不安が含まれているということです。

いうまでもなく、「心配する」という心の状態は、私たちにとって好ましいものではありません。それでも心配することを選択しようとするのは、そこに何らかのメリットを感じているからです。

では子育てにおける心配のメリットとは何でしょう。おそらく、

「望ましくない未来を想像しておくことで、子どもに起こるはずの問題や、よくない兆候を見落とすことがなくなる」

というリスクヘッジなのだと思います。

ぜひ、このように捉えることで、私たちの中に次のような公式ができあがることに注目してください。

「心配とは愛していることの証しである」

相手が大切であればあるほど、よくないことが起こらないでほしいという思いが強まり、当然、心配も大きくなる。だから、心配しないということは、相手を愛していないに等しい。まさに、私たちが一般的に信じている感覚です。

一方で、拙著『グッドバイブス ご機嫌な仕事』のエピローグに次のような記述があります。

「あなたは2種類の選択しかできない。ひとつは恐れや不安に基づいた選択、もうひとつは愛に基づいた選択である」

すでに書いたように、心配とは「望ましくない未来を想像して、恐れや不安を抱くこと」です。だとすると、残念ながら心配は「愛に基づく選択」ではないのです。

なぜならば、心配に限らず、すべての「恐れや不安」は私たちに次のような負の影響をもたらすからです。

① 「恐れや不安」をもつことで、膨大なエネルギーを消耗する。
② 「恐れや不安」をもつことで、私たちは世界をそのように見ようとして、自分の言動を大きく変えてしまう。その結果、「恐れや不安」はやがて現実となる。

子育てでいうならば、まず①によって私たちは必要以上に疲労します。

次に、②によって私たちの不安は現実に投影され、あらゆることが病気の兆候に見えたり、それが自分のミスや未熟さによるものだと感じたりするようになります。

その感覚は私たちの言動に影響を与え、「本来はしなくていいこと」を行わずにはいられなくなります。そして多くの場合、それは状況を悪化させることになり、結果として「恐れや不安」は現実となってしまうのです。

バックナンバー「自分は与えられる何かをすべて手にしている」で、

「私たちは、愛そのものである存在、生まれながらにしあわせな存在である」

と書きました。

「愛に基づく選択」とは、本来の私たちが行える最善の選択であり、それはいつでも私たちにしあわせをもたらす選択でなければつじつまが合いません。

もし、心配によって①や②のような不幸を招くとしたら、やはりそれは「愛に基づく選択」とは言えないのです。

おそらくこのような話は、「心配=愛情」と確信する親にとっては、受け入れられるどころか、強い抵抗を覚えるものだと思います。「心配することがわるいなんて、絶対に言われたくない!」と猛烈に反発したくなるでしょう。

そこで思い出してほしいのが、もうひとつの言葉「信頼」です。「心配する」ことを選択したくなる前提には、

「この子はもろくて弱い存在だ」
「私は未熟でスキルも経験もなく、失敗しかねない存在だ」

という、子どもと自分自身に対する「信頼の欠如」があります。

そして、不安を感じる親にとって、この2つは「紛れもない現実」となっています。実はここに、私たちが心配から抜け出す唯一の糸口があるのです。

次のように自問してみてください。

「その、弱い存在、失敗しかねない存在という、子どもと自分に対する見解は、絶対に正しいのか?」

あるいは、次のように言い換えてもいいでしょう。

「もう少しだけでもいいので、子どもと自分自身を信頼するという選択肢は、絶対にありえないのか?」

バイブスの基本は「共鳴」です。先に挙げた2つの「信頼の欠如」から心配する親のバイブスが、子どもにも伝播しているとしたらどうでしょう。

これこそが、冒頭に書いた先生のメッセージの真意ではないでしょうか。

「その子に必要なのは、あなたの心配でしょうか、それとも信頼でしょうか?」

「恐れや不安に基づく選択」をするときの私たちは、まさに弱い存在です。反対に、「愛に基づく選択」が行える「平安な心」をもつ私たちは、本来の能力を最大限に発揮できる最強モードにいます。

「問題やよくない兆候を的確に素早く発見できるのは、心配と信頼のどちらか?」

この問いにも、答えを見つけるヒントがあるように思います。

今回はNHKの番組がきっかけだったこともあり、子育てを例に書きましたが、「心配か? 信頼か?」の選択は親と子だけでなく、上司と部下、仕事仲間、恋人、友人など、あらゆる人間関係に適用できます。

どんなときでも、「信頼」は無条件にもつ以外に方法はありません。根拠を求めていては永遠に信頼することなどできないからです。まずは無条件に自分を信頼してください。次に、それと同じ方法で相手を信頼します。

その結果があなたに平安としあわせをもたらすかどうかを見極めることで、自分や他の人々をさらに信頼できるようになると私は考えます。

Photo by Satoshi Otsuka.