「心配しなくなるマインドセット」の築き方

昨日の記事では、「信頼する」ことによって「心配」を取り除く方法を見てきました。今日は、また別の角度から「心配しなくなるマインドセットの築き方」について書いてみようと思います。

まずは「心配とは何か?」をもう一度、確認しておきましょう。

「心配とは、望ましくない未来を想像して、恐れや不安を抱くこと」

です。

私たちが行う未来の想像には大きく分けて2つの種類があります。

ひとつは、

「明日のデートが楽しみでたまらない。何を着ていこう? 映画を観ようか、それともプラネタリウムに行こうか?」

と、思わずワクワクしてしまうような夢想です。こちらは文字どおり、私たちに夢や希望をもたらしてくれます。

もうひとつは、

「明日のデートで下手を打って幻滅されたらどうしよう。本当にこの服でいいのか? 映画ってありふれてないか? プラネタリウムもダサくないか?」

と、備えを万全にするための予測です。備えたいのは「自分の人生にダメージを与える何か」に対してなので、ここで思い浮かべるのは「望ましくない出来事」でなくては意味がありません。

この「負の妄想」によって私たちが抱くことになる「恐れや不安」が、「心配」と呼ばれる心の正体です。

そして、後者の「望ましくない未来の予測」が、「備えを万全にする」目的で行われることこそ、私たちがなかなか「心配」を手放せない最大の理由なのです。

「望ましくない未来を予測しておかなければ、不測の事態に対処できない!」
「心配しないのはただの脳天気。それは自分の人生を大切にしていない証拠!」

出所がどこかは不明ですが、たしかに私たちは、このような教えを「しあわせになるために必須の法則」として、かたくなに守ろうとしています。

この牙城を切り崩すことなしに、私たちが「心配」から解放されることはないでしょう。そこで、あらためてこの教えの真偽を探ってみようと思います。

大前提として、「未来を予測することで、不測の事態に備える」ためには、2つの条件が揃っていなくてはなりません。ひとつはもちろん、

「これから何が起こるかを完璧に知ること」

です。

でも、これだけでは不十分です。未来に起こることがわかったとしても、それを黙って見ていては予測する意味はありません。重要なのは、「望ましくない出来事が起こる!」と判明したときに、それを改善するための最適な対処を施すことです。

これが2つめの条件になります。

「予測したことに対して行うアクションが、どんな結果をもたらすかを知ること」

この両方を正確に把握して初めて、「不測の事態に備えたい」という私たちの願望が実現するのです。

概念だけではややわかりにくいので、例を挙げてみましょう。

現実にはありえないことですが、仮にあなたが「未来をのぞき見できる鏡」を手に入れたとします。これでひとつめの条件はクリアしました。

いま、あなたには心から愛する恋人がいます。容姿や性格、考え方にもぞっこんのあなたは、「この関係が終わってしまったらどうしよう?」と心配になります。

そこで、先の鏡をのぞいてみたところ、なんと1か月後に破局する場面が映し出されています!

あわてて少し巻き戻してみると、2人が別れる理由は、一週間後にあなたが放つ何気ないひと言だと判明します。あなたは「おお、危なかった!」と鏡に感謝しながら、来週のデートで絶対にその言葉を発しないよう肝に銘じました。

たしかに、あなたは未来を完璧に知ったおかげで、1か月後に起こるはずの破局を防ぐことができました。そこで質問です。この対処によってあなたは、本当に自分の人生を好転させられたでしょうか?

おそらく、答えは「現時点ではまだわからない」であるはずです。

なぜならば、たとえばその相手と別れていさえすれば、しばらくして生涯をしあわせに過ごせる別の結婚相手にめぐり会えた可能性もゼロではないからです。

これが、「予測したことに対して行うアクションが、どんな結果をもたらすかを知ること」を、2つめの条件とした挙げた理由です。自分の行動が吉と出るのか、凶と出るのかがわからなければ、未来を知ることに何の意味もないということです。

私は過去に年収の90パーセントを占める仕事を突然、失ったことがあります。金銭的にはありえないくらい大きな痛手です。もし、事前にこの鏡を使ってそうなることを知っていたら、ありとあらゆる手段を講じて失職を防いでいたでしょう。

けれども実は、私にとってその仕事は心の底からやりたいものではありませんでした。正直なところ、収入が激減することが恐くて、長いことやめると言い出せずにいたのです。

当時のダメージは凄まじいものでしたが、結果として私は、お金を失う代わりに多くの時間を得ました。そのおかげで生まれたのが、『グッドバイブス ご機嫌な仕事』です。もし、鏡を使って対処していたら、いまの私はなかったと思います。

おかしな表現かもしれませんが、恋愛にしろ仕事にしろ、私たちの人生には、

「被っておいたほうがいい望ましくないこと」
「避けておいたほうがいい望ましいこと」

の両方が存在するということです。

いうまでもなく、「これから何が起こるか?」も、「予測したことに対して行うアクションが、どんな結果をもたらすか?」も、正確に把握することなど不可能です。ではどうすればいいのでしょうか?

どうあがいたとしても、私たちにできるのは、

「起こった現実を見て、最善と思える対処をする」

ことだけです。

紛れもない事実として、私たちが行う未来の予測は不確実です。であるならば、私たちは日々、予期せぬ出来事にその場で対処しながら生きていると認めてしまったらどうでしょう。

いくら「その場しのぎはイヤだ!」と思っても、もしあなたが、いまなんとかなっているのだとしたら、起こった現実を見てから対処をしても、

「十分に間に合ってきた」

のではないでしょうか。たぶん、その場をしのいできたのです。

先の恋愛の例でいえば、1か月後に相手が「別れたい」と言い出す場面が「起こった現実」です。あなたはその様子をリアルに体験することができます。自分が発した何気ないひと言を理由に別れを切り出す相手を、いま全身で感じています。

おそらく、「未来をのぞき見できる鏡」ではわからなかった何かが、ビシビシと伝わってくるでしょう。そのとき、「ああ、この人は人生のパートナーではなかったのかもなぁ」と、数分前には想像もできなかった感覚を抱くかもしれません。

これが、「現実に対処する」ことだと私は思います。

どれだけ精緻な予測をもってしても、どれだけ多くの経験に基づく想像であったとしても、頭の中で「現実を目の前にしたときのフィーリング」を再現することはできません。そして、このフィーリングがなければ、私たちはどう対処すればいいかも発想できないのです。

現実に起こることの中には、かならず私たちが救われるヒントが隠されています。

「現実に直面して初めて、最善の対処を行うための情報が最大限に得られる」

この事実を受け入れることができれば、自然と「心配しなくなるマインドセット」が築かれるのではないでしょうか。

Photo by Satoshi Otsuka.