「期待する」と「信じる」の違いを再考する

今日は「期待する」と「信じる」の違いについて考えてみたいと思います。

たとえば、あなたが上司から重要な仕事を依頼される際に、次のような言葉をかけられたとします。

「私は君に期待しているよ」

あなたはこのときどのようなフィーリングを抱いているでしょうか。

個人差はあると思いますが、評価されたことをありがたいと思う反面、

「期待に応えられなかったらどうしよう」

というプレッシャーを感じるはずです。場合によっては、自分ひとりだけ大きな舞台に放り出されたような、得体のしれない不安と孤独感をもつかもしれません。

では、同じ状況で次のように言われたとしたらどうでしょう。

「私は君のことを信じているよ」

自分を認めてくれた上司に感謝したいという点は共通していると思います。もちろん、責任感やプレッシャーもゼロではないでしょう。

けれども、「期待している」と言われたときと違って、それほど多くの不安は抱いていないはずです。さらに、放り出された孤独ではなく、上司と一体になったような心強ささえを感じないでしょうか。

こうして、実際に自分が受け取った言葉としてイメージしてみると、「期待する」と「信じる」が私たちに与える影響は、似ているようで実はまったく異なることがわかります。

最大の違いは、それぞれの言葉が暗にもっている、

「時間軸」

にあります。

誰かがあなたに「期待する」と言うとき、あなたに求められているのは、

「未来に出すであろういい結果」

だけです。

当然ですが、もしその未来にあなたがいい結果を出せなかったとしたら、口に出すかどうかは別として、あなたに期待した上司はこう言うことになります。

「あいつは私の期待を裏切った」

「期待」の世界は結果がすべてです。あなたがどれだけがんばったか、いかに努力したかなどのプロセスはいっさい考慮されません。

だから、このことを潜在的に知っている私たちは、「君に期待している」と言われると強いプレッシャーを感じ、不安と孤独感をもってしまうのです。

では、一方の「信じる」の時間軸はどうでしょうか。社交辞令ではなく、心からそれを言う場合、

「いまのあなたを信じている」

ということです。「いま」とはつねに更新されて永遠に続く時間でもあります。

つまり「信じる」とは、

「その人の不変の価値を疑わない」

ことを意味するのです。

ここにおいては、「裏切られる」などという概念は存在しえません。なぜならば、たとえあなたがある時点でいい結果を出せなかったとしても、いったん「あなたを信じる」と宣言した上司は、

「その失敗に学んだ君は、さらなる高みに登れる不変の価値をもっている」

と考えるからです。

このような「期待する」と「信じる」の大きな違いを認識できたら、まずは、あなたが自分以外の誰かに送る言葉としてどちらがふさわしいかを考えてください。

次に、自分自身に対して「期待する」と「信じる」の、どちらを使うべきかも真摯に検討してください。

もし、相手や自分の中に「不変の価値」を見い出せないと感じるなら、バックナンバー「絶対に不変な自分の価値を自信の源泉にする」を再読してみてください。

Photo by Satoshi Otsuka.