友人や知人、恋人、家族など、あなたが心から好きだと思う人をひとり思い浮かべてください。
その人がある出来事をきっかけに、生きる希望を失いかけ、無気力で自堕落な生活を送るようになったとします。好きな人のそんな様子を見たあなたは、彼や彼女に何を言ってあげたいと思うでしょうか。
表現や言葉の選び方は人によって違うでしょう。でも、伝えたい内容は次のようなものだと思います。
「もっと自分を大切にしてほしい」
ここでもう少し深く考えてみてください。なぜあなたは、その人に「自分を大切にしてほしい」のでしょうか。なぜ、無気力で自堕落なままではダメだと思うのでしょうか。
こちらもさまざまな理由が挙げられるでしょう。けれども、すべてはこのことに集約されるはずです。
「その人にはしあわせになってほしい、しあわせでいてほしいから」
しつこいようですが、もう一歩だけ深掘りさせてください。なぜ、その人にはしあわせになってほしいのでしょうか。ここまでくると、答えのバリエーションもそれほど多くないと思います。私なら間違いなくこれを挙げます。
「彼や彼女にはその価値、しあわせでいる価値があるから!」
「いったい、何の話なの?」と思うかもしれません。でも実は、この一連の問答をとおして、私たちは自分にとってもっとも大切なものを発見できるのです。
それは、
「生きる希望を失いかけ、無気力で自堕落な生活を送るようになったとしても、けっして消え去ったり、損なわれたりしない私たちの価値」
です。
もし、あなたが傷ついた相手を見て、「自分を大切にしてほしい。なぜならば、あなたにはいつでもしあわせでいる価値があるのだから」と言いたくなったとしたら、それとまったく同じ「価値」が自分にもあると認められるはずです。
私たちはここを「自信」の源泉とすべきなのです。
自信とは、知識やスキル、経験、実績など、あとづけで得た何かを信じることではなく、自分の存在自体、生まれながらに手にしている自分の「価値」を信じることだと私は考えます。
なぜならば、好きな人の苦しむ様子を見て、あなたがそう伝えたいと思ったように、私たちの「価値」はどんなときでも絶対で、何があっても不変だからです。
Photo by Satoshi Otsuka.
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