昨日の記事、「絶対に不変な自分の価値を自信の源泉にする」の続きです。
自暴自棄になっている友人を見て「もっと自分を大切にしてほしい」と思うとき、私たちはその人の中にある「何があっても、けっして消え去ったり、損なわれたりしない価値」を見ています。
前話では、この「価値」こそが、私たちにとっての「自信」の源泉になると書きました。実は、「絶対で不変の価値」から学べることはそれだけではありません。
私たちは日々、あるメリットのために、あえて自分を不幸にする怒りや不機嫌さをもつことを選択しています。また、あるメリットのために他人を攻撃しようともします。
そのメリットとは、
「自分をさまざまな危険から守れる」
というものです。
あなたが怒りや不機嫌さを抱くとき、そして他人を攻撃したくなるとき、本当は何が起こっているかを思い出してみてください。あなた中にはかならず、何らかの「恐れや不安」が存在しているはずです。
さらに心の奥底をのぞいてみると、その「恐れや不安」は、
「自分の存在が脅かされるかもしれない。自分が傷つけられるかもしれない」
という予測から生まれていることがわかります。
この思いを、私たちは怒りや不機嫌さによって、ときには相手を攻撃することによって守ろうとしているのです。
ここでぜひ、先の「絶対で不変の価値」に目を向けてみてください。
あなたは友人の中に、「生きる希望を失いかけ、無気力で自堕落な生活を送るようになったとしても、けっして消え去ったり、損なわれたりしない価値」を見出しました。
そして、その「価値」はひとりの例外もなく、私たちすべてが手にしているものです。それをしっかりと認識したうえで、自分自身にこう問いかけてみてください。
「この価値は、なんらかの攻撃によって傷ついたり、失われたりするのか?」
もしあなたが、自暴自棄になっている友人を見て「もっと自分を大切にしてほしい」と思ったとすれば、この答えが「NO!」であることは明らかです。
だとすれば、次のように認識を変えることはできないでしょうか。
「私には初めから、危険を防御する必要などなかった!」
バックナンバー「ため息をついたとたん世界はため息色になる」でも書いたように、私たちには自分の想念を現実にする創造力があります。
「他人の攻撃によって自分が傷つく」という思いは、やがて私たちの言動をそのように変え、思い描いたとおりの世界が創造されます。これが、いままさに私たちの目の前にある現実です。
「絶対で不変の価値」は、このような現実を変える方法を教えてくれます。
私たちが防御を必要としているのは、攻撃が存在すること、その攻撃によって自分が傷つくことを認めているからにほかなりません。けれども、もし私たちの「価値」が絶対で不変ならば、それを攻撃することなどそもそも不可能です。
だとすれば、
「私は自らこの防御を解こう!」
と、別の道を選択するだけで、「他人の攻撃によって自分が傷つく」世界から逃れられることにならないでしょうか。
これが、怒りや不機嫌さや、他人を攻撃したくなる思いを手放す唯一の道だと私は考えます。
「いやいや、こんな危険な世界で防御を解くなんてできるはずがない」と反論したい気持ちはよくわかります。でも、一瞬でもそれを試みなければ、攻撃のない世界を永遠に目撃することはできません。
まず、このことを真摯に自問してください。
「自分は本当にこの方法で自分自身を守れているだろうか?」
そしてぜひ、あなたがもっとも安全だと感じる家族や友人、恋人とのやり取りの中で、「防御を解いたらどうなるか」の実験を行ってみてください。
不思議なことに、そんな親しい人たちといるときでさえ、私たちは防御の手段をいくつも用意せずにはいられなくなっているのです。
Photo by Satoshi Otsuka.
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