自分の価値を信じることで失うものなどない

新刊の『グッドバイブス 安心力で生きる』のエピローグで書いたように、グッドバイブスのゴールは次の2行を事実として受け入れることにあります。

現実なら何とかなる。
イリュージョンは私を傷つけない。

自分が行っている「意味づけ」や「望ましくない未来の予測」に気づき、それによって生み出される映像がイリュージョン、すなわち「実在しないもの」であることを認識しさえすれば、私たちはあらゆる不安や懸念、苦悩から逃れられるのです。

そして、この取り組みが成功するかどうかは、あなたが自分という存在をどう捉えているかで決まります。

もし、あなたが自分自身を「不幸で無価値な存在」と見ているとしたら、「恐れや不安」を抱くような判断をして負の感情に襲われたとしても、「これが私なんだから仕方ない」と甘んじて受け入れてしまうでしょう。

そこで、「これはおかしい! こんなのは私ではない!」と察知して、妄想をやめる意志を発揮するためには、心の底から、

「私は、絶対不変の価値と、創造力を携え、しあわせな存在、グッドバイブスな存在としてこの世界に誕生した!」

と確信していなくてはならないのです。

ただ残念なことに、多くの人が「できればそうだと信じたいけど、どこにも根拠がない!」と訴えます。

今日はもう一度、グッドバイブスの原点に戻って、どうすれば自分が「価値ある存在」「しあわせな存在」であることを確信できるかを探ってみようと思います。

まず、あなたの中に次のような考えがないかを確認してみてください。

「何かを達成するためには、別の何かを犠牲にしなくてはならない!」

ゴールや目標を実現するためには、遊ぶ時間を犠牲にしなくてはならない。結婚して子どもが生まれたら、好きなことができなくなる。欲しいものを買うとお金がなくなる。管理職になると気軽に休めなくなる。

誰からそう教えられたのかは謎ですが、間違いなく私たちの中には「何かを得ると、何かを失う」という、不思議なトレードオフの感覚が根付いているのです。
このことを意識しながら、次の質問に答えてみてください。

「自分には絶対不変の価値があり、しあわせであるのがあたりまえの存在と確信することで、あなたは何を失いますか?」

すぐには思いつかないかもしれません。たとえば、こんなのはどうでしょう。

「自分は足りないものだらけといつも危機感を抱いている。だからこそ、それを補うためにがんばっているのだ。いまこのままの自分を価値MAXで、しあわせな存在と認めてしまったら、油断しまくって何の努力もしなくなる!」

一見、もっともな意見に聞こえます。ぜひ、次2つについて自問してみてください。

①「信頼されているよりも、信頼されていないほうが、あなたは自分の実力を発揮できるのか?」

「まだまだ足りないものがたくさんある」と信じているあなたは、自分自身をまったく信頼していません。だとしたら、信頼されていないほうが、不断の努力をするには好都合ということでしょうか。

たとえば、あなたの上司が、あなたを信頼していない状態のほうが、自分の実力を存分に発揮できるということでしょうか。

②「あなたの不足を補う旅は、いつになったら完了するのか?」

価値MAXでしあわせな存在になるための努力は、いつまで続くのでしょうか。

また、そこに達したという事実を、あなたはどうやって知るのでしょうか。

もしこの旅に終わりがないとしたら、あなたは一生「自分はまだ道半ば」という思いを抱き続けることになります。それはすなわち、私たちは永遠に価値ある存在、しあわせな存在になどなれないということでしょうか。

2つの問いが示すとおり、「自分の価値を認めてしまうと油断して自堕落になる」という考えは、どこまでいってもイリュージョンです。むしろ、自分の価値を認めないことによって、私たちは多くのものを失っているのです。

少しヘビーかもしれませんが、さらに心の奥底をのぞいてみましょう。今度は、次の問いに答えてみてください。

「あなたは過去に、誰かによって、自分には価値がないと信じ込まされた経験がありますか?

あなたをいじめた人、あなたをシカトした人、あなたに酷い評価を下した人、あなたを負け犬のように見下した人、あなたの価値を踏みにじった人たちです。

あえてひとりずつ名前や顔を思い出す必要はありません。でも「たしかにいる!」と感じたら、彼らに対してこんな思いを抱いていないかを確認してください。

「いつか彼らを見返すために、彼らが価値ある人間の条件と定めたものを、彼らの期待以上の形で獲得して、まざまざと見せつけてやらなくてはならない!」

あなたは以前から、彼らが思うよりも自分は何倍も優秀で、才能があり、素晴らしい人間だと自負していました。でも、それを目に見える形で体現していないと感じているいま、あなたの復讐はまだ終わっていません。

もしそんな状態で、私が言うように無条件で「自分は絶対不変の価値を携えた、しあわせな存在である!」と認めたとしたらどうなるでしょうか。

「過去に遭遇した数々の悔しい出来事を、いまはまだ現実のものにしておきたい! あの嫌な経験を、考え方を変える程度でチャラにはしたくない!」

そんな悲痛な思いが襲ってくるかもしれません。

これもまた、「絶対不変の価値がある」と自分を信頼することによって、あなたが失うものではないでしょうか。

このブログで繰り返し書いてきたように、過去という時間は実在しません。そこで起こった出来事も、かつては存在していましたが、いまはあなたの頭の中にしかないイリュージョンです。

だとしたら、その幻影を消し去ることはけっして難しくありません。

「あなたに無価値のラベルをつけた、その人たちの判断に力を与えなければいい」

のです。ただ単に、彼らが間違っていただけのことです。

この事実をもって、あなたに「自分は卑小な存在だ」と思い込ませたすべての人、出来事、環境、巡り合わせを徹底的に赦してください。もちろん、それによって失うものは何もありません。

このことを踏まえたうえで、もう一度、私たちの意志と信念がもつ創造力について考えてみましょう。

あなたはよくないことを考えるだけでイリュージョンを創り出せます。そればかりか、その幻影をあたかも現実だと「信じる」ことができます。

ほかでもない、あなたの「信念」は無いものですら実在するかのように思わせる力をもっているからです。

そして、自分が創造した「恐れや不安」のイリュージョンを見ならが、この世界に対して自分が無力で「卑小な存在」であると「信じる」ことも簡単にできます。

その「信念」を逆方向に発揮しさえすれば、

「私は、絶対不変の価値と、創造力を携え、しあわせな存在、グッドバイブスな存在としてこの世界に誕生した!」

という現実を創造することなど、たやすいことではないでしょうか。

しかも、ここにおいては、あなたが「意味づけ」や「望ましくない未来の予測」をするときと同じように、確かな根拠などまったく必要ないのです。

あなたのまわりで起きていること、目にしていることはすべて「結果」です。そしてその「原因」は、すべてあなたの意志と信念にあります。

「いまあなたが見ている世界は、あなたの考えをそのまま反映している」

ということです。

もしあなたが、自分には何かができない、あの人が怖い、この人にはとうてい及ばない、他人は自分を期待どおりに評価しない、それどころか軽んじていると信じていたらどうなるでしょう。

そして、それらの信念が束になった結果、

「自分とは弱くて卑小な存在」

と確信してしまったなら何が起こるでしょう。

まずは、現在のあなたと、あなたの見る世界との関係を変えるために、これらの「信念」をまとめて修正してください。

「自分と世界との関係を白紙にする」

ところからやり直すのです。

あとは、次のことを自問するだけです。

「しあわせな存在であると意志することなしに、私はしあわせになれるか?」
「自分を信頼すると意志することなしに、私の価値を信じられるか?」

自分が弱くて出来事が強大なのか、それともイリュージョンのせいで自分が無力に見えているだけなのか、揺るぎない軸がなければ判断することはできません。

その軸とは、どんなときでも、

「自分は強くて壮大な存在である!」

という確信でしかないのです。

Photo by Satoshi Otsuka.