怒りや不機嫌さをぶつけてくるなど、自分を不快な気持ちにさせる人に対しては、何らかの手段で「反撃をする」のが一般的です。なぜならば私たちは、それが自分の身を守る唯一の方法だと確信しているからです。
ところが多くの場合、このやり方では相手の気持ちはもちろん、自分の気持ちも収まることはありません。結果として、激しく言い争うあいだも、その場から離れたあとも、モヤモヤとした負の感情を抱き続けることになります。
そこで、バックナンバー「まわりにいるバッドバイブスな人への対処法」や「この世界から嫌いな人をゼロにする方法」で書いたように、望ましくない言動をする人に遭遇したときはまず、次の法則を思い出すようにします。
「自分も含めたすべての人は、何らかの恐れや不安を抱くとおかしな言動をする」
これによって私たちは、
「相手の人格と、表現を分けて捉える」
ことができるようになります。
相手から発せられる辛辣な言葉を受けて、その人の人格まで「ひどいヤツだ」と決めつけるのではなく、「ああ、この人はいま何かを恐れているんだな。だから、こんなにおかしな言動をとっているんだな」と判断するということです。
そのうえで、次の2つのステップを実行します。
① バッドバイブスな人が抱いている恐れや不安の正体を真剣に探る。
② バッドバイブスな人が抱いている恐れや不安を取り除く手伝いをする。
これが、自他ともに「平安な心」でいるためのグッドバイブスな解決法です。
ただし、相手との関係や自分が置かれた状況によっては、この取り組みがうまく機能しないケースも少なくありません。
どれだけ真剣に探っても、相手が何に対して「恐れや不安」を感じているのかわからないこともあるでしょう。運よく判明しても、どうやってそれを取り除けばいいか見当がつかなかったり、何を試みても効果がなかったりすることもあります。
そこで今日は、「相手の恐れや不安を探ってそれを取り除く」という試みが成功しなかった場合の対処法について書いてみようと思います。
まずは、このメソッドの大前提を確認しておきましょう。それは、拙著『グッドバイブス ご機嫌な仕事』や、バックナンバー「相手の怒りを放置すれば真の平安は訪れない」で書いたように、
「私たちはけっしてひとりではしあわせになれない」
という考え方です。
ピンチな場面に出くわしたとき、たとえばアンガーマネージメントなどの手法によって、自分だけの心を整えようとしても、けっして真の平安は訪れません。
なぜならば、その「望ましくない言動をする人」が家族や同じ職場の人間だった場合、彼らとのあいだで同じようなもめごとが起こる可能性は依然として残ったままだからです。
そこで、
「自分に怒りをぶつけてくる人を平安に導きながら、自分の平安も得る」
という「ひとつ意識」に基づいた選択をするわけです。どんなときでも、目指す地点がここにあることを忘れないでください。
そのうえで、どうしても、相手の「恐れや不安」を取り除いて平安に導けなかったときは、いったん、
「看過する」
ことを選ぶようにします。
辞書の定義とは異なるかもしれませんが、私はこの言葉を「見過ごす」や「見逃す」とはまったく別の意味で使っています。
相手の望ましくない行動に対して、見て見ぬ振りをするわけではありません。「面倒くさい」と感じてやり過ごすのとも違います。
ポイントは「看」の文字です。「看護」や「看病」にも使われる「看る」には、「世話をする」「気を配る」といった意味があります。つまり「看過する」とは、「相手のことを思いながらも、そっとしておく」ということです。
これまでの話に当てはめるとこうなります。
「おかしな言動をする相手の恐れや不安を探り、その正体に気づいたとしても、あえてそれをどうにかしようとせず、そのままにしておく」
本来は、相手の「恐れや不安」を取り除き、解決までもっていきたいところですが、さまざまな理由でそれができないこともあります。
たとえば、上司や自分よりかなり年上の人が相手の場合、あなたが何を言っても、彼らのプライドや仕事上の立場が邪魔をして、まったく聞き入れてもらえないこともあるでしょう。
あなたの言動が原因で、相手が深く傷ついているようなケースも同様です。向こうにとってあなたは加害者です。その、自分を不快な気持ちにさせた張本人から「恐れや不安」を取り除いてもらうことなど、彼らは頑として拒絶するでしょう。
このような状況で解決を急げば、火に油を注ぐような結果にもなりかねません。まさに昨日の記事で書いた「無理をしない」を選択する場面だと思います。
そんなときは、あなたの中に次のような気持ちが沸き上がる瞬間を見逃さないでください。
「ああ、もうこの取り組みには疲れてきた。このままだと、相手のことが大嫌いになってしまいそうだ!」
これが「看過する」ことを選ぶシグナルです。
おかしな言動を続ける相手に「一矢報いた!」「反撃したい!」という気持ちが固まってしまうその前に、
「いまは解決を望むのはやめて、この人の言動を看過しよう」
と決意してください。
ここで重要なのは、本来のゴールからすると不本意な結果ですが、「自分だけは平安な心を保つ!」という意志だけは捨てないことです。
そのあなたの平安を土台にして、
「これは、私とこの人の両方を平安にするためのプロセスにすぎない。だから、この人の恐れや不安を看ることはやめないでおこう」
と自分に言い聞かせます。
いつか実現するであろう解決の可能性を信じながら、相手の「恐れや不安」だけを看続け、発せられる言葉や行動はすべて「看過」するということです。
心情的に当てはめにくいたとえかもしれませんが、私はそれを「プロポーズを断られた状態」と捉えるようにしています。私の告白にキッパリ「NO!」と答えた相手に、その場でどれだけ詰め寄っても気持ちを変えられるはずがありません。
そんなときの最善策は、
「十分な時間をとって再トライすること!」
ではないでしょうか。
少なくとも、そのタイミングが明日や明後日ではないことはたしかです。一週間後やひと月後でも足りないでしょう。彼女が別の男性とつき合って破局する1年後か2年後あたりなら、次のチャンスが巡ってくるかもしれません。
その間、1ミリも変わることなく相手への想いを抱き続けていれば、再度の告白で彼女の気持ちを動かせる可能性はゼロではないはずです。
「看過する」はこの感覚にとてもよく似ていると思います。けっして相手に負の感情を抱かずに、「恐れや不安」を取り除ける最適なタイミングを、焦らず、あきらめずに待っていれば、少なくともその間、あなたは平安でいられます。
そしてプロポーズと同じように、その想いが報われる日、すなわちあなたと相手のあいだに「自他ともに平安」が訪れる日は、かならず来ると私は確信しています。
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