ふだんそのように意識することはまずありませんが、私たちはいつも「あるもの」と戦っています。「こうであってほしい!」という望みと現実とが異なったとき、
「それは絶対に許せない!」
という気持ちと戦っているのです。
そして多くの場合、そのような思いを解消するために、私たちは自分がもっていた願望ではなく、実際に起きている現実のほうを変えたいと考えます。
「こうであってほしい!」の対象は2つあります。ひとつは「人」です。
たとえば、ある人が自分にどのような物言いで仕事を依頼するか、その仕事をやり終えたときにどれくらいの評価と感謝を返してくれるかについて、誰もがかなり詳細な「こうであってほしい!」をもっているはずです。
この期待が裏切られたとき、「そういう対応をする人は許せない!」という思いを抱き、可能なら態度を改めるよう抗議するか、それが叶わなければ相手を嫌って影で悪口を言うかします。
ふたつめの対象は「出来事や自然現象」などの身のまわりで起こる事柄です。
ここでは、ある目標を立てたのに期限が来てもそれが実現していない、集客や売り上げが予測どおりに伸びていない、心地よくお花見をしたかったのに雨が降っているなどの現実が、「許せない!」対象となります。
人の場合と同じく、こちらの対応もおもに2とおりです。目標や売り上げなど、何とかなりそうなものであれば、自分やチームに気合いを注入して、のぞましくない現実を変える努力を行います。
自然現象などのどうにもできないものに関しては、「せっかくの準備が台無しだ!」「本当に雨の野郎、ムカつくぜ!」などの不満や憤りをもちながら、心の中だけでも現実に対抗しようとします。
人の場合も出来事や自然現象の場合も、冒頭に書いた「戦い」の結果は同じです。
「許せないという気持ちが勝ち、無理やりにでも現実を変えようとするか、目の前で起きていることを簡単には受け入れないという態度を固持する」
わけです。
そしておもしろいことに、私たちがもつこの特性は一般的に、
「思いどおりにならないことに立ち向かい、それを変えていくことで、私たちは成長できるし、自分の夢も叶えられる!」
という、前向きな教訓として捉えられているのです。
たしかに、この文章を読んだだけでは、反論の余地はどこにもないように思えます。けれども、よく考えてみるとこの教えの根底には、
「現実よりも、つねに自分の願望のほうが優先されるべき」
というかなり強気というか、傲慢ともいえる発想があることがわかります。
バックナンバー「秋に行いたい受け入れるためのレッスン」で書いたように、たしかに私たちは、技術や発明によって自然現象さえも望むとおりに変えようとしてきました。その取り組みが今日の快適な生活をもたらしていることも事実です。
ただ、どれだけ知恵を振りしぼり、額に汗してがんばっても、思いどおりにならないことが残り続けるのも、また紛れもない事実です。
そこで今日は、期待と現実のギャップに悩まされたときに、毎回「許せない!」気持ちを勝たせるのではなく、別の選択肢がないかを検討してみようと思います。
それが、
「けっして無理をしない」
というやり方です。
実際に、「願望優先&現状変更型」でうまくやれている人はいます。けれども、もしあなたが少しでもそこに疑問や違和感や疲労感を感じているなら、「無理はしない型」のやり方もけっしてわるくありません。
たとえば、あなたがある大切なイベントを2か月後に開催したいと、かなり強く「望んだ」とします。ところが、「絶対にここでやりたい!」とイメージしていた会場が予約で埋まっていて3か月先まで使えないことが判明します。
「願望優先&現状変更型」なら、なんとしても同じ雰囲気か、それ以上のサムシングをもつ別の場所を探そうと躍起になるでしょう。「現実よりも、つねに自分の願望のほうが優先されるべき」だからです。
「無理はしない型」の発想はまったく違います。どんなときでも、実際に起こっていることが優先されます。「こうであってほしい!」という希望や願望はもっていますが、そのとおりにならなかったときは、
「いったん、仮説である自分の期待を手放して、目の前の流れを受け入れる」
ようにします。
だからといって、何もかもあきらめて現状維持に甘んじるということではありません。ただ単に、
「それがいつ、どのような形で、誰の手によって実現するか?」
などの、頭で考えた自分勝手な「仮想の諸条件」を手放すだけです。
先のイベントの例ならば、たったひとつ「いつ」という願望を手放し、1か月だけ後ろに倒して「3か月後に開催!」と修正するだけで、いま抱えている悩みは一掃されるはずです。
見方によっては場当たり的で、消極的な姿勢にも映るかもしれません。けれども、私はこれこそが楽しく、かつ確実に自分の思いを実現できる方法だと考えます。
なぜならば、いつでも、
「目の前で起きていることに、何を選択すべきか教えてもらいながら進める」
からです。現実よりも確かで、信頼できる指針が他にあるでしょうか。
「いやいや、それではブレイクスルーは起こせないよ!」という反論もあるでしょう。すでに書いたように、あなたやチームの人たちが「願望優先&現状変更型」を望み、それで実績を上げているなら何の問題もありません。
もし、夢や希望をもってスタートしたプロジェクトであったはずなのに、あなた自身もチームのメンバーも疲弊し、未来に不安を抱えながら、楽しさの欠片もない状態だとしたら、「無理はしない型」を採用する余地があると言いたいだけです。
あるいは、仕事や家庭でどうにもならない困難な出来事に遭遇したときに、いつものように現状を変えようと努力するのではなく、「ここは無理をしないでおこう」と、自分の期待のほうを手放してみるのもひとつの手です。
「ペトリコール」という言葉をご存じでしょうか。雨上がりに香ってくる樹液と草と土が混じり合ったような、あの独特の匂いにつけられた名前です。実は、ペトリコールの匂いには植物の種の発芽を遅らせる働きがあるらしいのです。
それは、
「土砂降りのときは流されてしまうから芽を出さないで! 晴れるまで待って!」
という、植物にとって極めて合理的な合図でもあるわけです。
一方で、「現実よりも、つねに自分の願望のほうが優先されるべき」と考える私たちは、おおよそこの逆を行こうとします。
「雨なんて上等だよ! 根性で乗り切ってやるぜ!」
「太陽は出ているけど、まだまだ準備不足だから行けないよ……」
自然界は「受け身」に徹しているのに対し、私たちはいつも「能動的」であろうとするわけです。
ここにひとつ「けっして無理をしない」というアイデアを入れるだけで、私たちは植物のように、もっと楽に「望むこと」を達成できるのかもしれません。「目の前の流れを受け入れる」とは、そういうことだと私は思います。
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