秋に行いたい「受け入れる」ためのレッスン

今日は「受け入れる」ことについて書いてみようと思います。秋は、油断して薄着をしてしまうと肌寒く感じたり、一枚多く羽織って出かけると強い陽ざしに汗ばんだりする、「受け入れる」を練習するには最適な季節なのです。

まず、「受け入れる」とは何を意味するのかについて見ていきましょう。

私たちは、どんなときでも「こうあってほしい」という願望を抱きながら生きています。ところが、現実に起こるのは自分の期待に反することばかりです。

そのもっともわかりやすい例が、

「自然界のあり様」

です。

私たちはいつも「気温18度から28度くらいのあいだの、快適な環境の中で暮らしたい」と望んでいます。

ところが、そのような思いとはまったく関係なく、日本に住んでいればかならず四季が巡ってきます。冬になれば私たちが希望する気温よりも大幅に寒くなるし、夏には「かんべんしてくれよ!」と言いたくなるほど暑くなります。

ここに、

「こうあってほしい自分の願望と、そうでない現実とのギャップ」

が生まれ、その葛藤によって私たちの中に苦悩が生まれます。

「このままではとてもしあわせに生きていけない!」ということで登場するのが、いわゆる科学やテクノロジーです。たとえば、エアコンの発明によって、私たちは周囲の気温を自分が望むとおりの温度に変えることに成功しました。

傘やレインコートによって、「濡れたくない」という願いも叶いました。ほかにも、陽ざしを避けるための帽子、落雷を防ぐための避雷針、ぬかるみをなくすためのアスファルト舗装など、同じ目的のために開発されたものは山ほどあります。

こうして私たちは「自分の願望」と「自然界で起こる現実」とのあいだのギャップを次々と埋めていき、いまではすっかり思いどおりの快適な生活を手に入れているわけです。

ただ、私たちが「こうあってほしい」と願うのは、暑さ寒さなどの単純なことばかりではありません。

「明日の会議では自分の企画がすんなり承認されてほしい!」
「自分のブログが多くの人に読まれるようになってほしい!」
「この人が自分の発言に腹を立てないでいてほしい!」
「好きな人が、自分の告白にYESと答えてほしい!」
「1年後には年収が10倍になっていてほしい!」

もちろん、これらの願望が100パーセント実現することはありません。当然ですが、私たちは日々、「願望と現実のあいだのギャップ」を感じながら、なんとも言えない不満と不安の中で生きていくことになります。

さらに、とても残念なことに、この問題に関しては、どれだけ科学やテクノロジーが進歩したとしても、エアコンや傘のように、あたかも現実の側が変わったかのように見せてくれる機械や装置は、永遠に発明されることはないのです。

ではどうすればいいのでしょうか。その答えが、

「現実に起こっていることに抵抗するのはやめて、いったんはすべて受け入れる」

ことだと私は考えます。

まずは、私たちと現実との関係を次のように捉えてください。

「さまざまな発明によって、私たちはいつしか現実を思いどおりに変えられると錯覚してしまった。でも、それはただの幻想に過ぎない。私たちはその事実をいまだに受け入れられず、願望と異なる現実を目撃するたびに、不条理さを感じてしまっている」

自分の思いどおりにならないときに、「納得がいかない!」「信じられない!」「ありえない!」などと言いたくなるのはこのためです。なんのことはない、この怒りや憤りこそが不条理だったということです。

無理やり現実を変えようとあがいても、事態が好転することはありません。解決できない葛藤の中で苦悩しながら問題を解決しようとすれば、「それはやりたくない」「それは選びたくない」と、選択肢や可能性が狭まっていくことは必然です。

もちろん、「いったんはすべて受け入れる」とは、見て見ぬふりをしたり、甘んじて受け流したりすることとはまったく違います。望ましくないと思う状況は改善しなくてはなりません。そのためには、あなたのさまざまな能力や感覚が研ぎ澄まされている必要があります。

それを実現するのが「受け入れる」という姿勢だと考えてください。

期待に反して、あなたの提案した企画に異論や反論が続出したなら、その状況に抵抗するのをやめて、目の前の現実を受け入れます。ブログの購読者が増えないなら、落胆する前に「いまは読んでくれる人が少ない」という現実を受け入れます。

そうすることによって、あなたの中にある「願望と現実のあいだのギャップ」と葛藤、そして強い憤りが消え去ります。

受け入れる前のあなたは、目の前で起こっていることと「分離」しました。反対に、「受け入れる」ことに成功したあなたはいつでも、

「現実と一体化」

しています。

ここにいたって初めて、あなたは自分の期待に反する出来事や他人の言動に、どう対処すればいいかのアイデアを発想できるようになるのです。なぜならば、現実と「ひとつ」になったあなたには、「ありのままの現実」が見えているからです。

ということで、ぜひ、秋だからできる「受け入れる」トレーニングを実践してみてください。とても単純なレッスンです。

「あ、肌寒いなぁ」と感じたら、1枚羽織る前にしばらくその肌寒さを受け入れてみます。「寒いのはイヤだ」「風邪をひいたら困る」などの抵抗を手放し、身体と空気の境界が消え去ったかのような感覚の中で、外気と一体になってください。

「あ、暑くなってきた」と感じたら、同じように抵抗せず、やや高めの空気に身体が溶けていく様子をイメージします。

ただし、「我慢する」のは禁物です。我慢とは「こうあってほしい」願望と、外の気温とが戦っている状態にほかなりません。どうしてもこの感じが消えない場合はレッスンを中止します。

「おお、寒くも暑くもなくなった」と感じられたら、おそらくあなたは「受け入れる」ことに成功しています。その感覚が心地よいと感じるあいだは、トライを続けても大丈夫です。

これ以外にも「受け入れる」を試す機会はそこら中にあります。たとえば、何かの音が気になって眠れないときは、「音を受け入れて、音と一体化する」ようにしてみてください。うまくいけば、1分ほどで深い眠りにつけるはずです。

病気までいかないような、軽度の身体の不調が起きた際も「受け入れる」チャンスです。靴ずれで足が痛い、昨日の運動で筋肉痛がする、肩こりや腰痛がひどい、身体を締めつける服や下着のせいで窮屈な感じがするなどの、ふだんはそのままにする症状がいいでしょう。

ここでは、痛みに対する不快感を手放し、ただ受け入れるようにします。同時に、身体の中心部あたりにブラックホールのようなものがあって、あなたが受け入れた度合いに応じて、痛みがそこに吸い込まれて消滅する様子を思い描いてください。

こちらも「我慢する」感覚が消えない場合は、ただちにトライを中止します。

ひとりの時間によくない妄想が止まらずに、胸のあたりが重くなったときも、この方法で取り去ることができます。まずはあなたに妄想を抱かせている出来事を受け入れてください。「だって、これが現実だもの。抵抗しても意味ないよなぁ」と自分に言うのがコツです。

あとは胸の重さを受け入れながら、身体全体に残っている疲労感とともに、自分の中のブラックホールに吸い込んでもらうのを待つだけです。

とくに、身体の不調を「受け入れる」ことで和らげる体験ができたら、

「私たちは、どれだけ望ましくないものであっても、受け入れてしまえさえすれば、それにしっかりと対処できる自己治癒力のようなものをもっている」

というすごい事実に気づけるはずです。

いつものセリフですが、ぜひ、だまされたと思ってチャレンジしてみてください。

「いったん受け入れてから全力で修正する」

これが今日のひと言です。

Photo by Satoshi Otsuka.