私はいま、鎌倉の「朝食屋コバカバ」という素敵なお店で、「グッドバイブス ご機嫌な生き方塾」という月イチのワークショップを開催しています。
毎月、いくつかのテーマを決めて参加者の方々に実践してもらうのですが、前回に行った「意識を使ってアイデアを閃くワーク」がとても気に入っています。
私たちはふだん、考えること、すなわち「思考」によって答えを出そうとします。けれども思考には、正しくて非の打ち所のない「正解」を求めようとする傾向があるため、自分という枠を打ち破るような、画期的なアイデアを発想するのが苦手なのです。
そこで、思い切って考えることをやめ、思考よりもはるかに高性能な「意識」に、「いま自分は何をすべきか?」をたずねるやり方にトライします。
「意識」は過去のいきさつや、損得勘定、自分で勝手に決めた自分自身の限界などいっさいおかまいなしです。まるで超一流のアドバイザーのように、クールに、そして極めてクレバーに自分にとっての最適解を提示してくれます。
ただ、多くの人にとって「意識」は、「そんなものが自分のどこにあるの?」と言いたくなるような、正体不明のものだと思います。これまでにも、いくつかのたとえ話を交えて説明してきましたが、今日はまた違う角度から「意識とは何か」について見ていきましょう。
私は男性で、自分の子どももいませんが、よくこんなことをイメージします。
「自分が母親の胎内にいたとき、どんな感じだったんだろう?」
出産の経験がある女性ならば、「うちの子が自分のお腹の中にいたとき、何を感じていたか?」を思い出してみるのもいいでしょう。
私はそのとき、自分の身体を収めるには最小といっていいほど狭い空間にいました。目が見えないので、自分がどんな形をしているかもわかりません。いや、もし母親と密着しているとしたら、どこまでが自分で、どこからが母親の身体なのかも認識できていなかったように思います。
だとしたら、私たちがいま抱いている「この身体が私」という感覚は、極めて薄いどころか、まったくもっていない可能性もあります。「身体を自覚できていない状態」といってもいいでしょう。
ここで最大の疑問が浮かんできます。そんな私に「自分がここにいる!」という「意識」があったのかどうかです。
真偽のほどはお腹の中にいる子どもに「あなたはいま意識がありますか?」と聞いて確かめるしかありません。それが不可能だとしたら、永遠に正しい答えはわからないことになります。
ただ、私は実際に、お子さんがいる何人かの女性にこの質問をしたことがあります。すべての人が「お腹の中の子どもには、意識があったと思います」と答えてくれました。私もなんとなくですが、そうではないかと予想しています。
なぜならば、生まれた直後、外に出て空気に触れた瞬間に、スイッチがパチッと入るように「意識」が動き出すというのは、どうにも不自然な感じがするからです。
「いや、それは脳の働きで、思考ではないか?」という意見もあるでしょう。でも、私たちはいつも言語を使って何かを考えています。また、考えるためには情報も必要です。その両方をもたない子どもが思考などできるでしょうか。
いずれにしても、何の科学的な証明も伴わないきわめて感覚的な仮説にすぎませんが、先のお母さんのリアルな経験談を頼りに、「お腹の中の私は意識があった」としておきましょう。
すでに書いたように、私は狭い空間の中で「身体を自覚できていない状態」にいます。と同時に、「自分がここにいる!」という「意識」をしっかりもっています。
だとすればその私は、
「意識だけが存在している自分」
を体験していたことにならないでしょうか。
これが、このブログでもたびたび書いてきたように、
「私たちの本体は身体ではなく、意識である」
と私が考える根拠のひとつです。
「意識」こそが私たちの実体で、「身体」は「意識」が閃いたことを他の人々に伝えるための道具ということです。脳によってもたらされる思考は、もちろん「身体」の機能のひとつと捉えておきます。
ここでもっとも重要なのは、モノである「身体」は傷ついたり損なわれたりしますが、「意識」はモノではないので、どんな攻撃を受けても損傷することはないという点です。
私たちの脳が、傷つく可能性のある「身体」の一部だとすれば、そこから生まれる思考の役割は、つねに自分を防御するための方策を考えておくことです。これが、私たちに「恐れや不安」を抱かせる「未来の予測」や「負の意味づけ」の正体だと私は考えます。
そのような思考に問題の解決策を発案させようとすれば、できるだけリスクの少ない安全第一の答えを出してくるのは、当然といえば当然のことです。
これに対して、けっして傷つくことのない「意識」に恐いものなどありません。自分を守るために「妄想」する必要もまったく感じていません。だからこそ、何のフィルターもかけず、真っ直ぐに「いま自分は何をすべきか?」の答えを探しに行くことができるのです。
本当のことはわかりませんが、「意識」を使うコツとして私は、
「意識は、身体の外にある」
と捉えておくようにしています。しかも、思考の上位にあるという意味で、頭の少し上に浮かんでいる様子をイメージします。
その状態で、「いま自分は何を考えているか?」を客観的に眺めてみてください。「あ、これね!」と一瞬で頭の中が見えると思います。このとき使っているのが「意識」です。
思考はいつでもシングルタスクです。2人の話を同時に聞いたり、2本の映画を同時に観たりできないように、自分が考えていることを、リアルタイムに思考で知ることはできません。
ひとりきりで悩んでいるとき、あなたは「いま自分はこれについて考えている」という自覚などもっていないはずです。これが、思考と一体化していて「意識」が働いていない状態です。
「思考を眺められるのが意識」
この感覚さえわかってしまえばあとは簡単です。
数秒でもいいので考えるのをやめて、先に思考を眺めた「意識」だけに集中します。そのままあなたの知りたいことを「意識」に聞いてみてください。
能動的に何かを思いつこうとするとかならず思考が動き出します。自分では何もせずに、「受けとる」感覚で答えが降ってくるのを待つのがポイントです。「考え始めたら中断してまた意識に戻る」を繰り返すような感じです。
場合によっては時間がかかることもあります。できれば5分くらいは続けてみてください。それでもダメなときはいったん寝て、翌朝のチャンスに賭けます。うまくいけば、シャワーを浴びているときや、トイレに入っているときに、昨晩の回答が得られるでしょう。
この「意識を使ってアイデアを閃くワーク」を続けていると、一日の中で思考する時間がどんどん少なくなっていきます。「問題に直面したら意識を使って解決策を閃く」習慣が身についていくからです。
結果として、「恐れや不安」をもたらす妄想もしなくなるという、一石二鳥の効果も得られるのです。
私の仮説が当たっていれば、母親の胎内にいたときからあなたの実体は「意識」でした。ただ、その本来のあなたを使うだけのことです。ぜひ、あまり難しく考えず、気軽にトライしてみてください。
※ 明日開催の「グッドバイブス ご機嫌な生き方塾」では、さらに進んで「意識を使った会話のワーク」を行います。他の人と話す際に、思考ではなく「意識」を働かせると何が起こるのか?
興味のある方はぜひ、ご参加ください。
Photo by Satoshi Otsuka.
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