Good Vibes Workstyle

Archives: 完全無欠のしあわせ

好き嫌いで選ばないことも分離の選択なのか

2020年、私はこのブログの最初のテーマとして「ひとつ意識」を選び、1月6日から4話連続で「ひとつ意識に導かれる行動」を紹介しました。

先日、その中の、

「分離の選択をしない」

について次のような質問を受けました。

「私たちは好みやセンス、相性によって、自分の身近に置くものをより分けているように思います。家具、洋服、書籍、音楽、映画、食事などには、どれも好きだから選びたいものと、嫌いだから選びたくないものがあります。人とのつき合いも同様です。この、趣味嗜好によって何かを選ばないという行為も、分離の選択になるのでしょうか?」

「ひとつ意識」を理解するための重要なポイントを含んだ、とてもいい質問です。そこで今日は、この問いに答えることで、「分離とは何か?」についてもう少し深掘りしてみようと思います。

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グッドバイブス総集編①「イリュージョン」

今年も残りわずかとなりました。1年をとおして、2月に刊行の『グッドバイブス ご機嫌な仕事』や、このブログをご愛読いただき、本当にありがとうございます!

早いもので、今週の記事が2019年のラストなります。そこで、今日から金曜日までの5話にわたって、グッドバイブスのメソッドをギュッと凝縮した、総集編のようなものを書いてみようと思います。

「最近はずいぶんといい感じになってきた。なんとかこの状態を持続させたい!」
「まだ平安と不安を行ったり来たりしている。グッドバイブスを定着させたい!」

そんなあなたに、うまくいく秘訣や、見落としがちなチェックポイントを、まとめてお届けします!

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「愛」や「平安な心」に反対の概念などない

昨日の記事で書いたように、私たちには、異なる2つのものを比較して優劣や貴賤を判断する、「相対的なものの見方」の習慣が染みついています。

それは、「評価」をするときに限ったことではありません。私たちが「これは何だ?」と思うような、よくわからない物事に出くわした際も同様です。

その対象だけを凝視して、深掘りして、正体や本質に迫るのではなく、

「わからないものとは反対に見える別の何かをもち出してきて、両者の違いを見比べることで、それが何かを把握しようとする」

のです。

たとえば、「愛」という概念があります。たしかに「愛とは何か?」を語ることは簡単ではない感じがします。そこで、その反対に見える「憎しみ」などの別の概念を登場させ、それぞれの違いを想像してみます。

その結果、「なるほど、相手を憎んでいない状態が愛か」「愛が憎しみに変わらないように、気をつけなければ」などと考えることができれば、「愛」については、少なくとも「理解不能な状態」からは脱したことになるわけです。

今日は、この「相対的に眺めてみれば、物事の本質を把握できる」というイリュージョンを疑うとともに、それによって私たちが陥りがちな「ある罠」について書いてみようと思います。

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困難な状況には「無理をしない」選択もある

ふだんそのように意識することはまずありませんが、私たちはいつも「あるもの」と戦っています。「こうであってほしい!」という望みと現実とが異なったとき、

「それは絶対に許せない!」

という気持ちと戦っているのです。

そして多くの場合、そのような思いを解消するために、私たちは自分がもっていた願望ではなく、実際に起きている現実のほうを変えたいと考えます。

「こうであってほしい!」の対象は2つあります。ひとつは「人」です。

たとえば、ある人が自分にどのような物言いで仕事を依頼するか、その仕事をやり終えたときにどれくらいの評価と感謝を返してくれるかについて、誰もがかなり詳細な「こうであってほしい!」をもっているはずです。

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自分は与えられる何かをすべて手にしている

前々話で「外にあるしあわせの条件」が幻想であると書きました。前話では、それをひっくり返すと見えてくる「内側にあるしあわせの条件」について書きました。

今日は前話で伝えきれなかったいくつかの事柄をひっくり返しながら、先週から続く「しあわせの条件」三部作を締めくくってみようと思います。

そもそも、「何をすることがしあわせか?」は各人が決めることです。少なくとも私ごときが定義できるような代物ではありません。

ただし、「どこにしあわせがあるか?」を見誤ってしまうと、永遠に答えが見つからないエンドレスの旅に出ることになります。実際に、私たちはそのような徒労を繰り返すことが多いのです。

私もけっしてその例外ではなく、かなり長いあいだ「自分の外にあるしあわせ」を追い求めてきました。もちろん、そこで得られたのは前々話で書いた「ワンナイトドリーム」のようなものばかりです。

幻想の「外にあるしあわせ」と、現実の「内側にあるしあわせ」、両者の最大の違いは、

「それを行ったときに、どのような心がもたらされるか?」

にあります。

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幻想を反転させると内側のしあわせが見える

先週末に投稿した前話では、「外にあるしあわせの条件とは何か?」について書きました。私はけっして「刺激」や「所有」を求めることが無意味だなどと思っているわけではありません。

それはときに、私たちに生きる活力や勇気を与えてくれる貴重な体験でもあり、人生のご褒美のような役割を果たすこともあります。

ただ、前話で書いたように「刺激」や「所有」には「得るための終わりのない旅が続く」や「他者と利害が対立する」など、さまざまな問題が含まれています。

そのため、「これが本当にしわせの条件か?」と問われれば、やはり私は「幻想だ」と言わざるを得ないのです。

私たちが抱く幻想はどれも「鏡に映した現実」のようなものです。多くの場合、それを反転させると本当の映像が姿を現します。

そこで今日は、「外にあるしあわせの条件」をひっくり返しながら、私たちの「内にあるしあわせの条件とは何か?」を解き明かしてみようと思います。

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「刺激」と「得ること」がもたらすしあわせ

拙著『グッドバイブス ご機嫌な仕事』は次のようなメッセージで始まります。

「自分の外に置いてしまったしあわせの条件を、もう一度、自分の手に取り戻す」

今日は、この話に出てくる「外にあるしあわせの条件とは何か?」について書いてみようと思います。

「外にあるしあわせの条件」をどう表現するかは人によってさまざまですが、おおよそ次の2つの分類にあてはまると私は考えます。

「刺激と所有」

です。

「刺激」とは、ひと言でいえば「非日常的な体験」です。「何かの大会で優勝する」「何かの賞を受賞する」「高い評価を得る」「特別なイベントを開催する」「ふだんは行かない場所を訪れる」など、日々の生活では味わえないスペシャルな時間を過ごすことを指します。

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