ひとつ意識こそ究極の自分を大切にする選択

拙著『グッドバイブス ご機嫌な仕事』の第1章で、

「私たちは、けっしてひとりではしあわせになれない」

と書きました。

本書ではここから、自他の区別のない「ひとつ意識」が、私たちのしあわせに不可欠という話に発展していきます。

今日はこのことを無理なく実感するための、ある連想ゲームをやってみようと思います。

◎ 自分という範囲を他人に広げることができる?

最初に次の言葉を頭に思い浮かべてください。

「自分を大切にする」

次に、もしあなたが徹底的に「自分を大切にする」ように一日のスケジュールを組むとしたら、どのような日程表になるかを想像します。せっかくなので、この時期に合わせて「在宅勤務版」がいいでしょう。

たとえば、かなりストイックな人なら、

「朝4時に起床。朝食後の30分はジョギングと筋トレ。帰宅後に30分かけてブログを執筆。英会話の勉強を1時間。昼食まで在宅ワーク。ランチ後に20分の昼寝。15分ほど瞑想したのちに午後の仕事を開始……」

といった感じで、朝から就寝するまでを、前々からやりたかったことでビッシリと埋め尽くすでしょう。

今回はあくまで連想ゲームです。本当に実行できるかどうかはさておき、初日から見事にこのスケジュールをやり遂げたことにします。

ベッドの中で眠りにつこうとするそのとき、あなたはきっと「ああ、今日はとても有意義な一日を過ごすことができた! 自分を大切にできた!」と心から実感することでしょう。

そうして迎えた2日め、「今日も自分を大切に生きよう!」と決意してジョギングに出ようとしたそのとき、家族がこんなことを依頼してきました。

「ちょっと体調がわるいから、私の代わりに子どもの朝食を用意してくれないか?」

まずはこんなケースを想定してみます。

あなたは、「忙しいからムリ!」とこの依頼を断りました。もしくは、「家族の逆鱗に触れるのが面倒という理由で、仏頂面をしながらしぶしぶやった」でもいいでしょう。

リアルにイメージしてください。あなたはいま、自分が置かれた状況についてどんな思いを抱いているでしょうか。

「この依頼を受けてしまったら、その後に予定していたブログと英語の勉強ができなくなる。それでは、自分を大切にできない!」

といったところでしょうか。

もしそうだとすれば、このときあなたがイメージしている「自分」とは、

「あなたの皮膚の内側、身体という単位で区切られた自分」

であるはずです。

朝食の依頼をした家族も、その朝食を食べる子どもも、あなたにとっては自分ではない「他人」です。「自分を大切にする」ことを目的に一日を過ごすのであれば、他人のことは二の次と考えて、やりたいことを優先するのが当然ということになります。

では次に、真逆のケースを想像してみましょう。「ああ、そういうことなら任せておいて。今日はゆっくり休んでいてよ。なんだったら、昼食も夕食もやるよ!」とふたつ返事で快諾した場合のあなたです。

これまでの理屈に沿って考えるなら、この選択によって「自分を大切にする」という今日の目的は果たせなくなります。ということは、こちらのあなたは「自分を犠牲にした」と感じているのでしょうか。

そんなことはまずありえません。なぜならば、それでは「ふたつ返事で快諾する」ことなど不可能だからです。犠牲になったと感じているとしたら、先の「仏頂面をしながらしぶしぶやる」のあなたが登場しているはずです。

最大の違いは、今回の選択をしたあなたは、

「家族や子どもにまで、自分という範囲が広げられている」

という点にあります。

体調がわるいうえに依頼を断られて失望する家族と、そのせいで朝食を食べられない子ども。最悪の場合、夫婦がののしり合うのを泣きながら見なければならない子ども。

彼らにまで自分の範囲を広げたあなたは、家族や子どもの痛みを現実に「自分のもの」と感じることができます。だとすれば、彼らを大切にしないことは、「自分を大切にしていない」のとまったく同じです。

こちらのあなたは、もう自分のスケジュールをこなすべきか、それとも自分を犠牲にして他人の依頼を受けるべきかの二択で葛藤することはありません。

常識やモラルや道徳といった頭で考えるレベルではなく、ごくごくリアルな、

「彼らも私の一部である!」

という認識のもと、何の迷いもなく、自然体で「自分を大切にする」選択ができるからです。

◎「広がり」と「つながり」があなたにしあわせをもたらす

ここまでで、私たちは、

「身体の区切りを超えて、自分の範囲を自分以外にも拡張することができる」

というすごい事実が判明しました。

結婚相手や子どもがいない人でも、親や兄弟、恋人、親友などに、一度はこの感覚を抱いたことがあるはずです。

実はここからが、この連想ゲームのクライマックスです。まずは、あなたの最愛の人から始めましょう。彼や彼女には、自分という範囲をそれほど無理なく広げていけるでしょう。

そこからひとりずつ、家族や親類、友人、知人へとあなたを広げていってください。しばらくすると、当然、職場の人間や、SNSだけの知り合いなどにたどり着きます。

そのまま、

「どの人までなら、自分を拡張できるか?」

を想像してみてほしいのです。

もしかしたら、2人めか3人めで、早々に「これ以上はムリ!」とギブアップしたくなるかもしれません。反対に、100人、200人くらいなら、いとも簡単に広げられる人もいるでしょう。

どちらにしても、どこかで「こんなヤツには、絶対に自分を拡張できるはずがない!」と、考えるだけでも気分がわるくなるような人にぶち当たるはずです。

繰り返しますが、これはあくまで連想ゲームです。実際にその人たちをどうするかは置いておくとして、次のことをイメージしてください。

「もしこのまま、世界中の76億人すべてに対して自分の範囲を広げられたとしたら、自分を大切にするという概念はどう変わるだろうか?」

まさにジョン・レノンの『イマジン』の世界です(笑)。笑ってしまうかもしれませんが、夢物語ついでにもうひとついってみましょう。

「もしこのまま、人だけでなく私が暮らすこの環境、地球全体まで自分の範囲を広げられたとしたら、自分を大切にするという概念はどう変わるだろうか?」

おそらく、数か月前ならどちらもただの「きれいごと」や「たわごと」を引き出すための、くだらない質問に聞こえていたでしょう。

でも、新型コロナウイルスの感染という未曾有の事態のど真ん中にいるいま、私はこの2つの問いが、強烈なリアリティーを帯び始めているように思うのです。

ここで連想ゲームは終わりにして現実に戻りましょう。

76億人のことも地球のことも忘れて、もう一度、自分という個体に意識を向け直してください。私たちが生きているあいだに出会えるのは、ほんのわずかな人たちだけです。足を運べる場所も世界のごく一部に限られています。

この自分の半径2メートル以内に、「こんなヤツには、絶対に自分を拡張できるはずがない!」という存在がいることの意味を、真摯に考えてみてほしいのです。

あなたはいつもその人に悩まされていないでしょうか。その人に会ったり、その人を思い出したりするたびに、あなたの人生に暗雲がたれこめていないでしょうか。

だとしたら、彼や彼女まで自分という範囲を広げられるようにする試み、すなわち、

「赦す」

ことが、あなたのしあわせには不可欠といえないでしょうか。

あなたが自分を拡張した相手とはひとつにつながることができます。そして、この関係を築けた人たちとは、けっして自分を犠牲にすることなく、互いのしあわせに貢献できるようになります。

「広がりとつながりはイコールである」

と捉えてみてください。

そのうえで、もう一度、冒頭のこの言葉を眺めてください。

「私たちは、けっしてひとりではしあわせになれない」

最初に読んだときと、少し印象が変わっていないでしょうか。

やはり「ひとつ意識」をもつことは、究極の「自分を大切にする」選択だと私は考えます。

Photo by Satoshi Otsuka.


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