このブログで過去に何度か、あるテーマをもってその日を過ごす「一日チャレンジ」を紹介してきました。タイトルに「一日」が含まれているものだけでも、
「遊び感覚で一日中いい感じを貫いてみる」
「一日をいい感じで始めるための自分の整え方」
「何も知らない状態で一日を観察し続ける」
「いっさいの警戒を解いて一日を過ごしてみる」
「最高の一日を自分の意志で創造するメソッド」
「一日を平安に過ごすゲームにトライする」
このあたりの記事が見つかります。
今日はこのシリーズに最新作を加えようと思います。私もよくトライする「急がない一日の過ごし方」です。
少し自分の日常を振り返ってみればわかるように、私たちはいつも「時間に追われている!」という感覚の中で暮らしています。仕事の締切や自分で決めた目標の期限、電車の時刻、誰かとの約束など、タイムリミットに圧迫されながら生きているといってもいいでしょう。
まずは、このことが何を意味するかを確認しておきましょう。時間に追われているときの私たちはいつでも、無意識のうちに2つのことを同時にやろうとしています。
① 目の前のことを処理する。
② 迫り来る期限を強く意識する(次にやることを意識する)。
本来、何を行うにもしても②はまったく必要ありません。時間があろうとなかろうと、注力すべきは①の行動だけだからです。けれども、私たちはなぜか②を手放そうとしません。
ぜひ、これによって2つの負の影響がもたらされる事実に注目してください。
ひとつは、
「余計なエネルギーを消耗する」
ことです。
②とは未来の妄想、すなわち思考です。①の「目の前のことを処理する」だけでもかなりのエネルギーが必要なのに、②の妄想にもまた別のエネルギーを費やすとしたらどうでしょう。トータルの消費量は2倍かそれ以上になる可能性もあります。
しかも、冷静になって考えればすぐにわかるように、②は①を進めることにまったく貢献しないにも関わらずです。
そして何よりも、これこそが、「時間に追われる私たちはいつも疲れている」という現象の正体であることをしっかり認識してください。何のことはない、仕事に疲れているのではなく、未来の妄想にエネルギーを浪費しているだけなのです。
ふたつめの負の影響は、②を意識することによって、
「焦ったり慌てたりしてしまう」
ことです。
これも不思議な話なのですが、どうも私たちは「急げば手や頭の動きが速くなる」と思い込んでいるようです。
複数人で行動していて「時間がない!」と感じたとき、のんびりしているように見える人に対して「早くして! もう間に合わないよ!」などと急かせてしまった経験があなたにもあると思います。
その結果はどうだったでしょうか。たしかに、道を歩くくらいの単純な行動であれば、少しは時短できるかもしれません。
でも、たとえば、仕度の遅い家族に急ぐように言ったとしても、速度が画期的に上がることはまずありません。そればかりか、下手をすればもめ事になってしまい、出かける時間が大幅に遅れる事態にも発展しかねないのです。
仕事の場合でもこのことは変わりません。上がりを急がせれば荒削りでケアレスミスだらけのアウトプットが提出され、結局は修正に時間がかかるだけです。場合によっては、最後は自分で手直しするなどという、二度手間ならぬ、三度手間に陥ることもあります。
「急がばまわれ!」(Walk, Don’t Run!)
使い古された言葉ですが、最速を目指すのなら、しっかりと心に留めておきたい真理がここにあります。
どんなときでも最高の性能を発揮するのは、けっして焦ってなどいない、
「平常心の自分」
だということです。
では、これらのことを前提に、本日の「一日チャレンジ」を始めましょう。実際に行うことはとても単純です。
「何があっても、今日は絶対に急がないと決めて行動する!」
だけです。
できれば、通勤で駅やバス停に向かう道のりから始めてください。駆け足や早歩きは厳禁です。だからといって、あえて遅くする必要はありません。急ぐでもなく、ゆっくりでもなく、あなたにとっての「普通の速度」を見つけて淡々と歩いてみてください。
この徒歩のリズムを覚えておいて、その後も駅の階段の上り下りや、電車の乗り換えも同じテンポで行います。
もし、今日という日に運よく(笑)、 何かの予定や約束の時間に遅刻しそうになっても、絶対に急がないでください。先方にメールか電話をして、少し遅れる旨を伝えておきます。そうしておいて、同じく「普通の速度」で歩いて目的地に向かいます。
いつものあなたなら、ここで条件反射のようにダッシュを決め込むはずです。息を切らしながら待ち合わせ場所に駆け込み、流れる汗を拭きながら会議や会合に参加することでしょう。
この状態では間違いなく、正常な判断をしたり、いいアイデアを発案したりすることはできません。つまりあなたは、時間どおりにそこに到着できたとしても、回復するまでの何分か何十分かは使いものにならないということです。
だとしたら、「もう遅れる!」と腹をくくって、その場に加わわった瞬間にいつものあなたでいるために、「普通の速度」で向かうのもわるくない選択だと思います。今日、その機会があったら、ぜひ試してみてください。
あとは、あらゆる仕事はもちろん、昼食、トイレ、休憩、会話など、すべてのことを「絶対に急がない!」と決めて行います。相手の発言を遮って反論するなどということは、今日に限ってはやめておきましょう。
完璧でなくてもかまいません。なんとか実行できたと思ったら、一日の終わりに次のことを確認してください。
・ 急がないことで、いつもより処理や行動が遅くなったか?
・ そもそも、自分のスケジュールが「急ぐ前提」になっていなかったか?
もし、速度に関して「大差がない」または、「やや遅くなるくらい」であれば、先の「エネルギーの消費」をしないメリットを取って、このチャレンジを続けるという選択もできます。
結果が「なんと、早くなった!」と出る可能性も大いにありえます。なぜならば、急がないことによってあなたは「いまここ」で目の前のことに集中できるからです。この体験ができたなら、迷うことなく明日も続行です。
あなたのスケジュールが「急ぐ前提」になっていることに気づけたとしたら、バックナンバー「時間はなくなったり無駄にできたりするのか」で書いた、
「できるだけ多くのことを実行したり、体験したりする人生のほうがしあわせ!」
という価値観を手放す絶好のチャンスです。
同じく、この記事にある、
「人生をこのための時間、また別のこのための時間とぶつ切りにしながら、無数の終わりを自分で設定し、結果として、時間が足りないという不安を自分自身にもたらしている」
について思いを巡らせてください。
グッドバイブスも「平安な心」も、「時間に追われている」意識とは真逆のところにあります。おそらく、急いだり焦ったりしている私たちは、「上滑りの世界」に住んでいるのだと思います。
これに対して、「いまここ」とは、
「手応えを感じられる世界」
にほかなりません。
ぜひ、今日のチャレンジをとおして、どちらが私たちにとって優しく、楽しく、しあわせな世界かを、ゆっくりと考えてみてください。
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