「社会時間」と「自分時間」の二刀流でいく

これまで、このブログでは「いまここ」にいるためのさまざまなメソッドを紹介してきました。とくに私がこだわっているのは、

「仕事や家族との会話など、人生の現場でいまここを実践する」

という点です。

たしかに、ひとりで自分の部屋に静かに座って、過去や未来について妄想しないようにするなどのトレーニングも有効です。

でもやはり、文章を書く、セミナーで話す、楽器を演奏する、人に会うといった、日常の活動の中で「いまここ」の恩恵を享受したいと思うのです。

そこで私は、3つの「現場でできること」を推奨しています。

① 終わりを気にせずにやる。
② ゆっくりていねいにやる。
③ いま目の前にあること以外に、いっさいの関心や興味をもたずにやる。

どれも、その気になりさえすれば、誰でも、いつどこでもできることばかりです。

ただ、この方法をすすめた人たちから、「とはいっても、時間の制限があるのは事実。その中でこの3つを実践するのは難しい」という意見が寄せられることも少なくありません。

そこで今日は、「いまここにいるための、自分時間の創り方」について書いてみようと思います。スケジュールや約束などの縛りの中で、どうすれば時間という概念から解放されるかの具体的な方法でもあります。

まずは、次の問いについて考えてみてください。

「私たちは、どのようにして時間というものを感じているか?」

私たちの身体の中には時を刻む機能などありません。「体内時計」という言葉も耳にしますが、そのような感覚は生まれたときから備わっていたのではなく、時間に沿って生活していくうちに、自然と身についたものではないでしょうか。

たとえば、あなたが100日の有給休暇をもらったとします。さらに、実際にはそんな場所などありませんが、この間ずっと、「一日中、夜にならない昼間だけの島」で暮らすとします。もちろん、何もせずにただボーッとしているだけです。

ぜひ、リアルにイメージしてみてください。この状況にいるあなたは、何日くらい時間を感じていられるでしょうか。

あくでも想像ですが、おそらく3日もたたないうちに、何分、何時間、何日といった感覚は次第に薄れていき、10日もすれば、ほぼ完全に時間の概念はなくなってしまうはずです。

この話をヒントに先の問いに答えるなら、私たちが時間を感じるためにはまず、

・時計
・昼夜の変化

などが必要です。時計を見て「あ、もう5分たった」ことを知り、日が沈んであたりが暗くなったのを見て「もう日暮れだ。5時くらいかな」と気づきます。

つまり私たちの時間の概念は、自分の外側にある「基準や計り」によってもたらされるということです。

でも、これだけではまだ十分ではありません。時を刻む計器を見ても、そこに何らかの意味が付加されていなければ、ただの数値やメーターにすぎないからです。

それはまるで、自分の歩数にまったく興味のない人にとっての万歩計のようなものです。たまたまインストールしたアプリで「あ、いま100歩なのね」と知ったとしても、その数字が彼の行動に影響することはありません。

私たちが時間を感じるためには、もうひとつ決定的な要素、

・期限

が必須なのです。

私たちはいつも、2つの「期限」を意識しながら暮らしています。ひとつは、締切や約束などの短期的で、何度も繰り返しやってくる区切りです。

そしてもうひとつが、

「人生の終わり」

という、誰もが逃れることのできない終止点です。

つまり時間とは

「私たちが終わりを想定したときに必要な、何かを行える残量を知るための基準」

だということです。

もちろんこれは、科学における時間の定義とは異なります。けれども、「終わりへのカウントダウン」こそが、日々の生活の中で私たちが感じている時間そのものではないでしょうか。

私はこのような時間を、

「社会時間」(自分の外側にある時間)

と呼んでいます。

いうまでもなく、職場であろうと家庭であろうと、この「社会時間」と無関係に生きられる人はまずいません。

どれだけ「いまここ」にいようと努力したとしても、5分後に次の予定が入っていれば、目の前のことを中断して、そちらに向かうよう強いられるのです。

そこでまずは、次のことを心から受け入れます。

「人生には期限や約束という区切りが数多くある。それに抵抗はしない!」

13時から15時までミーティングと決まっているなら、その前に何をしていようとも、いっさい抗うことなく時間ピッタリに会議室に入ります。

重要なのはここからです。あなたには2つの選択肢があると考えてください。ひとつはいつもの、

「社会時間を意識して、2時間をうまくやりくりしながらミーティングを行う」

というやり方です。

あなたは、数分ごとに時計を確認しながら、「残り30分だから、このことについて提案するのは次回にしたほうがよさそうかな?」などと、「社会時間」に沿った行動や発言をするでしょう。

この状況では、冒頭の意見「とはいっても、時間の制限があるのは事実。その中でこの3つを実践するのは難しい」は、まさしく現実ということになります。

そこでふたつめの選択肢です。所要時間は2時間と決まっている中で、それでも「いまここ」にいるためには、

「13時の始まりだけ意識したら、そこから先は時間の概念を消し去ろう!」

と決意して臨むのです。

気持ちだけでなく、具体的な行動として、

・ 絶対に時計を見ない!
・ 2時間という制限を忘れる!

の2点を実行してみてください。

この瞬間に、あなたの中で時間の感じ方が大きく様変わりします。多くの場合、それはゆったりと、そして穏やかに流れるような感覚です。

同時に、視覚や聴覚などの五感がより多くの情報を捉えられるようになる、「高解像度」な自分がいることに気づくでしょう。

この状態を私は、

「自分時間に入る」

と呼んでいます。

そもそも時間の概念を消し去っているので、「自分時間」というのも矛盾していますが、「社会時間」と区別するとともに、流れ方が変わった時間を体験できるという意味で、このように名づけました。

「自分時間」に入ることができれば、「いまここ」にいるための準備は完了です。そのまま、先に挙げた3つのメソッドを実践してみてください。

①の「終わりを気にせずにやる」は、ここまでですでにクリアされています。②の「ゆっくりていねいにやる」も、まさにいま感じている時間に身を委ねることで、自然とそうしたくなるでしょう。

あとは、先のことを考えずにいさえすれば、③の「いま目の前にあること以外に、いっさいの関心や興味をもたずにやる」も簡単にできてしまいます。

会議のファシリテーションや、もち時間が定められたプレゼンを行う場合など、時計を見ずにはできそうにないこともあります。それでもこのやり方に慣れれば、「自分時間」のままでほぼ時間どおりに終わらせられるようになります。

実際に私は、セミナーやパーソナルセッションの際に、終了が近いと「感じる」まではまったく時計を見ないようにしています。それでも、大幅に時間が押すなどということはありません。

なぜならば、私以外の人はまず間違いなく時計を見ているからです。終了時刻が近づいてくると、誰かがかならず「ソワソワ」とした気配でそれを教えてくれます。

ややずるいやり方ですが、私はそれを「感じた」ときに初めて時刻を確認して、「いまここ」にいた「自分時間」から「社会時間」に戻ることで、うまく帳尻を合わせているのです。

もう一度、まとめておきましょう。やるべきことはいたってシンプルです。

「期限や約束などの区切りだけは社会時間に合わせて動き、いざ何かが始まったら自分時間に入って、時間の概念を捨てる」

たったこれだけです。二刀流のように時間を使い分けると考えてください。

ひとりで何かを行うときは、スマホなどでアラームを設定しておけば、次の「社会時間」がくるまでのあいだ、思う存分「いまここ」にいられます。

デートや飲み会などの少人数の集まりなら、同席した人に、次の場所に移るタイミングや、終わりの宣言を委ねておけばいいでしょう。

「締切が迫っていたらどうするの?」という疑問が浮かんだら、焦ったりテンパったりしているときの行動をよく思い出し、

「いまここにフォーカスする以上に、スピードを速める方法はない!」

と自分に言い聞かせてください。

「急がば回れ」ならぬ、「急がば自分時間で!」ということです(笑)。

Photo by Satoshi Otsuka.