「意味づけ」は人生にそのまま反射してくる

バックナンバー「グッドバイブス総集編① イリュージョン」で書いたように、私たちに「恐れや不安」を抱かせ、負の感情を湧き起こす「イリュージョン」には次の3つがあります。

① 意味づけ
② 過去と未来の妄想
③ 罪悪感

このすべてについて、頭の中で創り出すことをやめさえすれば、私たちは本来の自分、すなわちグッドバイブスで、しあわせで、いつでも「愛のある選択」ができる自分に戻れるのです。

それぞれを手放す方法は、拙著『グッドバイブス ご機嫌な仕事』やこのブログで繰り返し書いてきました。でも、多くの人が「やめたほうがいいと頭ではわかっているが、どうしてもやってしまう」という得体のしれない壁に、その取り組みを阻まれているようです。

ここでなんとか踏みとどまるためには、2つのことをしっかりと認識しておく必要があります。ひとつは、あなたに3大イリュージョンを創り出せと命じるのは、どんなときでも、

「自我」

であるという事実です。

自我とは何かについては、バックナンバー「総集編③ 自我はグッドバイブスが大嫌い」や「自分をもろくて儚い存在とみなす自我の正体」を再読してください。

もっとも注目すべきは、

「自我はあなたに、恐れや不安を手放さず、悩み続けることを望んでいる」

という点です。

あなたがグッドバイブスでいようとするあらゆる取り組みに、自我は猛烈に抵抗してきます。「どうしてもやってしまう」のも、「気づくともとの状態に戻ってしまう」のもこのためです。

だからこそ、自分に負の感情をもたらす妄想をし始めたら、即座に、

「これは自我の誘惑に違いない!」

と気づいて、それに負けない習慣を身につけることが大切なのです。

2つめに認識しておきたいのは、3大イリュージョンが単に悩みを生むだけでなく、

「あなたの人生を、現実として望ましくない方向に変えてしまう」

という最大の弊害についてです。

今日はそれがどういうことかを、「意味づけ」を例に見ていこうと思います。
「意味づけ」とは、

「そうでない可能性があるにもかかわらず、そうであると結論づけること」

です。

もう少し具体的に、

「自分に都合よく思える方向に、現実を塗り替えようとする行為」

と言い換えてもいいでしょう。

私たちは、自分の人生で起こる出来事に対して、いつも何かを期待しています。それなりに努力をしたら「きっと評価される!」と思うし、旅行の計画を立てれば「楽しい時間ばかりになる!」ことを望みます。

ところが、いざそれを実行してみると、自分の思惑とはまるで違う「期待外れ」な現実に、数多く遭遇することになります。

このとき、私たちの中に、

「期待 ≠ 現実」

という大きなギャップと葛藤が生まれます。

そもそも、「期待」とは私たちが頭の中で行う想像にすぎません。これに対して「現実」は「本当に起こったこと」です。

もしこの2つが食い違ったのなら、想像、すなわちイリュージョンである「期待」のほうを引っ込めてしまえば、葛藤はなくなるはずです。

けれども、私たちはその選択をまったく快いとは思いません。自分が大事に温めてきた「期待」こそが優先されるべきと考えるからです。

そこで、こともあろうか、

「思いどおりにならなかった現実の見え方を変える!」

という暴挙に出るのです。何を隠そう、これが「意味づけ」の正体です。

イソップ物語の『すっぱい葡萄』は、まさにこのおかしな「葛藤の解消法」について書かれた話だと私は解釈しています。

葡萄の木を見つけたキツネは、すぐに「アレが自分のものになる」と期待します。ところが、どれだけジャンプしても葡萄に届かないという現実に直面し、「期待 ≠ 現実」の葛藤に悩まされます。

そこで、キツネは「あの葡萄はすっぱくてまずいに違いない!」と、現実を塗り替えることで心のモヤモヤを解消して、その場から去って行くわけです。

物語ではなく、よくある日常の場面に置き換えてみましょう。あなたの職場に、ことあるごとに意見の対立する同僚のAさんがいたとします。

ある日、あなたが「このほうが効率よくこなせる」と考えた仕事の進め方を部署内で提案したところ、Aさんの猛反対にあってせっかくのアイデアがボツになります。

あなたには、メンバーから「いいね、やってみよう!」と、自分の案に賛同してもらえるという「期待」がありました。けれども残念なことに、Aさんがいたことで、それを「現実」にすることはできませんでした。

「期待 ≠ 現実」の葛藤を解消するために、あなたは次のように現実を操作します。

「アイツはとんでもないバカだ!」

誰もが、過去に一度や二度はやったことがある「意味づけ」ではないでしょうか。

『すっぱい葡萄』と同様に、そうすることで少しは自分の気が晴れるように見えますが、グッドバイブスの視点では、この行為によって2つの弊害があなたにもたらされることになります。

ひとつは、言い争いなどの事件が起こらなくても、「アイツはバカだ」と「意味づけ」したAさんに会うたびに、不快な気持ちになってしまうことです。

「意味づけ→イリュージョン→恐れや不安→苦悩」

という、拙著でも書いた、私たちに悩みをもたらす基本の流れです。

でも、弊害はこれだけではありません。私たちが行った「意味づけ」は、何らかの形でかならず自分の人生にはね返ってくるのです。

自分の意に反する言動をする人は、Aさんだけとは限りません。Bさん、Cさん、Dさんと、長く生きていればいるほど、あなたと馬が合わない人物は増えていきます。

そのたびに、「アイツもコイツも、みんなバカばかりだ!」と「意味づけ」をし続けたらどうなるかをイメージしてみてください。

間違いなく、そのような人だらけの職場にいることを、心の底から辛いと感じるでしょう。渡る世間は鬼ばかりに見えるようになるでしょう。最後には、バカな人間たちを自分から隔離して暮らしたいと思うようになるかもしれません。

さらにいえば、この「意味づけ」が習慣化すると、初対面の人に出会うたびに、あなたは「バカか、そうでないか?」をジャッジせずにはいられなくなります。

そうなれば、厳しい裁定者であるあなた自身も、この「意味づけ」から逃れられなくなるのは必然です。その結果、あらゆる人に対して、

「自分はバカだと思われていないだろうか?」

という「恐れや不安」を抱くことになるのです。

この、「意味づけ」の弊害が自分にはね返ってくる様子を私は、

「意味づけの反射」

と呼んでいます。

もしあなたが、「人から嫌われることが恐い」という悩みをもっているとしたら、まずは「意味づけの反射」が起こっていないかを疑ってください。

たとえば、こんな例も要注意です。部下から嫌われる上司のタイプに、「言うことがコロコロ変わる」というのがあります。

それなりの時間と労力をかけながら仕事を遂行してきて、「そろそろ終わる!」と期待していたのに、「あ、それはもういいから、こちらを先にやって!」などと、突如として方針を変更する人です。

せっかくの苦労を無にされたと、現実に不満をもった部下はここで、

「なんて優柔不断で、一貫性のないダメな上司なんだろう!」

と「意味づけ」をします。

飲みの席などで、他の同僚たちとその話題で盛り上がりながら、「葛藤の解消」をすることもあるでしょう。

では、そんな自分が辞令をもらって彼と同じ管理職になったとします。あなたは部下に「これをやってくれ」と指示を出していましたが、あるとき、経営陣からいますぐ方向を修正するよう促されてしまいます。

もちろん、先のダメと「意味づけ」した上司には、説明不足でやり方が乱暴、日ごろから部下とのコミュニケーションができていないなどの問題があったことをあなたは知っています。その点は改善する努力をしているでしょう。

それでも、「あ、それはもういいから、こちらを先にやって!」と、同じことを頼まざるをえない場面で、

「自分も優柔不断で、一貫性のないダメな上司と思われないだろうか?」

という「恐れや不安」を抱えずにいられるでしょうか。

もう一度、「意味づけ」の弊害をまとめておきます。まずは、

「意味づけ→イリュージョン→恐れや不安→苦悩」

という、あなたに悩みをもたらす基本の型です。

次に、人生を苦手な人、嫌いな人、恐い人で埋め尽くしたり、「バカだと思われること」が恐くなったり、行動を著しく制限されて自由を奪われたりする、

「意味づけの反射」

です。

「どうしても意味づけが手放せない」と感じたときは、「頭ではわかっているけど」の中身に、本当にこれらのデメリットがしっかりと入っているかを確認してください。

イリュージョンを創り出さないという選択ができるかどうかは、あなたの「意志」にかかっています。「できない」と感じるときは、例外なく「自我」の誘惑に負けてその意志を折られたと考えてください。

だからこそ、毎回、毎回、今話で書いた数々の弊害を思い出しながら、「絶対に、そちら側には墜ちないぞ!」と、強い意志を発揮することが、この取り組みを成功に導く最大の鍵になるのです。

Photo by Satoshi Otsuka.

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