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総集編③「自我はグッドバイブスが大嫌い」

グッドバイブス年末特集の第三弾は、

「イリュージョンを生み出す自我と決別する方法」

についてまとめてみようと思います。

総集編の第一話で書いたように、

「絶対不変の価値と、創造力を携え、しあわせな存在、グッドバイブスな存在としてこの世界に誕生した」

はずの私たちは、いつしかそのことを忘れ、自分を苦しめるようなイリュージョンを、自らの意志で創り出すようになります。

いったいなぜ、そのような「おかしなこと」をやり始めてしまうのでしょうか。私はその理由を、成長するに従って私たちの中に居座るようになる、

「自我という名のもうひとりの自分」

にあると考えています。

それは、自分自身を次のように認識したときから、次第に大きくなっていきます。

「全身の皮膚を境界線として、身体の内側だけが自分である」

ごくごくあたりまえの、異論をはさむ余地もない、一般的な捉え方です。

つまり私たちとは、サッカーボールとまったく同じ「モノ」であるということです。モノは時間の経過とともに劣化して、次第に形を失っていきます。

だとすれば、

①「私たちは、外的な要因によってすぐに傷つき、いつかは朽ち果ててこの世から消える、もろくて儚い存在である」

ということになります。

また、2つのサッカーボールは合体したり融合したりしません。あるモノと別のモノは、永遠に分離したままです。

当然、この特性も自分自身に適用され、

②「私たちは、他の人からは完全に切り離された、孤独な存在である」

と考えるようになります。

ぜひここで、①と②のように自分を認識している私たちが、何を感じて生きるようになるかをリアルにイメージしてください。

まずはこう思わずにはいられないでしょう。

「私はとても弱い存在だ。そして、自分とは異質の恐い人たちに囲まれている」

次に、この危険な状況を乗り切るために、

「いつでも最悪の状況を想定して、備えを怠らないようにしなくては!」

という、生き残り作戦を立てたくなるはずです。

こうして私たちは、出来事や他人の言動にはなるべく望ましくない「意味づけ」を行い、できるだけよくない「未来の予測」をし続け、被害を受けそうな振る舞いには「罪と罰」のラベルをつけながら、なんとか自分の身を守ろうとします。

これこそが、本来しあわせな存在であったはずの私たちが、あえて自分に苦悩をもたらすイリュージョンを創る唯一の理由なのです。

その正体は、自分を「身体」や「モノ」とみなしたことによって生まれる、

「自我の誘惑」

です。

自我はいつでも、私たちにこうささやきかけてきます。

「安心してはいけない、気を抜いてはいけない、何かを信じてはいけない。悩みと不安を抱えているほうが安全だ。現実を悲観的に見ておくほうが身のためだ!」

グッドバイブスとは、自我という「もうひとりの自分」を黙らせ、冒頭に書いた「しあわせな自分しかいない状態」に戻るための取り組みにほかなりません。

そしてそれは、「全身の皮膚を境界線として、身体の内側だけが自分である」という大いなるイリュージョンを疑うところから始まります。

3年前に、新海 誠監督の『君の名は。』という映画が大ヒットしました。ここでは主人公の男女に、意識は男性でありながら身体は女性、意識は女性でありながら身体は男性という、「入れ替わり」の現象が起こります。

私も含めた多くの人がこの映画を楽しんだことと思います。でも実は、話の中で起こっていることは、ふだんの自分に対する認識から大きくかけ離れています。

もし、「身体が自分」だとしたら、女の子の意識と男の子の身体をもつ人は、自分を「男の子」と感じなければつじつまが合いません。

ところが、映画の中では、立花 瀧の身体と入れ替わったにもかかわらず、宮水三葉は依然として「女の子」として振る舞います。

すべてはフィクションにすぎません。でも、いっさいの違和感なく『君の名は。』の「入れ替わり」を観られたとしたら、もしかしたら私たちは、身体ではなく、

「意識こそが自分の本体である!」

ことを、心の奥底で知っているのかもしれないのです。

「意識」とは「私は倉園である!」という、形のない思いのようなものです。それが何であるかは、私にもさっぱりわかりません。

「意識も身体の一部である脳の働きによるもの」という説もあるでしょう。そこで、私はこの1年間、子どもを出産したことがある女性に、手当たり次第に次のようなインタビューを慣行してみました。

「あなたのお子さんは、お腹の中でいつから意識があったと思いますか?」

人によってその時期はさまざまでしたが、なんと、「まだ身体の形をしていない豆粒くらいのときから、ボクは、ワタシはここにいると呼びかけられていました」と答える人が少なくなかったのです。

もちろん、単なるお母さんの思い込みである可能性は、まったくもって否定できません。どちらにしても、少なくとも私が生きているあいだに、この話の真偽が完璧に証明されることはないでしょう。

あとは「自分をどのような存在とみなしたいか?」という、それぞれの感性に従うしかありません。

私は、拙著『グッドバイブス ご機嫌な仕事』の執筆を始めたときから、「意識こそが自分の本体である!」という生き方を選択することにしました。

なぜならば、

①「私たちは、外的な要因によってすぐに傷つき、いつかは朽ち果ててこの世から消える、もろくて儚い存在である」
②「私たちは、他の人からは完全に切り離された、孤独な存在である」

という前提では、あらゆる悩みから解放されることも、完全無欠のしあわせを得ることもできないとわかったからです。

「身体が自分の本体」だとすれば、私たちはもっとも生産性の低い状態で生まれてきたことになります。そこからは、勉強をしたり、各種のスキルを身につけたり、経験を積んだりしながら、自分の価値を高める努力を始めなくてはなりません。

けれども、この「右肩上がりの上昇志向」には、ある年齢を境に「右肩下がりの劣化」に変わるという、逃れられない宿命が待ち受けています。いつかかならず、生まれた瞬間の生産性ゼロ、価値ゼロの状態に向かうということです。

当然ですが、人生をこのように捉えることによって、私たちは次の3つの事柄を受け入れなくてはならなくなります。

1)私たちは次第に、価値の高い人間と、価値の低い人間に分類されていく。
2)どれだけやっても上には上がいる。あとづけの価値を得る旅に終わりはない。
3)人生の最後には決まって、価値ゼロの状態に戻らなくてはならない。

先に書いたように、すべてはそれぞれの感性に委ねられています。たしかに私も、10年ほど前までは、これが現実と信じて暮らしていました。あとづけの努力も積み重ねてきたし、過酷な価値の争いにも挑んできました。

けれどもいまは、どうあがいても「恐れや不安」を生み出すしかない世界を、あえて自分の意志で選択しようとは思いません。

グッドバイブスを書き終えた私は、自分と他の人々を次のように見ています。

「私たちはみな、価値MAXの状態で生まれた。この価値は、その後の行動によっても、歳をとることによっても、絶対に変わることはない!」

このような発想を、安易な現実逃避と感じる人もいるでしょう。ぜひ、自我のささやきによって「恐れや不安」を抱くあなたと、私がいうところの「本来の自分」を取り戻したあなたと、どちらが平安であるかを想像してみてください。

「平安」の意味がよくわからなければ、ガチガチに緊張した自分と、完璧にリラックスした自分との違いをイメージするのがいいでしょう。

この10年間の実践を根拠に断言しますが、「平安な心」でいる私たちはあらゆる面で最強です。

悩みに心を支配されて停滞する時間もありません。すべてのことを最速で実行できます。もちろん、自分にとっての最高品質でです。判断力も冴えわたります。相対的な比較をしながら、自分の価値を疑う必要もありません。

他の人が敵に見えないこの世界では、攻撃の応酬をしながら自分の住む世界を狭めていくこともありません。そして何よりも、自由でいられるようになります。

この、自分の個性と役割を存分に発揮できる最強の状態にいたいから、私はグッドバイブスの取り組みを続けているだけです。けっして厳しい現実から逃げることが目的でははないのです。

総集編なのでまとめましょう(笑)。

本来しあわせであるはずのあなたが、少しでも平安を失ったと感じたときは、自分にこう言い聞かせてください。

「いま、私は自我のささやきのせいで、この世界を過酷で危険きわまりないものと見ようとしている。このままいくと、八方ふさがりの底なし沼に落ちてしまう。さあ、イリュージョンをかき消して、価値MAXで最強な自分に戻ろう!」

あなたの中には、いつでも「ふたりの自分」がいます。

A:傷ついたり損なわれたりしない、意識を自分とみなす「本来のあなた」
B:もろくて儚い身体を自分とみなし、いつも怯える「自我に囚われたあなた」

どちらにいるかは、パーセントや割合ではなく、ゼロかイチかの二者択一です。

私はいつでも、Aだけが現実で、Bはイリュージョンと捉えています。このブログで繰り返し書いてきたように、イリュージョンは「無」です。

現実が「無いもの」に負けるはずがありません。これさえ確信できれば、グッドバイブスの取り組みは、あなたにとって呼吸をするくらい自然なことになるのです。

ぜひ、一日でいいので、

「できるだけ身体のことを忘れて生活する」

という実験をしてみてください。

「疲れてないか?」「どこか痛くなってないか?」などの心配をすべて手放して、「私である」という意識だけでその日を過ごします。身体に快感を与えることを、いっさい気にしないようにするのもありです。

ある意味、クリスマスの今日は、これを試すにはうってつけだと思います(笑)。

最後に、自我は何よりもグッドバイブスの考えを嫌います。もしあなたが平安になってしまったら、自我はもう存在できなくなってしまうからです。

さまざまなメソッドに抵抗を感じたときも、「ああ、自我がやめろと言ってるな」と疑ってみてください。

イラスト:大橋悦夫