総集編④「いまここにいるための五つの話」

本年、最後の投稿となる明日まで、5日連続で年末特集をお届けしています。4話めとなる今日のテーマは、グッドバイブスの真髄ともいえる「いまここ」です。

ただそこにいるだけで、平安としあわせを得られるはずなのに、多くの人から、

「何度もトライしているけど、やっぱりいまここにいるのは難しい」
「過去や未来のことを考えずにいるなんて、絶対にムリ!」

という意見が寄せられる、ある意味で不遇のメソッドでもあります(笑)。

そこで今日は、拙著『グッドバイブス ご機嫌な仕事』やこのブログで書いてきたことから、「いまここ」の何がすごいのか、どうすればそこにいられるのかを、5つの話にまとめてみようと思います。

① いまここには、いっさいの「恐れや不安」がありません。

私たちに悩みをもたらす二大源泉は「過去」と「未来」です。

自宅に帰ったあとも、職場であった嫌なことについて考えてしまう。どうしてそちらを選んでしまったのかと後悔する。なぜ、あんなミスをやらかしたのかと自分を責める。これらはみな「過去」を振り返ることで生まれる苦悩です。

明日に控えた苦手な人との会合が気になって仕方ない。仕事が期限に間に合うか心配になる。自分の将来のことを考えると、得体のしれない不安が押し寄せてくる。すべては「未来」を予想することで生まれる苦悩です。

けれども、私たちはそのどちらの時間に行くこともできません。なぜならば、過去も未来も私たちが頭で創り出したイリュージョンだからです。

どれだけそれを思い出したくても、起こった出来事も含めて過去はもう存在していません。どれだけ先のことを予想したいと思っても、それを行う未来は実在しないのです。

しかも、私たちは過去や未来について、けっして「いいこと」を考えようとはしません。なぜならば、「いいこと」を思い出したり、予想したりしても、「やるべきこと」が何も出てこないからです。

「よくないこと」を想像するからこそ、それを反省して改善するなり、危機を回避するための対策を練るなりできると、私たちは信じています。たとえ、その想像が「恐れや不安」をもたらすとしてもです。

まずは、この不毛な戦略を手放してください。そもそも存在しない時間について考えることに、いっさいのメリットはありません。過去の嫌な記憶は大きく脚色されているし、望ましくない未来の予測もたいていは大ハズレに終わります。

「過去や未来について考え始めた自分に気づいたら、即座にそれを手放す」

これが基本の型です。

これだけで私たちは「いまここ」にいられるようになります。考えることをやめれば、イリュージョンも消えます。だから「いまここ」には「恐れや不安」が存在しないのです。

② いまここにいさえすれば、疲れることはありません。

私たちが疲れる原因は2つあります。ひとつは「身体を動かす」ことです。腕立て伏せをすれば筋肉が疲労するように、身体を使えばその分だけ消耗します。

でも、好きなスポーツをしたあとや、クラブで楽しく踊ったあとの疲れなら、たいていは食事や睡眠を摂ればすぐに回復します。

どれだけ休んでも、慢性的に「だるい……」と感じるのは、身体を動かしたからではなく、頭を使って「思い悩む」からです。これがもうひとつの疲れる原因です。

一心に目の前のことに集中する人を見て、「あれでは疲れてしまうよなぁ」と思ったとしたら大きな誤解です。

①で書いたように、「恐れや不安」がなく、思い悩む必要もない「いまここ」にいさえすれば、疲れを感じることもなくなるのです。

③ いまここは、私たちの正しさを塗り替えてくれます。

私たちは「過去の経験」をもとに「未来を予測」しようとします。一度でも手痛い失敗をすれば、それを理由に「次もきっとうまくいかない」と考えるわけです。

これによって私たちは、

「未来を過去と同じ色に塗りながら、不自由な世界を創り出す」

ようになります。

「できなかった→次もダメだろう→だからやらない→前もやらなかった→だから今度もできない」が延々と繰り返される、無限のループに巻き込まれるといってもいいでしょう。

もしあなたが、実際には存在しない過去や未来のことをいっさい考えなければ、やらない理由も、できない理由も完全に消え去ります。

その状態のまま「いまここ」に飛び込むことで、それまで苦手に思っていたことを、少しでも前に進められたとしたらどうでしょう。

そもそもこの世界では、まったく同じ繰り返しが起こることはありません。ぜひ、海の波、空の雲、風の流れ、天気の変化を凝視してください。

数日前のあなたといまのあなたは別人です。まわりにいる人たちも、あなたを取り巻く環境も、空気も温度もタイミングも、何もかもが以前とは異なっています。

私たちを自由にしてくれる「いまここ」を信じてみてください。それは、

「過去の苦い経験によって固まってしまった、できない、嫌い、苦手といった、あなたの正しさを塗り替えてくれる時間」

でもあるのです。

④ いまここは、たったひとつのことしかしなくていい時間です。

「いまここ」の話をすると、かならず寄せられる質問があります。

「それでは、一度にひとつのことしかできなくなりませんか!」
「目の前のことに夢中になりすぎたら、ほかのことがおろそかにりませんか?」

たとえば、「いまここ」で掃除や炊事に集中しなければ、その時間を有効に使って、明日に職場で行うプレゼンの中身や、夜に書くブログのネタを思いつけるという発想です。

これを私たちは「マルチタスク」と呼んでいます。でも残念ながら、私たちにそんなことができるという考えは、大いなるイリュージョンです。

「いまここ」で行えることは「ひとつ」しかありません。掃除をしながら企画書のアイデアを発案したとしても、現実の行動といえるのは「掃除」だけです。

同時に進めているように見える「企画書」は、この時点ではまだ未来の行動であって、いまそれを作成しているわけではありません。実際にはアイデアの想起ではなく、ただ「近い将来にやることについて漠然と考えている」だけなのです。

マルチタスクに見えるすべてのことは、ほぼ例外なく、

「現実の行動+未来の予想」

という構造になっています。

しかもこのときの「現実の行動」は、「未来の予想」にエネルギーもっていかれることで、確実に質の低いものになります。

ぜひ、私たちが一度に「ひとつのことしかできない」のはラッキーなことだと思ってください。「現実の行動」だけに専念できるからこそ、高品質なアウトプットを、最高の速度で生み出せるのです。

この事実を受け入れることが、「いまここ」にいるための最大の秘訣です。

「いま目の前にあること以外に、いっさいの関心や興味をもたない!」

と決意して、すべてのことを行う習慣をつけてください。

先のことが気になるのはわかります。けれども、何かを実行しながらできるのは、その行動の質を落としつつ、あまり意味のない「未来の予想」をするくらいです。

企画書のアイデアはパソコンに向かってから考えてください。ブログの執筆も同様です。別のことをやりながら頭に浮かんだものが、珠玉のネタとはかぎりません。

それよりも、「いまここ」で「現実の行動」を始めたとき、書きながら、創りながら浮かぶ言葉を信じてみてください。私もいままさに、準備レス、アイデアレスで、リアルタイムに閃きながら書き進めています(笑)。

⑤ いまここだけに、私たちが望んでいた報酬があります。

私たちは小中高の学校時代に、いやというほど「未来報酬型のしあわせ」を叩き込まれてきました。

勉強をしていい成績を取ればほめられる、努力して有名な志望校に合格すれば賞賛を得られる。すべては、何かを行った先に待っているご褒美です。

社会に出てもこの教育の影響は、私たちの中に根強く残り続けます。仕事でいうならば、月末の給料や年に二度のボーナス、昇進や昇給などが、未来に得られる報酬といったところでしょうか。

断言しますが、「未来報酬型のしあわせ」の考え方に沿って何かを行えば、必然的に、すべてのことを、

「早く終わらせたい!」

と思うようになります。

ご褒美はいつでも、いまやっていることが完了したあとに待っています。「宿題を終わらせたらおやつを食べていい」と親に言われた子どもと同じように、あなたも、目の前の仕事をとっとと片付けてしまいたいと考えるはずです。

これによって私たちは、自分の行うあらゆることが色褪せて見える、2つの要因を創り出すことになります。

・ いまやっていることを、未来に報酬を得るための手段と捉える。
・ 早く終わらせようとすることで、アウトプットが粗雑になる。

ただの手段であると同時に、自分が出した成果を見ても満足できないとしたら、それをしながら「楽しい!」「やりがいがある!」と感じられるはずがありません。

この状況を一変させることが、「いまここ」にいるための最後のメソッドです。

「終わりを意識せず、ゆっくりとていねいにやる」

この習慣を身につけることで、幼いころから教え込まれてきた「未来報酬型のしあわせ」を、あなたの人生から叩き出してください。

実際には存在しない、未来に置かれたご褒美はイリュージョンです。現実の時間である「いまここ」にこそ、私たちが本当に望む報酬があるのです。

それは、あなたが目の前のことだけにエネルギーを費やした瞬間に、リアルタイムでやってき続けます。

たとえば、「おお、いいじゃない!」と思える手応えや、「ずっとこれを続けていたい!」と感じる喜び、そして「私はたしかにここに存在していて、この素敵なものを創造できている!」という実感です。

あなたが生まれて初めてクレヨンで絵を描いたとき、積み木の家を創ったとき、おもちゃのピアノに夢中になったとき、公園を駆けまわったとき、プールで泳いだときの、あの感覚を思い出してください。

未来の報酬など頭の片隅にもなく、ただ、目の前にあることから、その行動自体から、あなたがもっともほしいと思うご褒美をもらっていたのではないでしょうか。

大人になれば、それを欲する気持ちが消えてなくなるなどということは、絶対にありえません。「それではしあわせになれないよ」と誰かに言われ続けて、いつしかそう信じるようになってしまっただけの話です。

「いまここ」に戻りさえすれば、そのようなノイズは次第に除去されていきます。しかもその具体的な方法が、「終わりを意識せず、ゆっくりとていねいにやる」だけだとしたらどうでしょう。

あなたがその気になりさえすれば、ほかには何の条件も必要なく、いつでもどこでもできることではないでしょうか。

今日の記事を読んで、「たしかに、あえてやらない理由はどこにもないなぁ」と思ってもらえたら、私は最高にしあわせです(笑)。

イラスト:大橋悦夫