私たちはときに、自分に対する信頼や愛情を著しく損なうことがあります。
「私には生きている価値があるのだろうか?」
「私は誰の役に立っているんだろう?」
「私がいなくても誰も困らないんじゃないか?」
そんな疑念が消えずに消耗し、元気をなくしている人は少なくありません。
そこで、今日は「自己肯定感をもてなくなったときにどうすればいいのか?」について書いてみようと思います。
この話に限らず、「いまの自分はしあわせではない」と感じるとき、私たちは、
「自分に足りないものは何か?」
を探そうとします。
不幸せなのは自分に非があるからで、その不足を補えさえすればしあわせになれるという考え方です。
ところが、十中八九このやり方はうまくいきません。なぜならばあなたは、その「自分に足りないもの」や「自分の非」を、
「世の中の正しさという基準」
の中から見つけようとするからです。
たとえば、世の中の正しさが「計画性をもて」だとすれば、「計画性がないから自分はダメ」となり、「早起きしろ」なら「起きられない自分はダメ」ということになります。
けれども、私のセミナーやパーソナルセッションでも、このような正しさに則って行動を変えようとして失敗し、「どうしても計画どおりにできない」などの悩みを抱える人はあとを断ちません。
いったい、このやり方の何が問題なのでしょうか。理由はとてもシンプルです。あなたに非があるのではなく、
「あなたという人間の個性と、世の中の正しさがまったくマッチしていない」
からです。
実際に、計画性や早起きを遵守することでうまくいっている人は大勢います。もしかしたら、そちらのほうが圧倒的な多数派かもしれません。SNSにはそのような人たちの正しさを証明する投稿も溢れています。
だとしたら、それが「正しい」とされる理由も明らかです。ほかでもない「多数派の人たちが、これが正しい!」と主張したからです。
この話を次のように捉えてみてはどうでしょう?
「9割の人にとってうまくいくやり方が、かならずしも自分に合うとは限らない」
個性とは74億種類の違った形をもつパズルのピールのようなものです。そもそも、誰かが自分の経験から編み出した成功法則が、すべての人にあてはまると考えるほうがおかしいのです。
バックナンバー「危機感を抱くことが原動力になるのか?」で書いた「危機感をもて!」もまさに、多くの人が「正しい」と信じている業界標準のような考え方です。けれども、私にとって危機感は自分のパフォーマンスを落とすだけの邪魔者に過ぎません。
朝早く起きることなど、高校生のころにあきらめています。なぜならば、私にとってもっとも創造力を発揮できる時間は、子どものころから深夜だったからです。またこのブログでも書いてきたように、いっさいの計画も手放しています。
まずは、この「世の中の正しさ」に合わせようとする努力が「自己肯定感」を失う大きな要因になっていることをしっかりと認識してください。
自信を失ったあなたは、こんなふうに考えていないでしょうか?
「多くの人ができていることを、どうして自分はいつも実行できないのだろう?」
すべての罪悪感を手放して、単純にこう割り切ってください。
「そうか、それは私にとってのうまくいくやり方ではなかったからか!」
次に、私たちの「人間の価値」の捉え方を疑ってみましょう。一般的に、私たちは自分という存在について次のような価値観をもっています。
「私たちは価値ゼロの状態で生まれてくる。そこからスキルや能力、経験を身につけ、次第に価値ある人間として成長していく」
あなたの価値はあなたの努力に比例していて、年齢を重ねるに従って右肩上がりに伸びていくという発想です。
当然ですが、このような世界では頻繁に、「ああ、いま私は自分の価値を高められていない」と感じる出来事が起こります。あなたがサボった瞬間に、いつでもあなたは自信を失うということです。
では、本当に私たちの価値は、このような基準で決まるのでしょうか。
その答えは自分で出すしかありません。あなたのセンスで決まるといってもいいでしょう。ぜひ、次の2つの発想のどちらが自分にしっくりくるかを、頭ではなく心で感じてみてください。
① この世界には、優れた能力やスキルをもつ「価値の高い人間」と、それをもたない「価値の低い人間」が混在している。
② この世界のすべての人々の価値は完全に等しい。
先の一般的な「人間の価値」の捉え方が①です。ゼロからあとづけの努力によって価値が高まるとすれば、当然、私たちの価値には差が生まれます。
②はまさに、拙著『グッドバイブス ご機嫌な仕事』の「ひとつ意識」です。最初から「ひとつ」である私たちは、生まれながらにして他の人と同じ、絶対不変の価値をもっています。
バックナンバー「グッドバイブスとひとつ意識の関係」で、生まれた瞬間の私たちはみなグッドバイブスだったと書きました。つまり、私たちはゼロではなく、最大の価値をもって生まれてきたということでもあります。
さて、あなたはどちらを選ぶでしょうか。「どちらが正しいか?」ではありません。それを証明することは不可能です。どちらに嫌悪感や違和感をもち、どちらに親近感をもてるかです。
「いやいや、最初から等しいなんて極めて不公平だ! だって自分は努力してここまで来たんだもの」と思うなら①です。「価値の低い人間がいるという考え方はどうにも気持ちわるい」と感じるなら②です。
ただし、答えによって「自己肯定感」の喪失に対する処方箋は変わってきます。①を選ぶなら、より多くの努力を重ねて、これからも不足と感じる何かを補っていくしかありません。
②のほうがしっくりくると思うなら、まずはスタート地点を変えてください。
「現在の私には、生まれたときから変わらない、他の人と同じ価値がある!」
そのうえで、先に書いた「世の中の正しさ」に沿うことをやめるのです。
「私は自分に合うやり方で、自分のペースで、自分の行きたいところへ行く!」
こう宣言してください。あなたの自由を取り戻すということです。
「それでは油断してしまって、自分を高める努力をしなくなるのでは?」と不安を感じるなら、あなたはまだ、価値の高低が存在する①に戻ろうとしています。
ぜひ、「そもそも、なぜ自分の価値を信じられなくなったのか?」を真摯に思い出してください。①の世界が、あなたという存在を粉々に砕いてしまったという事実を認めなければ、いまの状況から抜け出すことはできません。
私はもちろん②の世界で生きています。なぜならば、①で究極のしあわせを手にするためには、世界でもっとも価値の高い人間になるしかないからです。そうでなければ、私は永遠に、誰かと比べて価値の低い存在であり続けます。
①でいうところの価値とはつまり、「生産性」のことではないでしょうか。
「生産性が高い人は、人間としての価値も高い」
なるほど、たしかに生まれたばかりの赤ん坊は生産性ゼロです。そういう価値観をもつ世界の住人になるのもわるくないでしょう。
でも、そうでない世界に生きることも、あなたは自由に選択できます。だから、「自己肯定感」を失わずに生きることはけっして、難しくないのです。
Photo by Satoshi Otsuka.
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