「グッドバイブス」と「ひとつ意識」の関係

最近、拙著『グッドバイブス ご機嫌な仕事』を読んだ方から、

「グッドバイブスはよくわかりますが、ひとつ意識がまだ実感できません。やはり、他人とひとつと聞いても、どうもピンとこないのです」

という感想をいただきました。

そこで今日は、なるべくわかりやすく「グッドバイブス」と「ひとつ意識」の切っても切れない親密な関係について書いてみようと思います。

まずはおさらいです。「グッドバイブス」とは「いい感じの思いを乗せた波」です。そして「いい感じ」とは、

「恐れや不安のない平安な心」

を携えている状態を指します。

「ひとつ意識」とは自分と他人、そしてこの世界の森羅万象を「ひとつ」と感じる意識です。ここでは「あなた」と「私」が分離せずにつながっています。

では、このことを前提に、いつもの「グッドバイブス」の話をしましょう。あなたはすでに、「未来の予測」や「負の意味づけ」は妄想であり、それが私たちに「恐れや不安」を抱かせているという事実を知っています。

そして、この「恐れや不安」が、怒りや不機嫌さなどの「おかしな行動」の原因となっていることも熟知しています。

また、バックナンバー「この世界から嫌いな人をゼロにする方法」では、すべての「おかしな行動」は、その人が「恐れや不安」を抱くことによってやってしまう「おかしな表現」であって、その人の人格とは別ものだと書きました。

意地悪なことを言う人は、何かの「恐れや不安」によってそういう表現をしてしまっただけで、けっして生まれながらに「意地悪な人」ではないということです。

私はこれを、

「画家=人格」「絵=表現」

と捉えています。怒りの絵を描いた画家が、それによって「ひどい人間だ!」などと評価されることはありません。

これと同じように、あなたに怒りをぶつける人がいたとしても、それを「恐れや不安が原因のおかしな表現なんだな。でもこの人がおかしいわけではない」と捉えるということです。

ここまでが「グッドバイブス」の根底にある考え方です。そのすべてを理解した状態で、怒っている人に対峙したとします。あなたはすでに「負の意味づけ」を手放すことができるので、相手の言葉から望ましくない「妄想」を膨らませたりはしません。

その代わりに、興味をもって本当の意味を知ろうとします。それはすなわち、

「怒りの原因である、相手の恐れや不安が何かを探る」

ことです。

もし、彼や彼女の中に「恐れや不安」が見つかったら、それを和らげたり、解消したりする努力をします。なぜならば、相手の怒りを放置したままでは、あなたに本当の平安が訪れることはないからです。

そして、この試みが成功した場合、例外なく相手にはある変化が現れます。実際に、私のもとには次のような報告がいくつも届いています。

「いつもトゲトゲしい言葉をぶつけてきた兄弟が、とても穏やかになった」
「メールで説教しか送ってこなかった母から、優しい言葉が届くようになった」
「夫婦の仲がよくなって、会話や一緒に外食する機会が増えた」
「ため息ばかりついていたとなりの席の同僚が、熱心に仕事をするようになった」
「心配性だった上司が、あまり先のことを気にしなくなった」

私自身の実体験とも合致するみなさんからの報告を読みながら、私は次のようなことをイメージしました。

「恐れや不安を取り除くと、泥や汚れを洗い流すように、本来のその人が現れる」

先の話でいえば、「恐れや不安」が消えることで「おかしな表現」がなくなり、その人の本当の「人格」が見えるようになるということです。

報告の文言になぞって言い換えるならば、

「あの優しくて穏やかだった母が、弟が、妻が帰ってきてくれた!」
「上司や同僚が、キラキラした本来の彼らに戻ってくれた!」

そんな感覚ではないでしょうか。

私には子どもがいないので、最近、子育ての経験をもつ人たちをつかまえては、手当たり次第に、

「生まれたばかりのとき、あなたのお子さんはグッドバイブスでしたか?」

と質問しています。

その目的は、私たちの本性を知ることです。私たちはもともと「恐れや不安」のない「平安な心」を携えてこの世に生まれてきたのか、それとも、最初から「おかしな行動」をとる、おかしな存在だったのかを確かめたかったのです。

すでに10人ほどに取材をしましたが、「いえ、バッドバイブスでした」と言う人はひとりもいません。みな一様に懐かしい目をして、「はい、間違いなくグッドバイブスでした」と答えてくれました。

ということは、「恐れや不安」を取り除いて、相手をグッドバイブスに誘うとは、

「生まれたばかりの、優しくて穏やかだったその人を見ようとする行為」

と言えないでしょうか。

ぜひ、そんな感動のシーンを目撃したあなたが、何を感じるかを想像してみてください。私はいつもこんな思いを抱かせてもらっています。

「ああ、これがこの人の本性か。ということは、その優しさや穏やかさは、オレの中にも眠っているのかもしれない。そのキラキラとした何かをオレももっているのかもしれない」

それは、人生でこれ以上の報酬はないと断言できるくらい素晴らしい体験です。なぜならば、この瞬間に私は、

「相手への信頼と自分への信頼」

を同時に確信させてもらえるからです。

私たちは無意識のうちに、自分と他人のあり方の両方を総合しながら、自分とはどんな存在かを判断しています。まわりの人々が「おかしな行動」ばかり繰り返すのを見ていれば、「自分という存在もその程度かもしれないなぁ」と思っても仕方ありません。

反対に、他人の中に、生まれたときに携えていたグッドバイブスを見い出せれば、自分にもそれがあると信じられる強烈な根拠になります。

自分に絶対不変の価値があること、どんなときでもそれが真の自信となってくれることを、相手に教えてもらったと言ってもいいでしょう。

このとき私たちは、

「あなたは私、私はあなた」

と、相手の中に自分を見るような感覚を抱きます。

この意味で、グッドバイブスの試みは、最低でもあなたともうひとりの人物、2人が必要になると考えてください。相手を「平安な心」に導くたびに、あなたはその人からグッドバイブスを学べます。

だからこそ、「あなたは私、私はあなた」であること、すなわち「ひとつ意識」が、グッドバイブスの完成には不可欠なのです。

Photo by Satoshi Otsuka.