数日前に、「グッドバイブスを現場で実践する 対話編」という記事を書きました。これは、修験道で言う「山の行より里の行」と同じように、仕事や家庭などの現場でグッドバイブスを実践するための方法です。
具体的には、
「周囲の人々の言動や、思いがけぬ出来事に影響されることなく、いつでもグッドバイブスでいる」
ことを目指すものでもあります。
今日はその「出来事編」を書いてみようと思います。身のまわりで起こる「望ましくない出来事」にどう対応すれば、「恐れや不安」を抱かず、「平安な心」でいられるのか。これが今回のテーマです。
想定するのはやはり、次のような場面でしょうか。
・ 自分の期待どおりに物事が進まなくなったとき。
・ 自分の期待に反する結果が出てしまったとき。
・ 予期せぬ出来事が起こり、激しく動揺してしまったとき。
「思わぬ障害に出くわして、プロジェクトが頓挫しそうになっている」「成功すると確信していた企画が盛り上がらずに終わった」「恋人から突然の別れを告げられた」「実家に帰って家族の世話をしなくてはならなくなった」など、あなたはかなり厳しい状況にいます。
まずは、深刻さの度合いがどうであれ、あらゆる出来事をこのひと言で受ける習慣をつけてください。
「なるほど、そう来たか」
これによってあなたは、グッドバイブスでいるために不可欠な、いくつかの事柄を認めることができます。まずはこれです。
「現実に起こることは、プロセスも結果も自分の想像をはるかに超えている」
先に挙げた想定の文言を見ればわかるとおり、私たちが出来事に対して動揺するのは、「自分の期待」と「現実」とが一致しなかったことに憤りを感じるからです。その乖離が許せないといってもいいでしょう。
たとえば、私は中学生のころに野球部に入っていました。それほど強豪校でもなかったのですが、3年生の夏に、なぜか地区で優勝して県大会への出場が決まってしまいます。
試合当日、私も含めてこのまま勝ち進めると信じている部員はひとりもいませんでした。結果はもちろん、予想どおりの一回戦負け。帰路に就きながら私は、「負けても悔しくないことってあるんだな」と少し驚いたのをいまでもはっきり覚えています。
たかが中学の部活の話ですが、私たちが抱く感覚のメカニズムはいつも同じです。そう、期待値がゼロであれば、結果がどうあれ私たちは出来事に動揺などしないのです。
だからといって、すべての期待を捨てろなどと言うつもりはまったくありません。夢や希望や期待があってこその人生です。それは、この先も自然ともちつづけることになるし、やめろと言われたからといって、簡単に手放せるようなものでもありません。
ただし、夢も希望も期待もすべて「未来の予想」であることは忘れないでください。いつかかならず「現実の結果」に遭遇する日が来ます。そして、あなたも十分に経験しているように、「予想」と「現実」が完璧に同じになることなどめったにありません。
私たちが向き合っていくことになるのは予想ではなく、いつでも「現実」のほうです。だとすれば、「本当に起こったこと」を目撃した時点で、いったんそれまでの期待を封印するのは、けっしてわるい選択ではないはずです。
なぜならば、そうすることで、
「期待と現実のあいだで葛藤することがなくなる」
からです。
期待はあくまで実体のない「想像」です。それをリアルな「現実」と戦わせても勝ち目などありません。そのような葛藤は早々に手放して楽になるほうが得策ではないでしょうか。
「なるほど、そう来たか」のひと言が、それを推し進めてくれます。
加えて、次のことを認める勇気も私たちに与えてくれるはずです。
「悲惨に見えるこの出来事が、その後にどう展開していくかも自分の想像を超えている」
拙著『グッドバイブス ご機嫌な仕事』はさまざまな事情で、2つの出版社で刊行中止になっています。3社めのインプレスでようやく日の目を見るまで、約3年もかかってしまいました。
正直にいえば、その間、焦る気持ちも悔しい気持ちもありましたが、結果として2019年の2月というタイミングは、いろいろな意味でこの本にとってベストだったと確信しています。
遅れる、頓挫する、失敗する、中止になる、振り出しに戻る、別れる。どれもあまりいいイメージの言葉ではありません。「ある出来事」をこれらの言葉を用いて判断した瞬間に、それは「悲惨な出来事」に変わります。
これが、
「そうでない可能性があるにも関わらず、そうであると自分で結論づけること」
すなわち、「出来事への意味づけ」です。
「なるほど、そう来たか」には、私たちの「意味づけ」を止めてくれるパワーもあります。
判断や結論を急ぐ必要はありません。なぜならば、あなたさえ「もう終わった!」と思わなければ、あらゆる出来事は、また別の結果に導かれるための「プロセス」に変わるからです。
その意味で、先の「現実を見たら、いったんそれまでの期待を手放す」は、けっして「あきらめる」ことを選択しているのではありません。むしろその逆の、
「たしかに期待ははずれた。でも、これはまだ結果ではなく途中経過だ。だから、さらに先の景色を見に行くエネルギーを、こんな葛藤で奪われたくはない!」
という、前進のための宣言なのです。
これまでに挙げた2つのこと、
「現実に起こることは、プロセスも結果も自分の想像をはるかに超えている」
「悲惨に見えるこの出来事が、その後にどう展開していくかも自分の想像を超えている」
をしっかりと認識できたら、あとは行動あるのみです。
「いまここ」でたったひとつのことだけにフォーカスしてください。
「この状況を好転させるために、いま自分に何ができるか?」
過去や未来について思い悩んでいない状態が「いまここ」です。終わってしまった結果を悔やまず、まだ起きてもいない先のことに「恐れや不安」を抱かず、ただただ「いま何ができるか」だけを発想します。
行動するためにはエネルギーが必要です。それを「妄想」することに使ってしまうと、あなたは微動だにできなくなります。先に書いた「期待と現実の葛藤」や「出来事への意味づけ」を手放して、とにかく動き出してください。
場合によっては「いま何ができるか?」の答えが浮かばないこともあります。そんなときは、「待つ」という行動を選択することもできます。
もちろん、ただ呆然と待つのではなく、状況、すなわち「現実」がさらに変わっていくのを凝視しながら、次のアクションが判明するタイミングを虎視眈々と待つのです。「これか!」と閃いた瞬間に、躊躇せずに実行してください。
最後に、どんなときでも、自分だけでなんとかしようとするのではなく、「誰に助けてもらえるだろうか?」と自問しながら、まわりにいる人たちを意識していてください。
いまできることが「Aさんに連絡してアドバイスをもらう」など、第三者へのサポートの依頼である可能性を、いつでも視野に入れておくことが大切です。
以上が「グッドバイブスを現場で実践する」の「出来事編」です。
すでに気づいている人もいると思いますが、実はこのやり方には失望や失敗がいっさいありません(笑)。なぜならば、つまずくたびに「期待と現実の葛藤」を手放し、どんな結果が出たとしても、「いや、これはまだプロセスにすぎない」とみなすからです。
「それはずるいよ!」と思うかもしれません。ぜひ、これまでのあなたの人生を振り返ってみてください。
もうダメだと思うような苦しい体験がその後に役立ったり、ひとつの悲しい別れが次の胸ときめく出会いにつながっていたり、大失敗によって思わぬステージに導かれたりしたことはなかったでしょうか。
結局のところ、人生とは私たちの予想を超えた不可解な物語だと私は思います。だとしたら、「なるほど、そう来たか。じゃあ、こう受けよう!」と、出来事に行き先を教えてもらいながら「望む現実」を創造していくのが、もっともリアルで楽な生き方ではないでしょうか。
Photo by Satoshi Otsuka.
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