拙著『グッドバイブス ご機嫌な仕事』でも、このブログでも、私は「計画はなるべく手放したほうがいい」と書いてきました。
その理由はいくつかありますが、たとえばそれは、未来のゴールのためにいまを手段にしないためであり、自分の思惑とは別の「導かれる」感覚を大切にするためでもあります。
とはいっても、将来に向けて何かを始めようとしたり、楽しいイベントのプランを考えたりすることのすべてを否定しているわけではありません。つき合い方さえ間違えなければ、私たちは計画と仲良くやっていけるのです。
そこで今日は、「グッドバイブス流の計画の立て方」について書いてみようと思います。
まず、私が手放すことを強くすすめている計画とは、どのようなものかについて確認しておきましょう。それは、次の2つの「正しさ」が動かしがたいものになっている計画です。
「ゴールの正しさ」と「プロセスの正しさ」
そもそも、ゴールとプロセスが計画のすべてです。そのどちらにも「正しさ」があってはいけないとすれば、「それじゃあ、計画など成り立たない!」と思うことでしょう。その疑念はいったん横に置いておいて、話を進めましょう。
ゴールを正しいものとしないほうがいい理由はとてもシンプルです。私たちには、計画を立てる時点で、
「そのゴールを達成することが、自分にしあわせをもたらすかどうかわからない」
からです。
「一部上場の有名企業に入社する」という目標が本当に自分にとって最良の選択なのか、「27歳までに結婚して、30歳までに子どもを授かる」ことがのちの何十年の人生をバラ色にしてくれるのか、本当のところは誰にもわかりません。
とくに、バックナンバー「得た瞬間に興味を失う相対欲を棚卸そう」で書いた相対欲、すなわち「他の人はもっているのに、自分がもっていないものをほしいと願う欲」がゴールを決める動機になっている場合は要注意です。
必死に追い求めて手に入れて初めて、「ああ、これではなかった」と失望することも少なくありません。なぜならば、それは他の人の何かを見て「自分もほしい」と思い込んでしまっただけで、あなたが心の底から望むものではなかったからです。
もうひとつの「プロセスの正しさ」とは、自分が決めた日時とアクションの組み合わせを、絶対不変かつ不可侵の聖域のように捉えてしまうことを指しています。
実はここにこそ、私たちが「人生には計画が不可欠」と盲信してしまうマジックが隠されているのです。
「この日までにこれをやると決めておけば、サボることはないはずだ。とにかく、日時とアクションをあらかじめ確定させておかなければ、自分は自堕落な人生を歩んでしまうに違いない!」
ところが、そうして組まれたタスクリストは、多くの場合「これができたらすごいぞ!」という理想に過ぎません。自分の生活習慣や、既存の仕事、家族との時間などをまったく無視した「幻想の行動計画」がひとつできあがるだけです。
当然の結果として、ほとんどの予定は実行されないまま残り続けます。そんな無様な現実を目の当たりにして、「私はどうしてこんなことができないんだろう……」と強い罪悪感を抱きながら、自分を攻撃し続けるわけです。
でも、わるいのはあなたではありません。
「計画には、私たちに自然と行動を起こさせる魔法のような機能はない!」
という事実を見落としてしまっただけのことです。
というわけで、何かと不具合が起こりがちな「ゴールの正しさ」と「プロセスの正しさ」を手放すことにしましょう。もちろん、それでも計画は立派に成立します。
ただし、その捉え方は次のように大きく変わることになります。
「計画とはいつでも、現時点での仮説である!」
これが、グッドバイブス流の計画の定義です。
具体的には次のように進めていきます。
① 漠然としたゴールを思い描く。
「北海道の旭川動物園に行く!」といった具体的な目標ではなく、あえて「なんとなく北に向かってみようかな」程度のあいまいな方向性だけを決めます。
どうしてもこだわりたい事柄があれば、「でも動物がいるところでないとダメだ」くらいは決めておいてもいいでしょう。ただし、それが先の「相対欲」から発想されていないかは、しっかりと吟味してください。
② ひとつのアクションを実行する。
もちろん、そうしたければ、何日先、何か月先までの計画を立ててもかまいません。けれども、それはあくまでも「現時点での仮説」です。間違っても「絶対不変かつ不可侵の聖域」とみなすようなことはしないと決めます。
もっとも重要なのは、最初に行う「ひとつのアクション」です。これが成されるかどうかがすべてです。
私たちはときに、「何も実行されない計画」を立てることがありますが、グッドバイブス流ではそれはあり得ません。なぜならば、すべての計画が「最初のアクションを実行する」から始まるからです。
③ 実行したアクションから次のアクションを想起して、また実行する。
なにかをひとつ行えば、確実にあなたの現実が変わります。やっていなかった過去と、それをやったいまとでは、目にする世界がまるで違うということです。
その変化を感じながら、「次はこれをやりたい!」というあなたのフィーリングから次のアクションを思い浮かべてください。それが計画していたアクションと異なっていた場合は、いま想起したほうを優先します。
そのまま続けたいと思えば、新しく生まれたアクションを実行します。別の日にしたければ、翌日か、しかるべきタイミングが来たときのお楽しみとしておきます。
④ アクションを重ねながら、ゴールやプロセスをチューニングする。
あとは③を繰り返すだけですが、いくつかのアクションを実行することで、先にあいまいにしておいたゴールがより明確になることがあります。「北に向かっていたけど、やっぱり目指すは北海道だな!」と、自分の行動に教えてもらうような感覚です。
そんなときは、すかさずゴールそのものと、さまざまなプロセスを修正するようにします。②で立てた計画も、自由自在に変更してください。
すべては「現時点での仮説」です。これに対して、あなたが実行してきたことはすべて「現実」です。仮説が現実に勝るはずがありません。だからこそ、リアルに起こったことだけを頼りに、「いまここ」にふさわしい形にチューニングし続けることが大切なのです。
これさえできれば、計画は、私たちを理不尽に苦しめることもなく、罪悪感を抱かせることもなく、最後には自分が到達すべき地点へと運んでくれる、頼もしい指針になると私は考えます。
このやり方に問題があるとすれば、
「いつどこに自分がたどり着くかは、最後まで不明」
という点でしょう。北海道まで来たとしても、旭川動物園に行くのか、それとも富良野のラベンダー畑に行くのか、依然として予想の外です。
ゴールとプロセスの正しさを譲らない計画が「線形」だとすれば、どこに向かうかわからないグッドバイブス流の計画は、複雑に曲がりくねった「非線形」です。
たしかに、前者のほうが効率よく最短距離を行くようにも見えます。自分を律している感も、こちらのほうが強うそうです。では、どちらが私たち自身と、現実の人生に合っているかを考えてみたらどうでしょう。
私たちは前方にピーンと伸びた直線の上を、いっさい踏み外すことなく歩いて行けるような存在でしょうか。人生とは予想や計算どおりに進むものでしょうか。
いずれにしても完璧な答えなどありません。どちらのやり方にも一長一短あると思います。でも、もしあなたが「線形」の計画にトライしてうまくいかなかったのなら、「いまここ」のフィーリングを重視する「非線形」のやり方を試しみるのもひとつの手です。
あるいは、シチュエーションに応じて両者をミックスさせながら、二刀流でいくのもわるくない選択です。常識や他の人の成功事例などに惑わされることなく、ぜひ、自分なりの気持ちいい計画とのつき合い方を模索してみてください。
Photo by Satoshi Otsuka.
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