今日はこれまでとは少し異なる視点から、いま自分が「ひとつ意識」にいるのか、それとも「バラバラ意識」にいるのかを知る方法を書いてみようと思います。
その基準となるのは、
「どんな目的で自分の身体を使っているか?」
です。
バックナンバー「身体は意識の創造を外の世界に表現する道具」で私は、
「意識こそが私たちの本体である」
と書きました。
私たちは「意識」の中だけで、自分が創造したいもの、伝えたいメッセージ、ふだんの仕事で行うさまざまなことなどを完璧に再現できます。反対に、睡眠中などの「意識」を失った状態では、それらの働きはすべてストップします。
これが、「意識こそが私たちの本体である」と私が考える最大の理由です。
ただし、自分の「意識」を他の人が見たり聞いたりすることはできません。そこで、「意識」の中で思い描いた事柄を現実のものとして誰かに伝えるために、顔やのど、手、足などの「身体」を使って外の世界に表現しているのです。
つまり、
「私たちの身体は、意識が他の人々とコミュニケーションするための道具」
だということです。
そして、「意識」を自分の本体、「身体」を道具と捉えているとき、私たちは「ひとつ意識」にいます。
なぜならば、
「モノではない意識は、何があっても傷ついたり損なわれたりすることがない」
からです。
反対に、「バラバラ意識」にいるときの私たちは「身体」を自分の本体とみなしています。「身体」は「意識」と違って痛みを感じ、外的な要因によって簡単に壊れ、いつかは滅びてしまう、もろくて儚いモノです。
そのような弱い存在としての私たちは、他の人々を「いつか自分を傷つけるかもしれない敵」と考えずにはいられません。その結果、分厚い壁を自分の周囲に築き、自他の線引きをはっきりさせながら、防御を怠らずに暮らすことになるのです。
ここまでを読んで、あなたの中には次のような疑問が沸き上がっているはずです。
「どちらにしても、身体があることには変わりないじゃないか。だとすれば、自分の本体を意識とみなしたからといって、自他の区別がなくなるとは思えない!」
たしかにそうかもしれません。
けれども、両者には決定的な違いがあります。それが冒頭に挙げた、
「どんな目的で自分の身体を使っているか?」
なのです。
すでに書いたように、「意識」を自分の本体とみなしているとき、私たちが「身体」を使う唯一の目的は、
「コミュニケーション」
です。
それも、私たちが日常で行っているような、相手をやり込めたり、自分の主張を押し通したりする会話ではありません。「意識に浮かんだものを具現化して、他の人にも伝えて共有したい!」という思いを実現させるための、極めて純粋な意味でのコミュニケーションです。
では、傷つきやすい「身体」を自分の本体とみなし、四六時中「恐れや不安」を抱きながら暮らす私たちは、どのような目的で「身体」を使っているのでしょうか。
おそらくその多くは、
「自分自身や他者を攻撃すること」
であるはずです。
他人に対しては、怒りをぶつける、不機嫌さを見せる、叱咤する、無視する、傍観する、距離を置く、奪う、欺く、失望する、見下す、軽視するなどの攻撃に「身体」を使います。
自分自身に対しては、罪悪感を抱く、妄想してエネルギーを消耗する、無価値に思う、自信を失う、自暴自棄になるなどの攻撃に、同じように「身体」を使います。
もちろん、ここでの攻撃は「もろくて儚い存在」である自分を防御するための手段です。
「自分自身に対する攻撃がどうして防御なの?」と思うかもしれません。いま挙げた「自分への攻撃」には、例外なく「行動する気力を奪う」という効果がある点に注目してください。
これによって私たちは、
「恐く思える現実に向き合わずにすむ」
ようになります。
それが何の解決にもならないことはわかっていても、「恐れや不安」を抱く私たちにとって「何もできない状態」は、それなりに魅力のある防御になり得るということです。
では、この話を整理してみましょう。まず、「意識」と「身体」のどちらを自分の本体とみなすかで、次の違いが生まれます。
「自分の本体は意識である!」=「ひとつ意識」
「自分の本体は身体である!」=「バラバラ意識」
それぞれに「身体」を使う目的はまったく異なります。
「ひとつ意識」=「身体を使う目的はコミュニケーション」
「バラバラ意識」=「身体を使う目的は攻撃」
そしてこの違いこそが、今日のテーマ「ひとつ意識とバラバラ意識のどちらにいるかを見分ける方法」の答えなのです。
自分の「意識」の中で思い描いた何かを具現化して、それを誰かに伝えるためだけに「身体」を使っているとき、あなたは「ひとつ意識」にいます。
反対に、どのような理由があろうと、自分自身や他の人々を攻撃するために「身体」を使っているとしたら、あなたは間違いなく「バラバラ意識」にいます。
拙著『グッドバイブス ご機嫌な仕事』では、「いまここ」や「グッドバイブス」「赦す」などを「ひとつ意識」の入り口としました。それらと比べても、「どんな目的で自分の身体を使っているか?」はもっともわかりやすい基準だと思います。
ぜひ、しばらくのあいだ、実生活の中で「コミュニケーションか攻撃か?」を意識してみてください。うまくいけば、あなたの大切な「身体」は、いまよりもはるかに元気になるはずです。
Photo by Satoshi Otsuka.
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