今日は、バックナンバー「いい感じを保てなくなったときの対処法」でも書いた「自我」について考えてみようと思います。
私たちの中にはいつでも「2人の自分」がいます。拙著『グッドバイブス ご機嫌な仕事』ではそれを、
「バラバラ意識をもつ自分」と「ひとつ意識をもつ自分」
あるいは、
「考えている自分」と「大きな自分」
と表しました。
どんなときでも「グッドバイブス」を携え、「ご機嫌な仕事」を実現できるのが「ひとつ意識をもつ自分」と「大きな自分」で、つねに苦悩を抱えながら自分や他人を攻撃することをやめないのが「バラバラ意識をもつ自分」と「考えている自分」です。
また、前者は私たちが生まれた瞬間の状態であり、後者はある「ノイズ」によってその本来の姿から大きくズレてしまった状態でもあります。
そして、私たちを「ひとつ意識」から「バラバラ意識」に変えてしまう「ノイズ」の正体が、
「自我」
なのです。
「自我」は、自分自身を次のように認識した瞬間、私たちの中に生まれます。
「全身の皮膚を境界線として、身体の内側だけが自分である」
これは、私たちがサッカーボールやマグカップなどの「モノ」を見るときと同じ感覚です。そしてあらゆる「モノ」は外皮や外壁を境にして、他の「モノ」から独立しています。
当然ですが、そのように自分を認識するならば、私たちもまた「モノ」と同じように、すべての他人から切り離され、孤立した存在ということになります。
この絶対的な孤独感が、私たちに「ひとつ意識」ではなく「バラバラ意識」をもちたいと感じさせるターニングポイントなのです。
「自我」と聞くと、私たちは「我が強い」「わがまま」「自分本位」などの言葉を思い浮かべます。けれどもそれらは、「自我」をもつことによってもたらされる結果の一部であって、けっして正体をいい当てたものではありません。
「自我」の本質とは、
「私は他人からもこの世界からも切り離された孤独な存在だ。しかも、自分の本体である身体は、ちょっとしたことで傷つき、最後には朽ち果てて消え去ってしまう弱くてもろくて儚いものだ」
という自分自身に対する幻想と、そのような自分を守るための手段として、
「この世界には危険が溢れている。信じられるのは自分しかいない。だから、あらゆる危機を予想しろ! これ以上できないくらい考えろ! そして、あらゆる不測の事態に備えられるように、日々、防御することを怠るな!」
という誤った処世術を私たちに信じ込ませようとするところにあります。
残念ながら、すでに多くの人が経験しているように、「自我」が信じるこの戦略の元では、どれだけ努力を重ねたところで完全無欠のしあわせにたどりつくことはありません。
ではどうすればいいのでしょうか。
まずは、
「身体が自分の本体である」という幻想を手放す
ことです。
静かに目を閉じてください。これであなたには自分の身体が見えなくなります。もし、あなたが「モノ」と同じ存在であれば、見えなくなればあなた自身も消えてなくなるはずです。
けれども、目を閉じたからといって自分が消えるわけではありません。あなたの中には「これが自分である」とたしかに感じられる「意識」があるはずです。
この目を閉じても残る、
「意識」
こそが私たちの本体であり、拙著の中で「大きな自分」と呼んだものの正体でもあります。
ぜひ、その状態のまま、ふだんやっているさまざまな行動をイメージしてみてください。特定の人物を思い浮かべて何かのメッセージを送ってもいいでしょう。あるいは、文章を書く、営業をするなど、あなたが日々、行っている仕事を意識だけで再現してみてください。
おそらく、ほぼ完璧にすべてを行うことができるはずです。ただ、意識の中の行動は他の人が見ることも聞くこともできません。
そこで私たちは、
「意識の中で創造したものを、現実のものとして誰かに伝えるために、顔やのど、手、足などの身体を使って表現している」
のです。
言い換えるならば、
「身体とは、本体である意識が、他の人々とコミュニケーションするために使う道具に過ぎない」
ということです。
車にたとえるなら、「意識」が運転手で「身体」は自動車です。
「自我」をもって「バラバラ意識」に誘われた私たちは、この本来の仕組みをいたっておかしなものに変えようとします。
まず、過去や未来を思い悩み、考え続けることで、本体である「意識」を自分の奥深くに眠らせます。
次に、運転手を失った身体に、「邪魔者はいなくなった。これからはオマエが本体として意志をもって行動しなさい!」と命じます。
「運転手を追い出し、自動車が意志をもった状態」
これが、「自我」の命ずるままに「バラバラ意識」をもって生きる私たちの本当の姿ではないかと私は考えます。
次話以降も引き続き、この深いテーマについて書いていこうと思います。
ぜひこの週末は、私たちの本体は「意識」であり、「身体」は道具に過ぎないという認識について思いを巡らせてみてください。
Photo by Satoshi Otsuka.
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