あなたはいつでもアドリブで乗り切ってきた

拙著『グッドバイブス ご機嫌な仕事』やこのブログで、たびたび「計画を手放す」という話を書いてきました。

私はけっして、計画そのものがわるいと言っているのではありません。バックナンバー「リアルないまに学べば計画は妄想でなくなる」で書いたように、そもそも計画とは、

「こうすればうまくいくであろう仮説」

であるはずです。

そのように認識して利用するならば、計画は私たちが行動する際の「目安」として大いに役立ってくれます。

ところが多くの場合、私たちは「うまくいく仮説」としてではなく、ある別の目的のために計画を立てようとします。これによって生まれるさまざまな副作用に問題があるのです。

その別の目的とは、

「恐れや不安を解消するため」

にほかなりません。要は、「最悪の事態を想定して万全の備えをしておきたい」という願望に基づくリスクヘッジです。

このような計画から最初に起こる副作用は、

「本当は必要なかった行動を計画に盛り込んでしまう」

ことです。

ここには幻想の「不足」を補うための情報収集やトレーニング、レッスンなども含まれます。詳しくはバックナンバー「不足感を手放して自分とこの世界を信頼する」を参照してください。

ただでさえ何かを達成するのは「ギリギリ」の綱渡りなのに、そこに本来は必要なかった行動を盛り込んでしまうとどうなるかを想像してみてください。

予定どおりに実行されないタスクが次々と増殖していき、逼迫感と罪悪感を抱えながらストレスだけが溜まっていく。そんな場面が容易に思い浮かぶはずです。

ふたつめの副作用は、

「我欲によって計画が歪んでしまう」

ことです。

「恐れや不安」に基づいて計画を立てるとき、なぜか私たちは「より多くの成果を、より短い時間で手に入れたい!」と願います。そうなってしまうともう、タイミングや流れ、周囲の環境、自分が置かれた状況などおかまいなしです。

まさに、バックナンバー「自分をもろくて儚い存在とみなす自我の正体」で書いた「自我」の仕業なのですが、これによって計画は、完全に自分都合の勝手なシナリオと化してしまうのです。

あとはあなたがいつも経験しているように、とても現実的とはいえない期日に追われ、強引な手法によって目標数値を達成するしかないという、あの虚しい日々が始まるだけです。

最後の副作用は、これまで書いてきた諸々の事情によって、

「私たちのエネルギーの大半が未来に放出される」

ことにあります。

そうなってしまう理由はいたって単純です。「恐れや不安を解消する」ことを目的に立てられた計画は、それが完遂されるまで「恐れや不安」が消えることはありません。つまり、そのプロセスにいるあいだ中、私たちは恐くて不安なのです。

間違っても「楽しい!」などと感じることはありません。結果として、誰もがこう考えずにはいられなくなります。

「一刻も早く終わらせたい!」

何をやっていても見ているところ、気になるところは「終わり」だけです。「いまここ」にフォーカスするなど夢のまた夢。エネルギーは毎分、毎秒、未来へと放出されていきます。

しかも、正確に言えば、「終わらせたい」のではなく「終わった状態に自分を置きたい」というのが私たちの本音です。この違いがわかるでしょうか。

「終わらせる」はしっかりと仕上げることを意味します。これに対して「終わった状態に自分を置きたい」は、やっつけだろうと何だろうと、とにかくそのプロセスからの脱出だけを期待するということです。

こうして私たちは、不本意で「二度と見たくない」と思うような結果を自ら生み出し続け、その酷いアウトプットによって自信ややりがいを失うことになるのです。

では、どうすればこれまで書いてきたような副作用を生み出す計画を手放せるようになるのでしょうか。実際にこの話をすると、多くの人が「やはり、計画を手放すのは恐い」と言います。

この記事を読めば、そう感じる理由も明らかになったはずです。あなたが「恐れや不安を解消する」という目的で計画を立てているあいだは、その恐さが消えることはありません。

まずは、冷静に次のことを自問してみてください。

「実はこれまでの人生、計画どおりに行かないことのほうが多くなかったか?」

拙著やこのブログで繰り返し書いているように、どれだけ優秀な人であっても未来を正確に予測することはできません。だとすれば、私たちが立てた計画も、実際にはその多くが途中で崩れていったはずです。

けれども、あなたは現実としていまの仕事に就いていて、ギリギリでもなんとか自分の役割をまっとうし、いまそこで間違いなく生きています。

ぜひ、どうやって筋書きどおりに行かない「いま」を乗り切ってきたのかをリアルに思い出してください。こんな答えが浮かばないでしょうか。

「結局は、あらゆる場面をアドリブで乗り切ってきた!」

「アドリブ」とは譜面や台本なしに、即興で演奏したり演じたりすることを指します。顧客への対応、会議での発言、予期せぬ障害の修復、不機嫌な家族のケアなど、実は、私たちは一日24時間のほとんどを、シナリオなしのアドリブで対処しているのです。

私たちにその自覚があまりないのは、ほかでもない、そのようなやり方を、

「ただのその場しのぎと軽視して、まったく評価してこなかった」

からです。

親も、学校も、企業も、「最初に何をやるかをちゃんと決めて、それを忠実に実行するのがうまくいくやり方だ」と主張します。いつしか私たちは無条件にそれを正しいと信じて、本来、もっとも優れた能力であるはずのアドリブ的な対応を、「属人的」などと呼んで嫌うようになったのだと思います。

まとめましょう。まず、副作用しか生み出さない「恐れや不安を解消する」という目的を手放します。そのうえで、自分の明るい未来を描くような気持ちで、「こうすればうまくいくであろう仮説」としての計画を立てるようにします。

もちろん、現実のプロセスにおいては多くの読みが外れていきます。それが「あたりまえ」だと思ってください。そうなっても、あわてたり焦ったりする必要はありません。

なぜならば、あなたにはあらゆる予期せぬ出来事に完璧に対処できる「アドリブ力」が備わっているからです。「あなたがいま生きている」という事実が、その能力をもっているという何よりの証しです。

そうして、リアルタイムに最初に立てた「うまくいく仮説」を「もっとうまくいく仮説」へとブラッシュアップさせながら、アメーバのように柔軟に計画を変更し続けるようにします。

計画どおりに行かないのは、読みが外れたからだと捉えるべきです。間違っても、「一度決めた計画や目標を変えては意味がない」などといった、よくわからない教えには従わないことです。

アドリブには「自由に」という意味があります。自由であれば私たちは最強です。そのためにも、「恐れや不安」という名の計画に縛られないことが何よりも大切だと私は考えます。

最後に、「そうはいっても、会社には確固たる計画や目標値がある。自分はその一員としてそれにどう向き合えばいいのか?」という疑問をもつ人も少なくないでしょう。答えは今話の中にもあるのですが、近いうちによりわかりやすい記事を書きます。

また、6月28日(金)の19時30分より鎌倉の「朝食屋コバカバ」で、拙著や本ブログを実践するワークショップ、「グッドバイブス ご機嫌な生き方塾」の第1回を開催します。そちらでもこの話は取り上げたいと思います。月イチのシリーズなので、ぜひこの初回からご参加ください!

Photo by Satoshi Otsuka.