不足感を手放して自分とこの世界を信頼する

今日は「不足感」について考えてみようと思います。

拙著『グッドバイブス ご機嫌な仕事』で私は、「人生に無駄なことなどひとつもない!」と書きました。ひどい失敗に思えることも、つらいと感じる出来事も、すべては最善の結果に導かれるためのプロセスに過ぎないということです。

このような発想は、

「生まれながらに他の人たちと完全に同じ価値をもつ自分」
「完璧な調和をもたらすこの世界の仕組み」

の2つを確信することによって生まれます。

詳しくはバックナンバー「スーパースターとあなたの価値は完全に同等」と「令和の時代は優雅な調和へと向かう」を読んでください。

つまり、「人生に無駄なことなどひとつもない」とは、自分とこの世界に対して、

「最後にはかならずうまくいく」

と無条件に信頼することにほかなりません。

そしてこれこそが、私たちが日々、得たいと願ってやまない「何があっても揺らぐことのない絶対の自信」の支柱でもあるのです。

ではあなたは、自分自身とこの世界が、最後にはかならず最善の結果をもたらすと完璧に信頼できるでしょうか。もし「いや、それは無理かもしれない」と思うとしたら、何がそれを妨げているのでしょうか。

その答えが冒頭に書いた、

「不足感」

です。

なぜかはわかりませんが、私たちは自分を「価値も能力もゼロの状態でこの世に生まれ、知識やスキル、経験などを積み重ねることによって一人前に成長していく存在」と見ています。

当然ですが、そのような自分が完成するまでは「まだ何かが不足している」という感覚が消えることはありません。ではここで、すでに成人しているはずのあなたに質問です。

「一人前を目指す旅は終わりましたか? 不足感はもうなくなりましたか?」

答えが「いや、まだ終わっていない」だとしたら、さらに質問です。

「あとどのくらい努力を重ねたら、不足のない完璧な自分になれますか?」

回答に窮することは容易に想像できます。なぜならば、先に書いた「ゼロからスタートして一人前になる」という自分自身の捉え方も、それに伴う「不足感」も、すべては私たちの幻想でしかないからです。

そもそも、私たちが抱く「不足感」には、「どれだけがんばっても完全になくなることはない」という底なし沼のような性質があります。なぜならば、

「あらゆる不足感は相対的な比較から生まれる」

からです。

知識、スキル、経験、美貌、スタイル、お金、地位、名声、知名度、勇気、度胸など、あなたが「いまの自分に不足している」と感じているものを何年か後に得られたとします。

ではその直後に、自分以上にそれをもっている人が現れたとしたらどうでしょう。その瞬間に、これまでの努力がすべて水の泡になったかのように、以前と同じ「不足感」が沸き上がってくるのではないでしょうか。

まさに終わりのない旅です。他の人と比べている限り、私たちは永遠に一人前になどなれないということです。

さらに、自分に対して感じる不足はけっしてひとつではありません。おもしろいことに、「いま自分に何が欠けているか?」を検討するとき、私たちは自分自身を細かく切り刻み、各パーツごとにそれを評価しようとします。

自分の経済力、仕事における自分の能力、仕事に感じる自分のやりがい、自分の自由度、自分の好感度、自分の権力、自分の影響力。ひとりの人間としてではなく、ある場面やある状況、ある側面やある視点から見た「ある部分」の不足を探そうとするのです。

当然ですが、そのように細分化された「不足感」は多くの場合、矛盾や葛藤を生み出すことになります。

「お金が足りない」という不足を埋めようとすると「自由な時間」がなくなる。
「仕事に打ち込めない」という不足を埋めたいのに、「スキルや経験が足りない」と感じるから本気になるのが恐い。
「いまの仕事にはやりがいを感じられない」という不足を埋めたいが、「能力や実績が足りない」と思うから転職もできない。

2つの不足が対立し合ったり、ある不足がもうひとつの不足を埋める妨げになったりと、事態は次第に混迷を深めていきます。結果として、私たちは何ひとつ問題を解決できずに、パーツごとの「不足感」を抱いたまま悶々とし続けるわけです。

幻想の「不足感」を手放すために重要なのは、

「あなたの価値は絶対的なものであって、けっして相対的に測れるものではない」

という事実を受け入れると同時に、

「細切れのパーツ単位で判断しようとすると、本当に自分に必要なものを見失う」

という大きな落とし穴に気づくことです。

人と比べず、自分を分析するのをやめる。これが「不足感」と決別するために必須のメソッドだと私は考えます。

そのうえで、

「どんなことでも、それに着手する最低限の条件はいまこの瞬間に揃っている」

と捉えてみてください。

どれだけ不細工で拙いやり方であっても、あなたが「これをやりたい!」とイメージしたものの中で、着手すらできないものなどありません。

この事実こそ、「自分自身の絶対の価値」と「完璧な調和をもたらすこの世界の仕組み」が信頼に値する最大の根拠ではないでしょうか。

つまりあなたは、不足しているどころか、

「最初からすべてを手にしていた」

のです。

この言葉に驚いたり戸惑ったりする必要はありません。私たちすべてが「創造のエネルギー」と「絶対の価値」をもって生まれてきたのだとしたら、ごくごくあたりまえのことです。

何かを始める前に予測するから「幻想の不足」を抱くのです。現実として「自分にプラスしたほうがいいもの」は、あえて探そうとしなくても、実際の行動の中でリアルタイムに判明していきます。

それは他人との比較から生じたものではなく、細切れのパーツでもない、あなたという存在が「絶対的に得るべきもの」です。当然、他の何かと矛盾したり対立したりすることはありません。

迷うことなく、現実のアクションの中で見つけた「自分にプラスしたほうがいいもの」を得る努力をすればいいだけです。

つまり、幻想の「不足感」を手放して、自分とこの世界に絶対の信頼を寄せながら、「すべてを手にしている」自分として目の前の「やりたいこと」に着手しさえすれば、あなたは自然と磨かれていくということです。

こうして「無駄なことなどひとつもない人生」があなたの前に現れるのです。

Photo by Satoshi Otsuka.