拙著『グッドバイブス ご機嫌な仕事』の第8章に「いまここにある」という話が出てきます。これはけっして私のオリジナルのアイデアではなく、太古の昔から地域や国を越えて存在していた教えであり、現在も含めたあらゆる時代に、私たちがしあわせでいるための具体的な方法として提案されてきたメソッドです。
いったい「いまここ」の何がすごいのでしょうか。そして、「いまここ」にいることで私たちは何を得られるのでしょうか。挙げればキリがないほどの恩恵がありますが、私はとくに次の2点を重視しています。
ひとつは、拙著でも書いたように、
「あらゆる悩みから解放される」
ことです。
私たちはふだん、現在、過去、未来という3つの時間軸の中で暮らしています。けれども、実際に存在するのは現在、すなわち「いまここ」だけです。過去と未来は私たちの頭の中にだけある「幻想の時間」に過ぎません。
そして、すべての悩みは過去や未来についてあれこれと考えることで生まれます。つまり、「幻想の時間」から抜け出して、唯一、実在する時間である「いまここ」にいさえすれば、私たちはいっさいの悩みから解放されるのです。
ふたつめの恩恵は、「いまここ」にいる私たちが、
「本来の能力を最大限に発揮できる」
という点にあります。
終わったことを悔やんだり、先のことを気にしたりしながら何かを行うとき、私たちのエネルギーのほとんどは過去や未来に放出されています。それは、燃費や性能が著しく低下した車を走らせているようなものです。
目の前のことだけに完全にフォーカスしきった状態で「いまここ」にいさえすれば、最速かつフルパワーで、精度の高い判断力も兼ね備えた、スーパーサイヤ人のような状態になれるということです。
さて、問題は「どうすればいまここにいられるか?」に尽きます。禅や瞑想など、すでに数多くの実践法がありますが、多くの人にとっては、やはりハードルが高いように感じられることでしょう。
そこで今日は、日々の生活や仕事において、すぐに実践できる「いまここ」にいられる方法を紹介したいと思います。
その中身はいたってシンプルです。あらゆることを行う際に、次の2つを心がけるだけです。
① 終わりを意識するのをやめる。
② ゆっくりやる。
「たったこれだけ?」と思うかもしれませんが、実際にやってみると、どちらも一筋縄ではいかないことがわかります。
たとえば、あまり気乗りしないことを始めるときの自分をイメージしてください。まずは「早く終わらせたい」と考えてしまうはずです。いざ着手したら今度は、「とっとと片付けてしまおう」と思って焦ったり、急いだりすることでしょう。
この2つを自然に実行できるようになるには、「なぜ私たちは終わりを気にするのか? なぜいつでもプロセスを急いでしまうのか?」の理由をしっかりと認識することが重要です。
ひと言でいうならばそれは、
「人生に終わりがあることを強く意識しているから」
にほかなりません。
絶対にありえないことですが、もしあなたの生命が永遠に続くとしたらどうでしょう。「時間」という概念がまったくいらなくなると思わないでしょうか。
誰かと会う約束などする必要もありません。永遠に生きられるなら、10万年後、100万年後に偶然、出会うチャンスを待てばいいだけです。あるときふと、プロ野球選手やプロの歌手になりたいと思えば、そのスキルを身につけるまで1億年でも延々と練習を続けられます。
「時間」という概念は、私たちが「生命の終わり」を意識した瞬間に生まれたと考えてみてください。もしそうだとしたら、私たちは、
「時間とは人生の終わりに向けたカウントダウン」
と捉えているかもしれないのです。
この感覚を抱いている以上、究極的には「いまここ」にいることなどできません。「人生は短い」「終わりは近い」と感じていれば、焦ったり、急いだりしないわけにはいかないからです。
ではどうすればいいのでしょうか。もちろん、「この生命は永遠だ」と思い込むことなど不可能です。けれども、リアルに想像してみてください。すでに書いたように未来は実際には存在しない「幻想の時間」です。
私たちが意識してやまない「人生の終わり」もまた、ただの想像、妄想の世界に過ぎません。もし、そのような「幻想の時間」について考えることをやめ、「いまここ」で目の前のことにフォーカスできたとしたらどうでしょう。
いま、あなたは間違いなく生きています。
そして「生きているいま」はあなたがそこにいる限り続きます。このとき、「人生の終わりに向けたカウントダウン」など無用になり、同時に時間の概念も不要になります。
実は、そこにあるのは、
「いまここという、始まりも終わりもない永遠」
ではないでしょうか。
「いやいや、そのいまここもいつか終わりを迎えるじゃないか!」と思うでしょう。でもそれは、まばたきよりも短いほんの一瞬の出来事です。私たちの生命はフェードアウトするように次第に終わっていくのではなく、意識する暇もなく「プツッ」と途切れるはずです。
何十年もある人生を、そのゼロコンマ何秒の瞬間を恐れながら暮らすのか、それとも「いまここ」という永遠の中で最大限の能力を発揮しながら生きるのか。この違いについて、真摯に考えてみてください。
「なんか、終わりを思い悩むのがバカらしくなった」という一種の開き直りと、その結果として生まれる覚悟のようなものがあれば、先の2項目「終わりを意識するのをやめる」と「ゆっくりやる」は、私たちにとってむしろ心地よい生き方に変わると私は考えます。
Photo by Satoshi Otsuka.
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