拙著『グッドバイブス ご機嫌な仕事』で、私は次のようなことを書きました。
「グッドバイブスは光でバッドバイブスは闇です」
わかるようでわからない、何かつかみどころのない話に聞こえるかもしれません。そこで今日は、「どうすれば自分の中にある光を見つけられるか?」について書いてみようと思います。
最大のヒントは「涙」にあります。
実は、私たちは性質の異なる2種類の涙をもっています。ひとつは、「悲しい」「悔しい」「苦しい」などのつらい思いによって流れる涙です。すべての人が体験しているように、この涙を流すと私たちはエネルギーを失い、ぐったりと疲弊してしまいます。
おそらく、この「疲れる涙」の原因は、私たちの行う想像や妄想にあるはずです。ある出来事に負の「意味づけ」をしながら、頭の中で悲しいストーリーを創り出し、その映像に涙するという図式です。
いわゆる悲劇の映画などの「泣ける場面」をイメージするとわかりやすいでしょう。けっして現実に直面しなくても、私たちは想像だけで悲しむことができるということです。
もうひとつは、自分の奥底に長いあいだ眠っていた「懐かしい何か」を揺さぶられたときに流す涙です。こちらは同じ映画でも「感動の場面」に反応して、想像や妄想などする間もなく不意に沸き上がってきます。
その多くは、自他の境界を超えた愛の行動であったり、誰もが尻込みしそうな恐怖に打ち克つチャレンジであったり、「なぜこの人を?」と思うような極悪人を赦す行為であったりします。
あるいは、自分の中に秘めていた思いや努力を、予期せぬ場面で誰かに気づいてもらえたとき、不覚にも涙ぐんでしまうのもこの仲間です。
こちらの涙を流したあとの状態は、「疲れる涙」とはまるで違います。私はいつも「温泉に入ったあとのような感覚」と表現していますが、妙にスッキリしたような、体中がポカポカと暖まるような、わるいものが身体から抜け落ちてしまったような、なんともいえない心地よさを感じます。
私が直近でこの「癒やしの涙」を流したのは、映画『ボヘミアン・ラプソディー』で空中分解したバンドが和解する場面でした。
大きな成功を収めたフレディーは、次第に「自我」に支配されていきます。「これは自分の力によるものだ」「自分さえいれば、バンドのメンバーなど必要ない」と、「自分」を中心にしか世界を感じることができません。
そうして始めたソロ活動は当然、うまくいかず、自らの「自我」に呼応するように損得勘定だけで集まってきたスタッフにも裏切られ、完全に孤立したフレディーはようやく「自分の帰る家」を思い出します。
突然の活動再開を切り出されたメンバーは怒りを露わにしますが、やがて次のような条件を出すことでフレディーを赦します。
「今後はすべての楽曲の作者をクイーン名義にすること」
一見、金銭的な交渉に見えますが、実はこの約束には、本作品の最大にして最重要な至宝のメッセージが込められています。それは、
「君だけが特別なのではない。このバンドのメンバーすべてが特別であることを君が受け入れたなら、僕らはまたひとつになれるんだよ」
という魂の対話でした。
そう、
「癒やしの涙は私たちの魂が流す涙」
なのです。
それは、日々、襲ってくる「恐れや不安」や「自我」の誘惑によって、私たちの奥底に幽閉されてしまっている「本来の自分」を揺り動かされたときに流す涙です。
誰もが心の奥底では、「ひとつ意識」をもって、グッドバイブスで、「愛に基づく選択」をしたいと望んでいます。けれども、自分を守ることに追われる毎日の中で、「そんなものは夢物語だ」と、大きなウソをつきながら暮らしているのです。
そこに、「本当にそうかな? 君の中にはそちらを選びたくない自分がいるんじゃないか?」と問いかけられたとき、私たちの魂はこらえ切れずに震えてしまう。これが「癒やしの涙」の正体ではないかと私は思います。
この次に「温泉に入ったあとのような感覚」の涙を流したときは、ぜひ、それが自分のどこから溢れているかを探してみてください。間違いなく、その源泉があなたの「光」であり、グッドバイブスを発信したり、他の人のそれに共鳴したりする音叉です。
なんとなくでも「これかな?」と感じられたら、何かの選択に迫られたとき、その「光」からの答えに従うことを自分に赦してみてください。その瞬間に、あなたの中の闇が溶けていくのを実感できるはずです。
Photo by Satoshi Otsuka.
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