「令和」の時代は「優雅な調和」へと向かう

先ほど日付が変わり、「令和」元年がスタートしました。私にとっての平成はバブルの終焉から始まり、なんとかあの好景気を復活させようとする道と、お金以外の価値を見出そうとする道の、2つの選択肢の中で揺れ動いた時代のように思います。

では「令和」はどんな時代になるのでしょうか。もちろん、私には予想もつきません。ただ、「令和」という文字に込められたメッセージどおりにいろいろなことが変化していくとするなら、それはきっとしあわせな方向である予感がします。

外務省によれば、「令和」の英訳は「Beautiful Harmony=美しい調和」だそうです。「Beautiful」や「Good」もわるくないのですが、「令」が令嬢や令息、令夫人などの言葉に用いられるとするならば、個人的には「美しい」よりも、「麗しい」や「優雅な」のほうが意味としてふさわしいように思います。

英語にするなら「Elegant」でしょうか。私にはこのような訳、

「Elegant Harmony=優雅な調和」

がしっくりきます。

優雅であることが最大のポイントです。それは、全体主義でもなく、自己犠牲を伴うような和でもない、まさに、拙著『グッドバイブス ご機嫌な仕事』に登場する「ひとつ意識」そのものではないかと思うのです。

この宇宙がひとつの点、すなわち「ビッグバン理論」における「あらゆる物質とエネルギーが一か所に集まる高温度かつ高密度な状態」の爆発によって、偶然に生まれたと考えることもできます。

けれども、私たちの住むこの太陽系が、太陽を中心に8つの惑星がそれぞれ異なる軌道を描きながら、互いにぶつかり合うことなく「優雅」に周回している様子を見るとき、私は、最初からある種の「青写真」のようなものが存在していたと感じずにはおれません。

地球上の動植物もしかりです。桜の苗は桜として育ち、タンポポの種は確実にタンポポの花を咲かせます。一粒の受精卵がヒトの形に変わっていく私たちも例外ではありません。すべての生命の成長には「青写真」や「設計図」が必要だったのではないでしょうか。

もしかしたらその正体は、「大統一理論」や「超弦理論」などによって科学的に解明されるかもしれません。興味深いことに、まだ見ぬその数式はシンプルで「美しい」ものになるだろうと言われています。

けれども令和元年のいま、科学的な解明はまだ道半ばです。ただ、この地球上の様子も含めた宇宙全体の「青写真」を、そこに住む一員として感性で捉えることは不可能ではないように思うのです。

たとえば、宇宙のあり方は破壊ではなく「創造」のように私の目には映ります。「恐れや不安」ではなく「平安」のようでもあります。降り注ぐ太陽のエネルギーを感じるとき、それは奪うことではなく「与える」ことのようにも見えます。

これらをヒントにすれば、私たちが真にしあわせであるための道筋を見つけられるかもしれないと私は考えます。なぜならば、私たちもそのような法則の中で存在しているからです。

つまり、

「どう生きることがこの宇宙の青写真に則っているのか?」

より具体的には、

「いま自分は破壊と創造のどちらを選んでいるか? いま自分は平安でいるか? いま自分は奪わずに与えているか?」

をそれぞれの心で計りながら、「仕方がない」などと妥協せずに人生の選択をしていくということです。

昭和という時代は、「青写真」よりも圧倒的に私たちの「自我」が優先されたように思います。それはまるで、川の流れに逆らって下流から上流へ必死で泳ごうとするようなものでした。平成はそのことに疑問を感じながらも、どうすればいいかの答えは得られないまま終わりました。

「令和」という新しい時代を迎えたいま、モラルや道徳的な発想としてではなく、私たちが本来どのような存在であったかを思い出しながら、ひとつの無理もなく、ありのままの姿でいられる「優雅な調和」へと向かうときが来たのではないかと私は思うのです。