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嫌いだから選ばないことも分離の選択なのか

2020年、私はこのブログの最初のテーマとして「ひとつ意識」を選び、1月6日から4話連続で「ひとつ意識に導かれる行動」を紹介しました。

先日、その中の、

「分離の選択をしない」

について次のような質問を受けました。

「私たちは好みやセンス、相性によって、自分の身近に置くものをより分けているように思います。家具、洋服、書籍、音楽、映画、食事などには、どれも好きだから選びたいものと、嫌いだから選びたくないものがあります。人とのつき合いも同様です。この、趣味嗜好によって何かを選ばないという行為も、分離の選択になるのでしょうか?」

「ひとつ意識」を理解するための重要なポイントを含んだ、とてもいい質問です。そこで今日は、この問いに答えることで、「分離とは何か?」についてもう少し深掘りしてみようと思います。

まずはこの話の大前提を確認しておきましょう。グッドバイブスとは、外的な要因に左右されず、いつでもしあわせでいるためのメソッドです。

具体的には、

「私たちはもともと、しあわせな存在として生まれてきた」

というスタート地点に立ち、どうすればそのような状態に戻れるかを模索します。「分離の選択をしない」も、その答えのひとつだと考えてください。

たとえば、あなたがYouTubeにアクセスして、おもしろい番組を探していたとします。検索して出てきたサムネイルの中から気になったものをクリックしました。

最初の数十秒を観ただけで、「ああ、これは期待したものと違う」と思い、途中で再生を止めて他の番組に切り替えます。あなたは、「自分の趣味嗜好によって観るのをやめた」わけです。

冒頭の質問は、このような「選ばない」行為も「分離の選択」になるかでした。

もしこのとき、あなたの心にいっさいのザワつきがなく、ただその番組をスルーしただけなら、自分の行動について気にする必要はまったくありません。

それは、ブティックのディスプレイを眺めながら、買わない服の横を通り過ぎたり、レストラン街で食べたいものがない店に入らなかったりするのと同じです。おそらく、それによってあなたが不幸になることはないはずです。

ただ、私たちはこのような「選ばない」シチュエーションで、負の方向に心を大きく動かしてしまうことがあります。

先のYouTube番組の例でいえば、これはハズレだと思ったときに、

「ほんとクソだ! 誰がこんなくだらない番組をアップしたんだ! 作者出てこい! めっちゃムカつくから、低く評価を押してコメントでディスってやろう!」

といった反応をしてしまうときです。

ぜひ、先のただスルーした場合と、こちらの猛烈に腹を立てている場合とで、何が違うかを考えてみてください。後者のあなたの中にはまず、

「許せない!」

という感情があるはずです。

そして、そのような思いをなんとかするために、

「相手を攻撃して、このムカつきを晴らしたい!」

という願望が生まれているのではないでしょうか。

同時に、そのすべてが、番組を創った作者という人物に向けられていることにも注目してください。あなたはこのとき、彼や彼女を次のように見ています。

「自分とはまったく相容れない、異質な存在であるに違いない!」

この、「異質な存在」を「許せない」から「攻撃する」の三拍子揃った状態で、自分から相手を切り離す行為が、

「分離の選択」

なのです。

これによって何が起こるかは、バックナンバー「分離の誘惑に打ち克てばひとつ意識が見える」で書いたとおりです。その瞬間の嫌な気持ちは少し紛れるかもしれませんが、結果としてこの選択があなたにメリットをもたらすことはありません。

ただのスルーか、それとも「分離の選択」かを見分けるポイントはたったひとつです。自分の好みに合わないものに遭遇したときに、

「しあわせな存在であったはずの、私のしあわせが1ミリでも損なわれたか?」

を見張っておけばいいのです。

気持ちが少しザラついた程度なら気にしなくてかまいません。それは、制御できない条件反射のようなものだと思ってください。

ただし、そこから憎悪のようなものが肥大して、「許せない!」「攻撃したい!」という思いにかられそうになったら要注意です。

それは私たちが、自分の正しさを根拠に「意味づけ」をしながら、負のイリュージョンを創り始めた合図です。この幻影がすっかりできあがってしまったら、あなたはもうしあわせではいられなくなります。

相手が人の場合もまったく同じです。すべての人と親友のように仲良くなれるわけではありません。飲みに行くメンバーをイメージすれば、誘いたい人とそうでない人に分けたくなるでしょう。

深いつき合いをしない人がいたとしても、彼や彼女のことを考えたときに心がザワつかなければ心配するには及びません。

反対に「大嫌いだから、アイツが来るなら自分は行かない」と負の感情を抱くとしたら、あなたはどこかで相手に対して「分離の選択」をしたということです。

そういえば、冒頭の質問に似た、次のような疑問もよく耳にします。

「SNSに、とても見たくないようなネガティブな投稿ばかりするフレンドがいます。この人をブロックすることは分離の選択なのでしょうか?」

分離かどうかの分岐点は、これまで書いてきたとおりです。美容院の待ち時間に、テーブルの上に置かれた雑誌を選ぶときのように、サラッと手に取るものとそうでないものを決めればいいだけです。

選ばなかった雑誌に対して、「異質な存在」を「許せない」から「攻撃する」などという人はまずいません。そのようにして、見たくない投稿をブロックすれば、あなたの心は穏やかでいられるはずです。

私には、自分とまわりの人たちをグッドバイブスにするために心がけていることがひとつあります。それは、「不味い食事を出す飲食店に入ったときの対応」です。

たとえば、かなりの空腹時に、何か美味しいものを食べようと検討に検討を重ね、期待感もマックスである店に入ったとします。ところが、出てきたものは「マジかよ!」と叫びたくなるほど最悪のひと品でした。

もしこのとき、友人や知人が同席していたなら、私は絶対に「これはハズレだね」などと口に出さないと決めています。さすがに「最高!」とウソまでは言いませんが、とにかく不満をもらさずに黙って食べるよう心がけています。

理由はとても単純です。「目の前に出されたのは不味い料理」という現実は、私が何をしようと変わることはないからです。そのうえ、この店を選んだ不運を嘆いたり、店主に罵詈雑言を浴びせたりすれば、メンバーの不幸は増すだけです。

しかも、私にはまだ「このランチを、他の人たちとの楽しい会話で過ごす」というしあわせな選択が残っています。それを実現するために私にできることは、どうにもならない料理の味について、負の発言をしないことだと思うのです。

もちろん、数日後に同じメンバーで、同じ店の前を通りかかったら、「そういえばこの店は不味かったよね」「やっぱり倉園さんもそう思った?」などと談笑しながら、サラッとスルーして別の店を選びます。

これで誰ひとり不幸にはなっていないし、もし、何かの縁でこの店のご主人と知り合うことになったとしても、料理の腕はともかく、人格までは否定せずに仲良くなれると思います(笑)。

Photo by Satoshi Otsuka.