分離の誘惑に打ち克てばひとつ意識が見える

昨日の「与える」に続いて、今日も私たちを「ひとつ意識」に導いてくれる具体的な行動について書こうと思います。

今話のテーマは、

「分離の選択をしない」

です。

私は18歳で東京に出てきて以来、32歳になるまで音楽一筋の人生を歩んできました。時代としては、1981年から1994年くらいまでのあいだです。

ジャンルとしては、まず60年代のブリティッシュ系ロックやサイケデリックに大きな影響を受け、活動の後期には70年代のソウルミュージックに傾倒していました。

もちろん、作曲や編曲、楽器の演奏、歌唱などの、いわゆる音楽的な技術を磨くことに躍起になっていましたが、それと同じくらい、ロッカーとしての生き方に強いこだわりをもっていました。

たとえば、そのころに流行った言葉に「ヒップとスクエア」というのががありました。「ヒップ」とは、既存の価値観に縛られず、感性や直感に従う自由な様で、「スクエア」はその真逆の、伝統や常識を重んじる堅物を指します。

ミック・ジャガーやキース・ムーンやジム・モリソンは、そのヒップを地でいく「ヒップスター」です。私もまた、どれだけヒップでいられるかを人生を賭けて追究していました。

当然ですが、そのような価値観をもって生きていると、「この人はヒップだけど、アイツは超スクエアだ!」といった感じで、世の中の人々を真っ二つに分類したくなります。

それはすなわち、

「自分のまわりにいる人たちを、敵とみなすか、味方とみなすか?」

の選別をしていることを意味します。

そうしておいて、自分が「仲良くしたい」「心を許してもいい」「信頼できる」などのラベルをつけた人々とだけつながりをもつようにするのです。

当時の私にとっては、この分類と選別によって築かれた小さなコミュニーが何よりも心地よく、同時に安心と平和をもたらしてくれる場でもありました。

それに加えて私は、自分がヒップの側にいることに優越感ももっていました。親の決めたレールに何の疑いもなく乗れて、その後もずっと真面目に働く人たちを見下しながら、ステージでも「アイツらは大嫌いだ!」などと叫んでいたものです。

これが、

「分離の選択」

です。

この選択によって、私たちがどのような落とし穴にはまるかを伝えるために、今日はあまり話したくない自分の黒歴史について書いています(笑)。

せっかくなので、もう少し続けましょう。

ヒップスターを目指す私が選んだ分離は、「ヒップかスクエアか?」でした。この世界をバッサリと2つに切り分けて、そのあいだに見えない壁を構築し、嫌いな人やムカつく人のいない楽園や安全地帯を創ろうとしたわけです。

ところが、この分類と選別は、楽園の中にいる人たちにも容赦なく適用されることになります。昨日まで仲間だった人が、自分の気に入らない行動をとった瞬間に、

「あ、コイツも実は敵だったんじゃないか!」

とみなし、「あちら側の人」として壁の向こうに追いやってしまうのです。

こうして私は、せっかく音もまとまり、ファンも増えてきたバンドを次々と解散し、自分の才能に惚れて面倒を見てくれたプロダクションとの契約も軽々に解除するなどして、分離、分離、分離の選択を重ねていきました。

そのたびに、「アイツらはまったくわかってない!」と敵の烙印を押しながら、ゼロからの「本当の仲間探し」が始まるにもかかわらずです。

もしタイムマシーンがあれば、いまの私が飛んで行って、「その終わりのない旅は、すべてイリュージョンじゃないか!」と自分に言ってやれるのですが……。

そんなことを繰り返しつつ32歳になったとき、私は本当に「ひとり」になっていました。比喩でも大げさな表現でもなく、一緒に演奏をしてくれる人も、自分の音楽を認めてくれる業界人も、ファンもいない、文字どおりの「ひとり」です。

世田谷の宇奈根という多摩川のほとりに住んでいた私は、呆然としながら川べりの遊歩道を歩いていました。誰ともつながっていないという、おそらくこの世でもっとも強烈な恐怖を味わいながら、4、5時間は延々と歩き続けていたと思います。

すっかり日も落ちたとき、自分が切り捨ててきた人たちの顔が次々と頭に浮かんできました。私が自分の意志で壁の向こうに追いやった、楽園の外の住人です。

その瞬間、私はようやく衝撃の事実に気づいたのです。

「私の音楽を聴きに来てくれていた女の子たちも、CDを買ってくれたファンも、私を世に出そうと必死に動いてくれていたスタッフも、みな私が敵視して嫌っていたあちら側の人たちだったんじゃないか……」

この翌日から一週間ほどかけて、もっていた楽器と5000枚のアナログレコードをすべて売却し、私は音楽から完全に足を洗いました。

あるきっかけで、1本のギターを購入して演奏を再開する1999年まで、約5年のあいだ、他のアーティストの曲を聴くことすらしませんでした。

これが、「分離の選択」の落とし穴です。

私の場合、状況はやや特殊ですが、職場や世の中の人々を「敵と味方」の2つに選別して楽園を創ろうとする試みは、けっしてめずらしいものではありません。あなたのまわりでもよく目撃する光景ではないでしょうか。

ぜひ「分離」という言葉に敏感になってください。一見それは、さまざまな問題を解決してくれる有効な手段に思えます。自分の安全を確保するためには、やむを得ない選択にも見えます。

けれども「分離」は、それを選ぶたびに他の人とのつながりを奪い去り、次第にあなたを孤立や孤独へと追いやることになる悪手の極みです。

いつも次のように自問してください。

「その行動は、あなたと誰かを分離させることにならないか?」

基本的に、相手を嫌いになる、相手を攻撃するは、もっともわかりやすい「分離」と思って間違いありません。排除するや、距離を置く、意図的に無視するなども「分離」の行動です。

それをしたい誘惑にかられたときはまず、

「どれだけ心の壁を築いたとしても、この人の存在が消えるわけではない」

という事実を受け入れてください。それが職場や家庭ならなおさらです。

そのうえで、

「この人を敵とみなすことで、本当に自分に平安が訪れるだろうか?」

と、真摯に吟味してください。

仕事においては、どうしてもある人をメンバーから外したり、場合によっては解雇という決断をしたりせざるを得ない局面があります。プライベートなら、自分や家族のしあわせのためには、離別を選択するしかない場面もあるでしょう。

そんなときでも、相手の人格をまるごと否定して完全に「分離」するのではなく、

「いま、このシチュエーションでは、彼や彼女と行動を共にできなかった」

くらいに捉えておくのがいいでしょう。

もしかしたら、数年後、数十年後に再会したとき、その人が別人のように変わっていて、今度はあなたを助ける救世主になってくれるかもしれないのです。

実際に私も、一度は袂を分かった人と、別の機会にいい感じで仕事ができた経験が少なからずあります。

「身体の距離は離れていても、心はけっして分離していない」

どれだけひどいいきさつがあったとしても、そんな関係でいることはけっして不可能ではありません。

どんなときでも、「分離の選択」を乗り越えた先には、私たちに真の平安をもたらしてくれる「ひとつ意識」が待っています。ぜひ、あなたが身につけたグッドバイブスを、このチャレンジに活かしてみてください。

Photo by Satoshi Otsuka.