先日、とある知人から「倉園さんのグッドバイブスは、とてもストイックで完璧主義だと思います」と言われました(笑)。なるほど、おっしゃることは私もよくわかります。
おそらく、拙著『グッドバイブス ご機嫌な仕事』やこのブログで書いている2つのことが、そのような印象を与える大きな要因になっているのだと思います。
ひとつは、「ゼロかイチか」の話が多いという点です。
「ひとつ意識か、バラバラ意識か?」
「いまここにいるか、いないか?」
「平安な心でいるか、恐れや不安を抱いているか?」
これらすべてにおいて、たとえば「いまここに6割、未来に4割くらい意識が行っている」などの「中間の状態」はありえません。1割でも過去や未来のことを考えたとしたら、けっして「いまここ」にいられなくなるからです。
「平安な心」も同様です。ほんのわずかでも「恐れや不安」を抱いた瞬間に平安ではなくなってしまうので、あたりまえといえばあたりまえの話なのです。
そして、もうひとつはやはり、
「目の前のことを本気でやる!」
という、一般的にはかなり受け入れがたいメッセージではないでしょうか。
たしかに、「24時間365日、あらゆることをすべて本気でやっている!」という人がいたら、大嘘つきか、もしくは、病的なまでの完璧主義者と思われても仕方ありません。
でも、それは大きな誤解です。自分が本気になっている様子を頭の中でイメージするのと、それを実際にやってみるのとでは、目にする景色はまったく異なります。
そこで今日は、私たちが「本気」という言葉に対して抱いているイリュージョンを引っぺがしてみようと思います。本気の正体が見えれば、けっしてストイックでも完璧主義でもなく、実はいたって楽な選択であることがわかるはずです。
まずは、わかりやすいように、「目の前のことを本気でやる」を実践している、Aさんの一日を追ってみることにしましょう。
といっても、朝イチからではありません。時刻は午後8時。その日の仕事を終えて帰宅したところから始まります。
「ただいま!」と家に着いた瞬間、
「あ、おかえりなさい! ちょうどよかった。いま夕飯の仕度で手が離せないから、ネコちゃんのトイレを掃除してくれないかなぁ」
と奥さんの声がします。
Aさんの家には5歳になる兄弟の黒ネコがいます。チラッとトイレを見ると、2匹とも大のほうを済ませたばかりで、強烈な匂いが部屋中に漂っていました。
かなり疲れて帰ってきたAさんですが、「了解!」と答えるやいなやカバンを床に置き、スーツ姿のまま、掃除用のシャベルで砂箱の汚物を片付け始めます。もちろん本気で、ていねいにです!
夕食後、一週間ほど前にネットで購入して、時間ができたら読み始めようと楽しみにしていた本を持って自分の部屋に入ります。
10分もしないうちに、ネコと同じく5歳になる息子が乱入してきて、
「パパ、遊ぼー!」
と腕を引っ張ってきます。
一瞬、「せっかく、自分の時間ができたのに……」と子どもを母親の元に追い返したい誘惑に駆られますが、「そうだ、目の前のことを本気で、だった」と我に返り、読書のことは頭から一掃します。
「よっしゃ! 何して遊ぶの!」
そう言うと、息子が希望する仮面ライダーごっこにとことんつき合うと決心しました。当然、あちらが「もういい」と音を上げるまで時間無制限の覚悟です。
ところが、そんな気合いとは裏腹に、1時間も経たないうちに息子は遊び疲れてあっけなく眠ってしまいました。
時計を見ると、いつもの就寝時間まであと90分。読みかけの本に戻ろうかとも思いましたが、不思議と先の読書熱は冷めています。怪人役で張り切ったせいか、喉が渇いて無性にビールを飲みたくなりました。
「ん? せっかくの空き時間をダラダラとビールで終わらせていいのか?」
「理想の自分」から怠惰を戒める声が聞こえてきましたが、フィーリングは「いや、ビールでいい!」と断言しています。
Aさんは、ここで再び「目の前のことを本気でやる!」を思い出します。
「そうだ。ビールを飲むと決めたらそれに集中しなきゃ。罪悪感なんてもっていたら、本気で楽しむことなんてできやしない!」
酒の肴は大好物のポテトサラダと、録画してあったお笑い番組。ソファーにドカッと座って、完全にリラックスしていることを確認したのち、いっさいの迷いなく「プッシュ!」と缶ビールを開けました。
しばらくして奥さんも合流し、まったく予定になかった本気イベント「夫婦でビール&お笑い」は最高にグッドバイブスで終了します。
Aさんにはあとひとつだけ、「今日の本気でやること」が残っています。そう、就寝です。「え、眠るときまで本気なの?」と思うかもしれません。寝ることだって、立派な「目の前のこと」です。
明日の仕事のこと、今日の職場で気になったこと、家族のこと、自分の将来のこと、あらゆる「思考」は睡眠の妨げになります。それらをすべて手放して、静かに目を閉じました。
いかがでしょう。これが「本気モード」の過ごし方です。今回はAさんの話として書きましたが、私もほぼこれと同じことを一年中やっています(笑)。
「それじゃあ、自分の時間なんて作れないでしょ?」と思うかもしれませんが、事実はその真逆です。
ネコのトイレ掃除を本気でやらずに、適当にごまかそうとすれば、「こんなに汚いんじゃ、この子たちが可愛そうじゃない!」と奥さんからクレームが来て、その対応に30分は費やすことになるでしょう。
私には子どもはいませんが、聞いた話によると、やはり「パパは忙しいから、いまはダメだよ!」と一緒に遊ぶことを拒否しても、そう簡単には聞き入れてもらえずに、何度もなんども「遊ぼうよー」攻撃をくらうのだそうです。
本を読みながら片手間に遊ぶなどというのは最悪の選択です。それでは、何時間やってもあちらは満足してくれません。結局は、スパッと気持ちを切り替えて、徹底的につき合うのが最短だと知人が教えてくれました。
だからといって、尻に敷かれた旦那が、自分の気持ちをグッと抑えながら、泣く泣く家族のご機嫌をとっているわけではありません。
なにしろ私は、厨房に入ることさえ御法度という、亭主関白で有名な昭和の九州男児として育てられています。その気になれば、いつでも「うるせぇ!」と断ることはできます。
ここに、イメージと現実の大きなギャップがあるのですが、
「家族からのあらゆる依頼を、即座に本気でこなす自分が、本当に気持ちいい!」
と思えるからそうしているだけのことです。しかもこれ以上の最速はありません。
このことはおそらく、千の言葉を尽くしても共感してはもらえないと思います。やってみるしか、この「いい感じ」を理解する方法はないのです。
そしてもうひとつ、
「遊ぶことも、ダラダラすることも、寝ることさえも、すべて本気でやる!」
ことが、この話の最大のポイントです。
「ああ、また自分はサボっている」「ああ、またやるべきことをできていない」などと負い目を感じながら遊ぶから、いつまでたっても満足できないのではないでしょうか。
バックナンバー「時間に有意義や無意味があるのか?」で書いたように、時間に「有意義」や「無意味」のラベルを貼れるという発想は、残念ながらイリュージョンです。
だからこそ、私たちはもっと、
「その瞬間に、何をやりたいと思うかの自分のフィーリングを信じる」
べきだと私は考えます。
ぜひ、サボりたいと思ったら、いっさいの罪悪感を捨てて本気でサボってみてください。翌日も翌々日も、その次の日もサボりたい気持ちが消えないなら、そのまま本気でサボり続ければいいのです。
そうして迎えた5日めか、6日めか、どれだけ長くても数週間後かには、かならずこんなフィーリングをもつ日がやってきます。
「ああ、もう、つくづくサボるのは飽きたなぁ」
中途半端にサボっていては絶対に巡り会えない、この「もうサボりたくない自分」を目撃したことがないから、少しくらいダラけたときに、「このままではダメな自分になってしまう!」などという不安に襲われるのだと思います。
今回、あえて仕事の時間帯を書かなかったのは、「本気で仕事をしたくない理由」はいとも簡単に見つけられるからです。もちろん、すべてはイリュージョンです。でも、すでに書いたように、それは実践してみなければ絶対にわかりません。
だからこそ、最初は仕事ではなく、「家族からの依頼」を本気でやりながら、あなたの中の何が変わるか、家にいる人たちにどんな変化が現れるかを実験してみてください。
うまくいったら、少しずつ仕事にも当てはめてみるといいでしょう。そして何よりも、イチバンのおすすめは、もっとも手軽で誰にでもできる「本気でサボってみる!」ことです(笑)。
「本気でやる」は、カッコつけて言うと「身口意」、思いと言葉と行動を一致させるということだと思いました。自分も「本気」ということばに相当なイリュージョンをつけて、絶対無理だと思っていました。個人的に気になっていた言葉「身口意」の意味が倉園さんのお話で分かった気がしました。特別なことをしなくてただ3つを合わせるだけでいい。自分の解釈ですが、そう理解しました。
本田さん、コメントをありがとうございます!
そうですね。身体を動かしているのに、それを快く思わなければ、身と意が分離します。自分が異なる二方向に引き裂かれるような感じでしょうか。
反対に、思いと言葉と行動が一致していれば、私たちの中に葛藤やストレスは生まれません。これが本気のメリットだとすれば、まさに本田さんの解釈どおりだだと思います!