前話でも書いたように、「いまここ」とはいっさいの「恐れや不安」が生まれない奇跡のような時間です。たとえ、着手する前に「やりたくない」と感じていても、いざ実行して「いまここ」に入ってしまえば、あらゆる嫌な感情はいつしか消えていきます。
一方で、何かをやり始めてからもなかなか目の前のことに集中できずに、いつまでも「辛い」「やる気が出ない」という思いを抱え続けることがあるのも事実です。
そんなときは真っ先に、
「自分は誰かの犠牲になっている」
「自分はこれをやることで何かを奪われている」
という感覚を抱いていないかを疑ってみてください。
「ああ、たしかにそうかもしれない!」と思う人は少なくないはずです。なぜかはわかりませんが、気がつくと私たちは、この「犠牲になっている感」と「奪われている感」によってグッドバイブスでいることを阻まれています。
そこで今日は、なぜそのような感覚をもってしまうのか、どうやってそれを手放せばいいかについて書いてみようと思います。
まず、「犠牲になっている感」と「奪われている感」を抱くとき、私たちがあえて漠然とさせている事柄を明らかにしておきましょう。それは、この件の主語です。
「あなたは誰の犠牲になっているのか?」
「あなたから何かを奪っているのは誰か?」
よく「会社や社会の犠牲になっている」という話を耳にしますが、どちらも人ではないので、あなたに犠牲を強いたり、あなたから奪ったりすることはできません。よく見極めていけば、かならず何人かの特定の人物にたどり着くはずです。
仕事なら上司や同僚などでしょうか。場合によってはできのわるい部下という可能性もあります。家庭なら妻や夫、子ども、両親、兄弟などが候補になります。
そして、これらの人物に共通するのは、
「あなたに直接、もしくは間接的に仕事を依頼した人」
という点です。
上司や家族から「これをやって!」と言われるのが直接の依頼です。誰かのミスや、子どもの病気など、何らかのアクシデントによって、自然と自分にその役目が回ってくるのが間接的な依頼です。
さて、ここからはイメージタイムです。あなたには数年のあいだ恋い焦がれた異性がいます。容姿はもちろん、性格も感性も自分にピッタリで、なんとかしてつき合いたいと願い続けてきました。
ある日、それまでのパートナーと別れたという噂を聞きつけたあなたは、最後のチャンスとばかりに、思い切ってその相手に告白してみました。なんと答えは「YES!」です。長年の夢を叶えたあなたはいま、しあわせの絶頂にいます。
その相手が、以前からあなたが苦手で、できればやりたくないと思っていたことを「手伝ってほしい」と依頼してきたとしたらどうでしょう。しかも、仕事で超多忙の時期にです。
あなたはその頼みごとをやりながら、「ああ、自分は恋人の犠牲になっている」「ああ、この人は自分の何かを奪っている」と感じるでしょうか。
もちろん、「相手が誰であろうとそう感じる!」という人もゼロではないかもしれませんが、圧倒的に少数意見として無視します(笑)。ようやく恋人の仲になれた愛しい人に、そんな思いを抱くことはまずありえません。
私なら、たとえ徹夜明けであっても、ホイホイと彼女の家に飛んでいくでしょう。そのうえで、自分が苦手であったことさえ忘れて、超本気モードで活躍しまくると思います。
ではここでこのハッピーな状況を一変させます。今度は、先の恋人のそれと内容も質も量も寸分違わない依頼を、まったく同じ超多忙の時期に、あなたの大嫌いな上司から受けたとしたら何が変わるかを想像してみてください。
間違いなく、それを実行しているあいだずっと、上司の犠牲になっていて、上司に何かを奪われていると感じることでしょう。
これが私たちの抱く、「犠牲になっている感」と「奪われている感」の正体です。
「ああ、自分に何かを依頼する人が好きか嫌いかで決まるのか」と思うかもしれません。そこに大きなヒントがあることは間違いありませんが、それではまだ答えにいたっていません。
「犠牲になっている感、奪われている感は、自分の意志で創り出している」
これがこの話の本質です。
恋人と嫌いな上司の話で、行動の種類や内容、そして自分の置かれた状況が原因でないことは明らかになりました。同じことをやっても、私たちは「犠牲になっている感」と「奪われている感」を抱かないことがあるのです。
残る要因は「依頼主が誰か」なのですが、そもそも相手を好ましく思うか、嫌いと思うかを判断しているのはあなた自身です。
拙著『グッドバイブス ご機嫌な仕事』のプロローグで私は次のように書きました。
「あたなのまわりにいる大嫌いな人も、彼らを嫌うと意志決定した瞬間に、あなたによって創造されたということです」
受け入れがたいかもしれませんが、これがグッドバイブスの根底にある重要な発想です。
あなたが「この人を嫌う」と意志決定することで、ひとりの「嫌いな上司」がこの世に創造されます。その上司から依頼された仕事に、「犠牲になっている感」と「奪われている感」を抱くとするならば、その思いはやはり、あなたが自分の意志で創造したことにならないでしょうか。
ただ、いまは「だから嫌いな人を創り出さなければいい」という話にもっていくのはやめておきましょう。そこまで問題を難しくする必要はありません。
たったひとつ、
「自分はいつでもしあわせでいたいか?」
を問うだけでいいのです。
それが誰からのものであっても、依頼にはいつでも2つの種類しかありません。
「断ることができない依頼」と「断ることができる依頼」
です。
仕事の場合なら、ほとんどが前者になるでしょう。家族からの依頼であれば、「本音を言えば断りたいけれど、怒られるのが嫌だから仕方なくやる」といった、やむなく前者になってしまうものも少なくないでしょう。
けれども、もしあなたが、「それをやるくらいなら、すべてを失った方がマシだ!」と思うような依頼であれば、仕事であろうとプライベートであろうと、無条件で断るはずです。
だとすると、あなたの前に残っているのはいつでも「断ることができない依頼」だけということになります。それはもう、「実行することが決まってしまっている行動」と捉えるしかないものです。
あとは、あなたの意志に委ねられた次の選択肢が待っているだけです。
A:その仕事を気持ちよくやりたいか?
B:犠牲になっている、何かを奪われていると感じながらやりたいか?
誰のための選択か? もちろんほかでもない、あなた自身のためのです。
ここで、重要になるのが先の問いです。
「自分はいつでもしあわせでいたいか?」
答えに迷うようなら、ここで「依頼主」と「依頼されたこと」を完全に切り離してください。「依頼されたこと」にベタ塗りされている「依頼主」の印象やら、好き嫌いやらをすべて洗い流します。
「なんでこんな忙しい時期に」などの思いもあるでしょう。「他に手の空いている人がいるじゃないか」などの不公平感が拭えないこともあるでしょう。
けれども、どれだけ不満があろうと「実行することが決まってしまっている行動」があなたの前から消え去ることはありません。組織の問題はまた個別に修正すべきもので、今回の件を不機嫌に行うことでは解決しません。
だから、あらゆるノイズをあなたの意志で取り除いて、キレイでフラットな、
「ただ自分の目の前にある、これから実行するひとつのこと」
にしておくほうがいいのです。
これで、「いまここ」で目の前のことに100パーセントのエネルギーを注ぎ込む準備が整いました。そして、このブログでも繰り返し書いてきたように、私たちが妄想ではなく、リアルに何かを感じられる時間は「いまここ」しかありません。
そこに入ることができたあなたは、何の色もついていない「これから実行するひとつのこと」をやりながら、実は誰の犠牲にもなっていないし、何も奪われていないという、しあわせな事実を体験するはずです。
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