自分で書いていて言うのも何ですが、拙著『グッドバイブス ご機嫌な仕事』やこのブログには、いざ実行しようとすると「面倒だなぁ」と感じる話が溢れています。
セミナーやワークショップでもよく、「グッドバイブスに書かれていることは、頭では理解できるのですが、やはり面倒くさいという感覚のほうが勝ってしまって、なかなか思いどおりにできません」という話をよく耳にします。
そこで今日は、なぜ私たちはすぐに「面倒くさい」と思ってしまうのか、どうすればそれを解消できるのかを探ってみようと思います。
拙著には無料公開版があるのをご存じでしょうか。いまでも版元であるインプレスのサイトからダウンロードできます。この前書きに次のような記述があります。
「辛いと感じる出来事をスパーリング相手にして、自分で書いてきたことの真偽をひとつずつ検証できた」
グッドバイブスやこのブログに書いてあることは、私にとって机上の空論ではなく、自分自身を実験台にしながら、効果のほどを確かめてきたものばかりです。
その私が、中でも面倒な筆頭を挙げるとしたら、やはりこれです。
「いまいる場所で本気を出す」
一般的には、「ここ一番の勝負所で本気を出す」くらいで十分なはずです。でも、グッドバイブスでは基本的に「いつでも本気」が求められます。
とくに、それを書いてしまった私としては、このブログはもちろん、最近始めたメルマガから、オンラインサロンの「グッドバイブスファクトリー」やセミナー、ワークショップ、ソーシャルの投稿まで、ありとあらゆる活動を本気でやらざるを得ません。
それはそれは、面倒なことばかりです。
あるいは、この話から派生した、
「誰かに何かを依頼されたら、その瞬間に本気で実行する!」
もまた、ものすごくやっかいなメソッドです。しかも、私はこれを公私の区別なくやれと公言しています。仕事で疲れて帰ってきた自宅でも、家族からの依頼があれば、即座に本気でやらないわけにはいきません。
まだまだこんなのもあります。
「怒りをぶつけてきた相手の言動を見るのではなく、彼らの中にある恐れや不安を探し、できればそれを取り除く努力をする」
そもそも、自分を攻撃してきた人に対して、「この人は恐れや不安を抱いているから、このようなおかしな行動をとっている」とみなすだけでもひと苦労です。そのうえ、こちらは反撃や報復をいっさい封印しなければなりません。
しかも、それで終わりではなく、
「恐れや不安に基づく選択をする人は、自分に愛を求めている」
と捉え、こちらが相手の「恐れや不安」を取り除く努力をするわけです。
こんなことを書いてばかりいれば当然、次のような質問をしばしば受けることになります。
「倉園さんは、そういうことを面倒とは感じないのですか?」
多くの人の期待に反して、私はいつでもこう回答しています。
「面倒に決まっているじゃないですか! これまで、面倒くさいと思わなかったことなど、一度もありませんよ!」
期待を裏切るようで申し訳ありませんが、これが現時点での私の結論です。「どうすれば面倒でなくなるか?」と問われても、「残念ながら、面倒くささを消し去る方法など、どこにもありません」と答えるしかないのです(笑)。
正直に言って、このブログを書く直前まで、私は毎日「ああ、面倒くさい! もうやめてしまいたい!」と絶叫しています。その他のこともすべて同じです。何もかもが面倒に思えるし、できれば心ゆくまでゴロゴロして、何時間でも寝ていたいといつも願っています。
ただ、それでも何とか自分で書いたことを実行できているのは、私が「面倒くさい」の正体を知っているからにほかなりません。
それは、
「未来に対する妄想」
です。
私は今年で57歳になります。このブログを読んでいるあなたも、20年から40年くらいの人生は送っていることでしょう。それこそ、何度も何度も同じことを実行してきたはずなのに、なぜか「実際にやると何が起こるか?」を忘れてしまうのです。
それはもうある種の記憶喪失といってもいいくらいの忘却ぶりです。その結果、何かを始める直前まで、「実行すると大変な目に遭う」「実行すると困難に遭遇する」などの、よくない未来ばかりが頭に浮かびます。
これが、私たちがあらゆる行動に対して「面倒だなぁ」と感じてしまう理由ではないでしょうか。
この感覚を払拭するためには、
「いまここで、もっとマシな現実を見せてもらう」
以外に方法はありません。
「いやいや、それほど難しくはないよ」「いやいや、それほど苦しくもないよ」と、本当のことを教えてもらうために、
「とっとと着手してしまう」
しかないのです。
以前、NHKで宮崎駿監督のドキュメント番組が放映されました。大ファンの私にとっては、数々の感動の場面がありましたが、中でも驚いたのは、絵コンテのアイデアが出ないことに苦悩しながら、
「ああ、面倒くさい! ああ、本当に面倒くさい!」
と、何度もつぶやくシーンでした。
ジブリ映画といえば、手書きのセル画で有名です。たとえば、約100分の『崖の上のポニョ』で、その数はなんと17万枚を超えるのだそうです。どう考えても、これが面倒でないはずがありません。
私たちも監督に学びましょう。そう、思いっきり声に出して「面倒くさい!」を連呼すればいいのです。もちろん、面倒だと感じてしまったことに罪悪感など抱く必要はいっさいありません。
先に書いたとおり、ただ「実際にやると何が起こるか?」をすっかり忘れてしまっているだけのことです。未来はいつでも大変に思えるだけのことです。私もこの妄想だけは、いまだに手放せずにいます。
でも、たったひとつだけ、「いまここ」に小さな信頼を寄せることができれば、実在しない未来のよくないイメージはすぐに消え去ります。なぜならば、
「いまこことは、いっさいの恐れや不安が存在しない時間」
だからです。
直前まで面倒としか思えないこのブログも、書き始めてその感覚が消えなかったことは一度もありません。着手しさえすれば、「いまここ」のマジックがかならず働き、次第になんともいえない心地よさへと導かれていきます。
「本気でやる」も「相手の恐れや不安を取り除く」もまったく同じで、やるまでのあいだをどう過ごすかの勝負です。
ただし、翌日になるとそのことを忘れてしまうので、また面倒くさいから始めるしかありません。そんな繰り返しの中で私たちは生きているのだと思います。
この記事を機会にきっぱりとあきらめましょう。やはり、グッドバイブスは面倒さと仲良くしながら極めていくしかないのです(笑)。
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