このブログでもほぼ毎日のように書いているとおり、私たちに悩みを抱かせる最大の要因はやはり、「望ましくない未来の妄想」です。
それをすれば「恐れや不安」が押し寄せてきて、エネルギーを消耗したり、動けなくなったりするとわかっているのに、なぜ私たちは、よくない未来のことを考えずにはいられないのでしょうか。
その理由は、「できるだけわるいことを想像しておけば、ショックを軽減できる」「リスクを洗い出しておけば、うろたえずに対応できる」などの、悩みと引き替えにしてでも得たい「メリット」を手放せないからです。
中でも私たちにとってもっとも捨てがたいのが、
「絶対に後悔したくない!」
という感覚ではないでしょうか。「ああ、やってしまった!」という思いを抱きたくないからこそ、私たちは何とかして不確定な未来を知ろうとするわけです。
そこで今日は、私たちが人生の中で起こってほしくない出来事ナンバーワンといってもいい「後悔すること」について考えてみようと思います。
例によって、「後悔とは何か?」を見直すところから始めましょう。私たちが後悔するためにはいくつかの条件が必要です。
① 人生という時間には限りがある
② 人生には、正しい選択と間違った選択がある
③ 間違った選択をすると、不幸な人生をおくることになる
④ 実際に、正しい選択だけをできる人がいる
少なくとも、この4項目のすべてが真実でなければ、誰も後悔することなどできません。たとえば、①の人生の時間が永遠だとすると、何度でも無限にやり直せることになります。結果として、私たちは後悔という概念をもたずにすむわけです。
そこで試してみたいのが、この「後悔するための4条件」が紛れもなく真実で、絶対に正しいかを疑うことです。ぜひ、ひとつずつじっくり眺めながら、「本当にそうか?」と自問してみてください。
「ほかはどうあれ、①だけは真実でしょう」と思うかもしれません。でも、バックナンバー「夢中と必死は生きている時間の違い」で私は、
「いまここにいる限り、永遠のように感じる時間にいられる」
と書きました。
この人生に終わりがあることは事実ですが、それがいつ来るのかは誰にもわかりません。さらに、終わりの瞬間には文字どおり終わっているので、私たちが「あ、いま終わった」と自覚することはありません。
つまり、終焉という未来を勝手に想像しなければ、私たちは終わりを体験することのないまま、永遠の時間の中に生きられるかもしれないということです。
もちろん、そのように実感しながら生きることが難しいとすれば、①は限りなく真実に近いことになりますが、そうでない可能性があることは、押さえておいて損はないと思います。
②と③はいったん置いておいて、④の「実際に、正しい選択だけをできる人がいる」はどうでしょう。これは、私たちが「自分もそうなりたい!」と憧れる、いわゆる「成功者」を指しています。
サボりたい自分が現れても、理想の自分になるために、どんなときでも「努力を怠らない」という正しい選択だけをしてきた人、人生の辞書に「後悔」の2文字が存在しないスーパーマンです。
実際に、多くの人がそんな尊敬に値する人物になることを目指しています。しかも、意外と身近にいる人にそのイメージを重ねているため、自分もそれができなければおかしいと思っていたりもします。
はたして、彼らの選択はいつでも完璧なのでしょうか。真偽のほどは本人に聞いてみるしかありませんが、②と③の信憑性を検証することで、その答えが出せるようにも思います。
本当に「人生には正しい選択と間違った選択があり、間違った選択は不幸な人生を招く」のでしょうか。ぜひ、この発想には決定的におかしな点があることに注目してください。
それは、
「Aを選択した結果の人生Aとは別に、Bを選択した結果の人生Bがある」
という、現実にはありえない前提です。
これを成立させるには、まず、いくつかのパラレルワールドが自分のまわりに存在していなくてはなりません。これが絶対に必要です。
そのうえで、人生Aを選んだ自分が、もうひとつの人生Bの映像を正確に観ることができて初めて、「ああ、そちらが正しい選択だったのか」と結論を出せるのです。
いうまでもなく、この世界はそのようにはできていません。選ばなかった人生を眺める方法もありません。だとしたら、何を根拠に私たちはその選択が正しかったのか、それとも間違っていたのかを判断しているのでしょうか。
Aという選択をしたなら人生Aだけが現実です。それが正しいかどうかをジャッジするには比較の対象が必要ですが、そんなものはどこにもありません。
そこで私たちは、
「頭の中で、選ばなかった仮想の人生Bを創造して、現実の人生Aと比べる」
という荒技を使うのです。
あとは、自分の行った選択がどんなフィーリングをもたらすかですべてが決まります。選んだ人生Aが「うん、わるくない。けっこうハッピーかも」と感じたら、頭で創り出すのは「不幸な人生B」です。結果はもちろん「正しい選択をした。Bを選ばなくてよかった!」となります。
反対に、現実の人生Aが「最悪だ!」と思うようなものであれば、「しあわせな人生B」を頭に思い浮かべます。こちらは「間違った選択」なので、「Bを選んでおけばよかったのに!」と後悔します。
「いやいや、比較するのが想像の人生だとしても、それなりに信憑性はあるじゃないか!」と反論したくなるかもしれません。けれども、前者の例なら、人生Bはもっとハッピーで、後者の例なら、人生Bはさらに悲惨なことになっていた可能性もゼロではないのです。
どちらにしても、現実と仮想現実を比較しても本当のことはわかりません。なぜならば、選ばなかったほうの映像に自分がどのような脚色を施すかで、結果はいかようにでも変わってしまうからです。
もし、どんな選択をしたとしても、選ばなかった仮想の人生のほうに「こちらのほうがしあわせだった」という色をつけさえすれば、私たちは一生、後悔し続けることもできるのです。
これで、「後悔するための4条件」の信憑性はかなり薄まったと思います。同時に、後悔しない人生の定義も明らかになったはずです。
「Aを選んだなら、選ばなかった人生Bはもうこの世に存在しない!」
存在しないものを引き合いに出して心を痛めることをやめる。これ以上ないくらいシンプルな答えだと思います。
もちろん、Aを選んだ人生Aに不満を感じることもあるでしょう。それならば、次の選択の際にその経験を活かして、何らかの修正を加えればいいだけのことです。後悔することで被るダメージは、そのエネルギーすらも奪ってしまいます。
もしかしたら、先に登場した④の「成功者」たちが後悔していないように見えるのは、いつも正しい選択をするからではなく、この世界が後悔を生むような仕組みになっていないことを熟知しているからかもしれません。
「後悔は先に立たず」という言葉は、半分あたっていると思います。でも、完成形はこうです。
「後悔はあとにも先にも存在せず」
短期的に成功したように見えても、失敗したように見えても、勝ったと思っても、負けたと思っても、自分がした選択を最善と受け入れて、淡々と前に進めばいいのではないでしょうか。
Photo by Satoshi Otsuka.
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