4月12日の記事「身体は意識の創造を外の世界に表現する道具」と、昨日の「自分をもろくて儚い存在とみなす自我の正体」で、「自我」とは何か、それが私たちの言動にどのような影響をもたらすかについて書きました。
今日はその続きとして「どうすれば自我の力を弱められるか?」について考えてみたいと思います。
まず、あなたがいま「自我」の声に従っているかどうかを、いつでも確認するようにします。
① 自分の行動や、自分が判断したことの結果をひとつずつ見て、それがあなたに痛みや苦悩をもたらしたか、それとも平安をもたらしたかを検証する。
もし、結果が「痛みや苦悩をもたらした」であれば、そのような行動や判断を促したのは間違いなく「自我」です。
「そもそも、人生には痛みや苦悩がつきもの」などと受け入れる必要はありません。「身体」ではなく「意識」を自分と認識する本来のあなたは、どんなときでも平安でいられます。
痛みや苦悩を感じたときは、そのことを信じて次のように宣言してください。
「私はこのような行動や判断によって平安が奪われることを絶対に望まない!」
これであなたは「自我」に対して強烈な反撃の狼煙を上げたことになります。そのうえで、「意識」は決して傷つかないことをしっかりと認識しておきます。
② 自分や他の人々の本体は「身体」でなく「意識」である。「身体」は傷つくが、「意識」が傷つくことはあり得ないと認識する。
これによってあなたは、防御を解くことができるようになります。もちろん、自分を守るために誰かを攻撃する必要もありません。
そうなれば当然、
「考えろ! 想像しろ! 危険やリスクをすべて洗い出せ!」
という「自我」の命令は無効になり、過去や未来を思い悩むことをやめ、「意味づけ」を手放すこともできるようになります。
ここでもっとも重要な点は、
「他の人々の本体も身体でなく意識であると見る」
ことにあります。
誰かがあなたに対して望ましくない行動をとったり、不快なことを言ったりしたときには、自分がそうであるように、
「これはこの人の自我の表れだ。これはこの人の間違った姿だ。だから、この人の本体に目を向けよう」
と、反撃したい誘惑に負けずに、「絶対に傷つかない自分」を信じて相手の「意識」を探してください。
あなたが自分をどう認識するかは、あなたが他人をどう認識するかで決まります。あなたの「自我」の力を弱めたいのなら、他の人々の「自我」から生じる言動も受け流す寛容さが不可欠ということです。
①と②によって「自我」の力はかなり弱まります。おそらく、そのような状態のあなたは、前話で書いた「自我」の戦略の反対を行く準備ができているはずです。
もし、「相手の得は自分の損。自分の損は相手の得」「早く手に入れないと誰かに取られてしまうぞ」「他人に勝ちたい」「他人よりも特別な存在でありたい」と感じたら、それが「自我」からの指令であることに気づいてください。
あとはその逆の選択をするだけです。
③ どんなときでも、自分と他人の利害が一致する道、奪うことではなく与える道を模索する。
「どうすれば与えられるか?」について悩む必要はありません。私たちは本来、奪うよりも与えるほうが得意なのです。
たとえば、あなたが何らかの仕事をしていれば、そこには必ず「あなたの仕事を受け取る人」がいます。そこで、
「その人たちに与えることが仕事の目的」
と考えることもできます。
最後に、「全身の皮膚を境界線として、身体の内側だけが自分である」と認識することによって、「これは自分ではない!」と切り捨てたもの、すなわち「身体の外側にあるもの」を自分の一部として見直します。
④ 「つながり」と「広がり」の中に生きる自分を思い出し、自分の本体は身体であると認識するために切り離してしまったすべてを、自分を構成する大切な要素として取り戻す。
「自分がいま生きていられるのは、どんな人とのつながりがあるからだろう?」と自問してみてください。
パートナーや家族、職場の仲間や友人、大切な何かを教えてくれた師匠のような存在、元彼や元カノ、実際には会ったことがないSNSの知り合いなど、挙げればキリがないほどあなたには無数の「つながり」があるはずです。
できるだけ多くの人を思い出しながら、自分自身にこう問いかけてみてください。
「この人たちがいなかったら、いまの自分はここに存在していただろうか?」
「皮膚という幻想の境界線」を取り除くことができれば、それらすべての人を「自分を構成する大切な要素」と見ることができるようになります。
そこには「絶対的な孤独」もなければ、分離されて孤立した自分もいません。拙著『グッドバイブス ご機嫌な仕事』にも書いた、
「私たちは最初からひとつだった」
ことを思い出しながら、「自我」によって植え付けられた「恐れや不安」が少しずつ消えていくのを実感できるはずです。
私たちがこの「身体」とともに生きている以上、「自我」を完全に消し去ることは至難の業かもしれません。けれども、「自我」とはどのようなもので、何をしたいと望んでいるのかさえわかってしまえば、その影響力は次第に弱まっていきます。
「恐れや不安に基づく選択」をしそうになったら、ぜひ、いったん立ち止まって、「いま自分は自我の誘惑に負けていないか?」を自問する習慣をつけてください。
幻想から生まれ、幻想の戦略しか立てられない「自我」の力は、私たちが想像するほど強くはありません。
Photo by Satoshi Otsuka.
Leave a Reply