今日は拙著『グッドバイブス ご機嫌な仕事』にも登場する「愛の選択」について考えてみようと思います。
まず大前提として、私たちは「愛とは何か?」を正確に表すことができません。愛のようなものや、「愛の選択」によってもたらされる行動の断片を語ることはできても、愛の全体像をひとつの矛盾もなく言葉にすることは不可能だと思います。
愛は、思いやりや優しさのように、概念として頭で理解できるようなものではないのかもしれません。だから、「愛をもとう」「愛を送ろう」などと考えても、それをするのが極めて難しいと感じてしまうのではないでしょうか。
唯一、愛を体現できるのは、「それ自体が愛である」存在だけです。つまり、もし私たちにも「愛の選択」が可能ならば、それは、
「私たち自身が愛そのものとして生まれた」
からにほかなりません。
だとしたら、私たちは自分自身である愛の正体も完璧に知っているはずです。それを言葉にできない理由は、「自分とはどういう存在か?」と聞かれても、部分的、断片的ににしか語れないのと同じです。
ただ、誰が見てもわかるように、ふだんの私たちが「愛の選択」だけをしているとはとても思えません。なぜ、愛そのものであるはずの私たちが、そのような日常を送っているのでしょうか。
おそらく、
「恐れや不安」
によって、いつの間にかそのような存在であることを忘れてしまったからだと私は考えます。
言葉で教えてもらうこともできず、思い出すこともできないとしたら、「愛の選択」をするために、私たちに残された方法はひとつしかありません。
それは、
「恐れや不安に基づいた選択をしないこと」
です。
「愛そのものとして生まれた」ことを忘れさせた要因を意識的に拒むことで、本来の自分を取り戻すのです。
具体的には、AとBのどちらを選ぶか迷ったときは、「自分はなぜそちらを選ぼうとしているのか?」を自問して、
「選択の根拠に恐れや不安がある場合は、そちらを選ばないと決める」
ことです。
たとえば、次のようなシチュエーションがあったとします。
「明日が期限の仕事があるが夜も更けてきた。このまま続けるか、寝るか?」
これまでなら、あなたの中に「期限に間に合わなかったら怒られる」という不安があれば、それを理由に睡眠時間を削って仕事を続けていたはずです。
けれども、それは間違いなく「恐れや不安に基づく選択」です。ここでは、先の決意に従って「寝ること」を選ぶようにします。
反対に、「睡眠時間が少ないと、体調を崩してしまう」という不安を抱いていた場合は、「寝ること」を選ばずにそのまま仕事を続けてみます。
あるいは、こんな状況もひとつの参考になります。
「これを買いたいのだけど、あまり金銭的な余裕がない。どうするべきか?」
あなたの不安が、「これを買わないとトレンドに乗り遅れる」や「これを買って勉強しないと出遅れる」であれば、あえて「買わない」ほうを選びます。
反対に、「これを買ったら今月の生活費が足りなくなるかもしれない」という不安を感じていたなら、勇気をもって「買う!」選択をします。
もちろん実際の場面では、選択の際にすでに体調を崩していたり、家族のことも考慮しなくてはならなかったりと、より複雑な事情が絡み合うでしょう。
そんなときでも、ぜひあなたの中の「恐れや不安」を見張りながら、一度は自分の選択を疑う習慣をつけてみてください。
もし、AとBのどちらにも不安を感じる場合は、あなたが想定していなかった別の選択肢、CやDやEの中から不安のないものを探してみてください。
そうして、「恐れや不安」の反対を取る選択がいい結果をもたらすと実感できたなら、存在自体が愛であるあなたにとって、実は「愛の選択」のほうがはるかに自然だったことに気づくはずです。
Photo by Satoshi Otsuka.
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