「言動=その人」と見なければ相手を赦せる

今日は「どうすれば他人を赦せるか?」について考えてみたいと思います。

まず、なぜ私たちは、望ましくない言動をする人を赦すことが難しいと感じるのかを認識しておきましょう。その最大の理由は、

「自分を傷つけたり、不快にさせたりする言動と、それを行った人を同一視する」

からにほかなりません。

たとえば、Aさんがあなたに「心ないひと言」を発したとします。当然、あなたはそれによって不愉快な思いを抱き、次のような判断をします。

「心ないひと言を自分に投げかけるAという人は心ない人だ!」

「発言=その人」という図式です。

では、ここで自分自身が行ってきた言動を振り返ってみてください。あなたはこれまでに「混乱して支離滅裂なことを言ってしまった」「何かが怖くて、心にもないことを言ってしまった」という経験がないでしょうか。

あるいは、「自分の保身のためにズルいことをしてしまった」「電車に乗ってきたお年寄りに席を譲りたかったが、その日は寝不足で立ちたくなかった」など、後味のわるい選択をしたことはないでしょうか。

自分でもなぜそうしたのかわからない謎の振る舞いを、私たちは、

「気持ちと裏腹の行動」

と呼びます。

もし、あなたの「気持ちと裏腹の行動」を見た誰かが、「君はそういう人間なんだね」と言ったとしたらどうでしょう。おそらく、あなたは「いや、そうじゃないんだ!」と必死に誤解を解こうとするに違いありません。

けれどもそれは、「発言=あなた」「行動=あなた」という図式に則った、ふだんの私たちが正当と考えている判断です。

一方で私たちは、人によっては「言動」と「それを行った人」を同一視しないことがあります。たとえば、反抗期の子どもに辛辣な言葉を浴びせられた親はどうでしょう。熱烈な恋愛中に口論をした恋人同士はどうでしょう。

どれだけ相手の言葉に傷ついたとしても、娘や息子、愛する人に「発言=その人」という図式を当てはめて、彼らを「嫌いな人」に変えようとは思わないはずです。

なぜそうなのでしょう。不思議なことに、大切に思う人が望ましくない言動を行ったときは、

「発した言葉や行動ではなく、それをするにいたった事情のほうが気になる」

からです。「気持ちと裏腹の行動」の「気持ち」のほうを重要視しているといってもいいでしょう。

ここまでの話の中に、望ましくない言動をする人を赦すためのヒントがあります。

まず、なぜ私たちはときに「気持ちと裏腹の行動」をとるのか、その理由を自分自身の経験に照らし合わせて探ることです。

答えはすぐに判明します。先に挙げたあなたの「気持ちと裏腹の行動」の背景には、例外なく「恐れや不安」があったはずです。自分がそうであるなら、他の人が「気持ちと裏腹の行動」をする理由もまったく同じです。

「望ましくない言動をする人には、恐れや不安を抱えているという事情がある」

のです。

これさえわかれば、あなたが大切に思う人にしたように、相手がそれをするにいたった事情、すなわち「恐れや不安」を見るという選択肢が生まれます。

もしあなたが、相手の「恐れや不安」を和らげたり、取り除けたりするのであれば、相手のためでなく、自分の心を平安に保つためと思ってトライしてください。

これによってあなたは、「言動」と「それを行った人」を同一視しなくなり、自然と自分を不快にしたり傷つけたりした人を赦せるようになるはずです。

あなたに向けられた言葉や行動のほうは、単なる間違いとして修正すればいいだけです。その具体的な方法は、拙著の第9章やバックナンバー「間違いを修正すれば自分を赦すことができる」と「自分の過ちも他人の過ちも罪に変えずにおく」を再読してください。

Photo by Satoshi Otsuka.