本気を出すと疲れるという幻想から抜け出す

このブログのサイドバーにある検索欄に「本気」と入れて検索してみてください。タイトルに「本気」を含む記事が7本、本文中に「本気」が登場する記事が20本以上、出てきます。

そのくらい、グッドバイブスと「本気」には、切ってもきれない関連性があるということです。そもそも、「恐れや不安」のない「平安な心」でなければ本気になれないし、本気を出しているとしたら「いまここ」にいる証拠なので、当然の結果なのかもしれません。

拙著『グッドバイブス ご機嫌な仕事』では、個性に導かれた「しあわせな役割」を見つけるための具体的な方法として「いまいる場所で本気を出す」ことを提案しました。

また、バックナンバー「自分と他人とこの世界を信頼するための根拠」では、自然界の営みに学んで「与える」ことができれば、「この世界のうまいく法則」の恩恵を受けられると書きました。

そして、「与える」という行動を、私たちの日常に当てはめるなら、

「誰かに何かを頼まれたら、あらゆることを中断して、その瞬間に、最優先のプライオリティーで、本気で気持ちよくそれを実行する」

ことだと私は考えます。

とにもかくにも、グッドバイブスは「本気」だらけなのです(笑)。ところが、この話を聞いた人から、「でも、いつも本気でやると疲れてしまうじゃないですか!」という異論が飛び出すことも少なくありません。

もしそれが事実だとしたら、グッドバイブスは苦行のようなものになってしまうし、それを何年も実践している私は、いつでもヘトヘトに疲れ果てていることになります。もちろんそんなはずはありません。

そこで今日は、何とかして「本気=疲労」という誤解と幻想を解いてみようと思います。

まずは「本気」の定義からです。拙著にも書いたように、本気とワーカホリックはまったく違います。また、本気に「どのくらい長くやるか」などの時間の概念は含まれません。長時間労働とはいっさい無縁です。

「本気とは、いまこの瞬間に最大のエネルギーを注ぎ込むこと」

と捉えてください。

たとえば、私はいまこのブログを書いています。自分のルールとして文字数は2,000字から3,000字と決めています。本気でやっても、手を抜いてもこの量は変わらないので、文章をタイプするために費やす体力はどちらも同じです。

最大の違いは「思い」にあります。拙著で次のように表現した部分です。

「身体を動かす瞬間、言葉を発する瞬間、一瞬一瞬に、これを受けとる人のために、自分のために、いいものを創りたい! という思いと、そこから生まれるエネルギーをどれだけ込められたかが問われるのです」

この文章だけを読むと、本気かそうでないかで費やすエネルギーの量は大きく異なるように見えます。でも、実はこの点でも大差はありません。

なぜならば、本気でないときの私たちは、「一刻も早くこの作業を終わらせたい!」と願いながら、

「完了した状態という未来に、大量のエネルギーを放出している」

からです。

さらに、それを行うことに著しく不満を感じている場合は、

「自分はこの作業のために、誰かの犠牲になっている、何かを失っている!」

という妄想をすることで、膨大なエネルギーを消耗しています。

おそらく、これが「本気」と聞くと、条件反射のように「疲れ」をイメージしてしまう大きな要因のひとつだと私は予想します。

このときあなたが想像しているのは、

「本当はやりたくないことなのに、手を抜くことも許されない」

という葛藤を抱え、気持ちと身体が完全に分離している状態ではないでしょうか。

学校のマラソン大会で、やりたくもないのに「全力で走れ!」と言われた経験、ふだんからけっして尊敬できない上司に「真剣にやれ!」と叱咤された経験、それらのトラウマのようなものが、あなたに本気を出させないストッパーになっているのだと思います。

もうひとつ別の可能性も見てみましょう。あなたが「疲れたくない」と思うとき、何に「恐れや不安」を感じているかという点です。それは、

「他の何かができなくなること」

ではないでしょうか。

「他の何か」は、アフターファイブのデートのように明確な場合もあれば、何となく家で好きなことをやりたいなど、漠然としていることもあります。

何のために必要かは別として、

「いつでも余力を残しておかなければ不安」

という気持ちがあるということです。

これは、給料日の前日に全額を使い果たさずに、いくらかの余裕をもっておこうとする感覚に似ています。「宵越しの金をもたない」のは危険と思うのと同じく、「宵越しの体力はもたない」のも恐いのです。

ぜひ、未来に行うであろう不確定な「何か」のために、いまの体力を温存しようとするこの謎のフィーリングが、

「できるだけ多くのことを実行したり、体験したりする人生のほうがしあわせ!」

という価値観に由来していることに注目してください。

それはたとえば、テーマパークに行くなら、なるべく多くのアトラクションに乗るべき、海外旅行に行くなら、ひとつでも多くの名所を訪ねるべきという発想です。

当然ですが、ここでは「一か所に集中する」などということは御法度です。質より量、とにかく量、気になることがあっても絶対に立ち止まってはダメで、次へ、次へ、次へと数をこなしていくことに意義があります。

このことの善悪やよしあしを議論しようとは思いません。あくまでその人の人生観です。ただ、一度だけ冷静になって、

「本当にそれがしあわせなのだろうか?」

と自問してみる価値はあるように思います。

同時に、多くのことを実行し、体験することをよしとする人生には、いつでも「これはここまで」という、パッケージツアーのような区切りが無数に存在し、その無意識の期限があなたに、

「時間がない!」

という強迫観念を抱かせている事実を見直してみてはどうでしょう。

このようなしあわせの捉え方の中に、私が言う「本気」を導入するのは不可能です。なぜならば、その人は「他のことができなかったらどうしよう」という「恐れや不安」によって、すでに、そしていつも疲れてしまっているからです。

頭の中にしか存在しない「未来」という想像の時間を手放しましょう。その時間がバーチャルであるならば、そこに置いた「やりたい何か」もすべて実際には存在しない架空の行動です。

それらについて「このあとにやらなければ!」と考えることに費やしていたエネルギーを、「目の前のことに使う!」と決めるだけで、私たちはいつでも「本気」になれます。

あまりいい形容詞ではないかもしれませんが、

「本気モードで消費するエネルギーはいつでも健全」

です。

それを依頼した人に対しての恨みもなく、「できるだけ多く!」といった我欲もないので、本気の行動の結果は、純粋に誰かの役に立ちます。そして何よりも、本気によって生み出された仕事はいつでも良質です。

この「役に立つ」と「納得のいくアウトプット」の2つの結果が、

「あなたを確実に癒してくれる」

のです。

つまり、気持ちと身体がひとつになった状態で発揮する本気には、

「いったんは疲れはしても、それをチャラ以上に回復してくれるエコシステム」

のような働きがあるということです。

「意味づけ」や「未来の妄想」を手放せるようになって、グッドバイブスでいられる時間が増えてきたなら、その「平安な心」をもったまま「本気」にチャレンジしてみてください。

冒頭に書いたように、グッドバイブスでなければ本気にはなれません。両方を併せて実践することで、「グッドバイブスかつ本気でなければ気持ちわるい!」という不思議な感覚があなたの中に生まれ、どちらもより確実なものになっていきます。

とくに、「最近、どうにも疲れやすくて困ってしまう」と感じている人には、効果抜群の特効薬になるはずです。そう、これが今日の結論です(笑)。