前話「妄想を手放すという意志は意識から生まれる」で、未来の妄想や「意味づけ」を手放し、「恐れや不安」から解放されるためには、「しあわせでありたい!」という「意志」が不可欠と書きました。
そして、その「意志」は「思考」ではなく、「意識」から生まれることもわかりました。もしこの取り組みがうまくいけば、近日中に行われる、
「あまり好きでない人が集まるつまらなそうな会合」
「なかなか自分の意見を曲げない頑固な上司とのガチの話し合い」
「下降をたどる売り上げをV字回復させるための取り組み」
などへの、抵抗感や圧迫感をもたなくなったあなたがそこにいるはずです。
さて、問題はここからです。これまでなら、「恐れや不安」という副作用はあっても、「望ましくない未来」を予想することで、何らかの対応策を用意できたような安心感があったはずです。
また、自分なりの「意味づけ」をすることで、相手や状況を「自分なりに把握できている」「熟知している」といった確信ももてていたはずです。
いま、その両方を手放したあなたは、いわば完全な「白紙」状態です。作戦も立てられなければ、あらゆることを判断する根拠も手元にありません。
そんな手ぶらな状態で、これから始まる出来事にどう向き合えばいいのでしょうか。そこで今日は、「未来の妄想や意味づけをせずに現実に対処する方法」について書いてみようと思います。
まず、私たちがやりがちな対応のひとつに、
「妄想する代わりに、ポジティブな意味をつけ、理想の未来を思い描く」
というのがあります。
わるい意味をつけたり、不幸な未来を思い浮かべたりすれば「恐れや不安」がやってくるから、その反対を考えればうまくいくという発想です。なるほど、たしかに理にかなっているような感じもします。
けれども、私はこのやり方をおすすめしようとは思いません。たとえば、あなたが「この会合には嫌いな人ばかり来るから楽しくないだろう」と予想したとします。当然、嫌な感じで胸がいっぱいになるでしょう。
そこで、がんばって「いや、来るのは嫌いな人ではなくて、いい人たちばかりだ。だからきっと楽しい時間を過ごせる!」と、最初の妄想をポジティブなものに変えることにしました。
では、実際に会場に到着したあなたは、はたしてどのくらいそのイメージを保っていられるでしょうか。
おそらく、ひとりめの参加者と会話をして「ムカッ」とくるまでの数分間が限度ではないかと思います。つまり、いい想像も、ある現実を目撃するまでのはかない命だということです。
ぜひ、次のように捉えてください。
「負の妄想もポジティブシンキングも、自分の勝手な予想に変わりはない」
せっかく、未来の妄想や「意味づけ」を手放して「白紙」になったとしても、何色であろうと、そこに色をつけてしまえば、またスタートに逆戻りです。ぜひ、正負いっさいの予想や予測を捨てて、その「白紙」状態のまま対象に向かい合ってください。
ここからはステップを追いながら解説しましょう。
① 映画の登場人物になるのではなく、観客や監督のようなスタンスに自分を置く。
まずは基本的な構えからです。先の「楽しくなさそうな集まり」でいうなら、あなたはたしかに会合に参加していますが、渦中の人物として状況を見るのではなく、『会合』という映画を俯瞰で眺めるような立ち位置に自分をおいてください。
会合に入り込んでしまえば、参加者の言動に対して「意味づけ」をしたくなるのは時間の問題です。観客や監督のスタンスにいることで、前話で書いた「思考と一体化」することを避けられ、「意志」の源である「意識」を働かせることができるようになります。
当事者としてドキドキするのではなく、
「どれどれ、これから何が始まるのかな?」
と、楽しみに待つような感覚をもっていてください。
② 完全に受け身の体勢で、現実からあらゆることを教えてもらう。
あなたはつねに「白紙」であることを忘れないようにします。ただし、それでは何も判断できず、行動することもできません。
そこで、目の前の出来事や、目の前の人が話すことなどの「現実」だけを凝視しながら、
「いま本当に起こっていることは何か?」
を観察します。
これを私は「現実から教えてもらう」と呼んでいます。これまでのあなたは、実際の出来事に向き合う前に、未来の妄想や「意味づけ」をしながら、自分なりの現実を確定させていました。
「これはできない」「これは苦手だ」「これは嫌いだ」など、「先入観」という色眼鏡をかけて曲がった現実を見ていたということです。「教わる前に、自分で勝手に決めていた」といってもいいでしょう。
たとえば、あなたが過去にAという流派の空手道場に通っていたとします。けれども、ある理由でそこをやめ、Bの流派の道場に移ったとします。
さっそく、師範代があなたにB流の型を教えようとしたとき、あなたが「いえいえ、それは違います。だって、A流はこうでしたもの!」と反論したとしたらどうでしょう。
師範代はあきれた顔をして「だったら、A流で教えてもらってください」と、あなたに指南することをやめてしまうかもしれません。
A流があなたの想像や「意味づけ」、そしてB流が現実です。
「あなたが自分流を信じたくなったら、現実は教えるのをやめる」
と思っていてください。
ここでは、徹底的に「受け身の姿勢」を貫くことが重要です。何が起きているかを知る前にけっして勝手に判断しないこと。このことを強く心に刻んでおきます。
③ 現実を凝視していて何かがわかったら、すかさずそれに反応する。
もし、現実からメッセージが届き、「あ、そういうことか!」と何かをつかんだら、いよいよ、あなたが動き出すときです。わかったことに反応するように、言葉を発したり、アクションを起こしたりしてください。
もちろん、このときも「一を聞いて十を知る」のは禁物です。それがクレバーな人などという価値観はいっさい捨ててください。「ひとつ判明したらひとつ返す」をモットーに、キャッチボールのような感覚でていねいに対応していきます。
現実から何かに気づいて、それについてもっと知りたいと思ったら、次の行動はもちろん「質問すること」です。基本姿勢が「受け身」である以上、聞き出す、引き出すことのほうが多くなるのは必然だと思っていてください。
あとは、②と③をひたすら繰り返しているうちに、気がついたら冒頭に挙げた会合や、上司との話し合いや、売り上げ回復の取り組みは終わっているはずです。
なぜならば、あなたはそのプロセスのすべてを、
「いまここ」
で過ごすことになるからです。
「いまここ」とは、流れが止まったような時間であり、あっという間に過ぎる時間であり、「ああ、まだ終わらないのか」といった感覚をいっさい抱かずにすむ時間でもあります。
さらに、「いまここ」にいる限り、私たちの「思考」は猛スピードで、その瞬間の対応に必要な情報処理だけを行います。そこには未来の妄想も、「負の意味づけ」も入り込む余地はありません。
「恐れや不安」とは無縁なのはもちろん、それだけでなく、どんなときでも最良の判断と決断を下してくれる、
「意識」
が発揮される時間にいるということです。
ひと言でいえば、
「シナリオなしの完全アドリブ勝負」
これが、「未来の妄想や意味づけをせずに現実に対処する方法」です。
私は先に「映画の観客や監督のスタンス」と書きました。この話を実践してくれたある女性は自分なりにアレンジして、「制限時間なしの生放送番組の司会進行役」として、このステップに挑んだそうです。
「制限時間なし」は「いまここ」への導入にぴったりの想定です。また、「生放送の司会」はシナリオなしの一発勝負をしっかりイメージさせてくれます。状況を俯瞰で眺める役割も組み込まれていて、なんとも傑作だと思いました。
もともと苦手な相手との対話だったのですが、その結果は、
「お互いの価値観や悩みについても話ができて、プロジェクトに対しても前向きな気持ちになれました」
ということで、まさに大成功の事例を残してくれました。
長年のあいだ染みついた習慣を劇的に変えるためには、やはりこのような設定をもっておくのがいいでしょう。ぜひあなたも、自分の個性に合った立ち位置を発明して、このやり方を試してみてください。
Photo by Satoshi Otsuka.
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