今日は私たちの「意志」について考えてみたいと思います。拙著『グッドバイブス ご機嫌な仕事』のエピローグにこんな一節があります。
「グッドバイブスもご機嫌な仕事もその実現に必要なのは、あなたが自由自在に操れるあなたの意志だけ」
私のまわりにいる「大好きな人」も「大嫌いな人」も、最初からそのような人として私の前に現れたのではなく、何かのきっかけで、私が「この人は好きだ!」「この人は嫌いだ!」という意志をもった瞬間に、私によって創造された。
自分と、それを取り巻く世界をこのように捉えることで、私たちは、ずっと自分の外に置き続けてきた「しあわせの条件」を、自らの手に取り戻すことができます。なぜならば、すべては自分の意志で決められることになるからです。
このことを前提にして、私は拙著の中で次のような問いかけをしました。
「あなたは、いつでもしあわせでいたいですか? それとも、場合によっては、あえて不幸でいることを選びたいですか?」
より具体的には、
「恐れや不安を生み出す、未来の妄想や意味づけを手放したいですか?」
「自分や他人の間違いを罪とみなして、攻撃することをやめたいですか?」
の答えを出すということです。
もしあなたが、「いや、とても手放せないので、望ましくない未来のことも考えるし、相手の言動には自分が想像したとおりの嫌な意味をつけたい!」「絶対に許せないので、それ相応の罰を与えたい!」というのであれば、もちろん、しあわせではいられません。
おそらく、「グッドバイブスを読んだから、そんなことは百も承知だ。でも、どうしてもできないし、やりたくないんだよ!」と思う人も少なくないでしょう。私もその気持ちは痛いほどわかります。
なぜ私たちは、頭では十分にわかっているのに、怒りや不機嫌さのメリットを手放して、しあわせでいることを選ぶ「意志」をもてないのでしょうか。
ある人は「自分は意志が弱いから」というかもしれません。もし、それが真実だとしたら、私たちはみな、次の課題をクリアしなければならなくなります。
「意志を鍛えるなり、磨くなりして強くする」
なるほど、ゴールはわかりました。では、何をすれば私たちの「意志」は強くなるのでしょうか。滝に打たれる、断食をするなどの修行でしょうか。禁欲生活でしょうか。それとも、もっと過酷な状況に置かれることでしょうか。
さらに突き詰めるなら、どこまで強くなれば、先の問いに「しあわせであるほうを選ぶ!」という「意志」を発揮できるようになるのか、という境界線も不明です。
もし、明確な強化法も見つからず、合格ラインも曖昧だとしたら、
「意志に強い弱いがあるという発想は、そもそも幻想である」
というしかありません。
そう、意識にはもともと強弱などなく、
「あるかないか、ゼロかイチかの世界」
なのです。
つまり、「どうしてもできないし、やりたくないんだよ!」と思うとき、私たちは何らかの理由で、しあわせを選ぶ「意志」を失っているということです。
そして、その何らかの理由とは、どんなときでも自分にとって最良の判断をする、
「意識を使っていないから」
にほかなりません。
拙著では、これを「思考と一体化している状態」と呼びました。望ましくない未来について考えたい自分、負の意味づけをしたい自分、罪悪感を抱きたい自分、すべてはあなたの「思考」に囚われてしまった自分です。
そもそも、その「考えている自分」が、自分自身に逆らって「これを手放す!」などという決断ができるはずがないのです。
それができるのは、「思考と一体化している自分」「考えている自分」とは別の、
「大きな自分」
だけです。
「大きな自分」を認識するのはとても簡単です。頭の上のほうに「大きな自分」がいるとイメージしてください。この自分には、
「自分の考えていることを客観的に眺めることができる」
という特技があります。
つまり、「考えている自分」とは別の自分ということです。なぜならば、脳はシングルタスクであり、基本的にはひとつの事柄について考えることしかできないからです。
もし、自分の考えを俯瞰で見られるとするなら、それは「思考」とは別の何かでなければつじつまが合いません。
実際に、「大きな自分」をイメージしながら何かを考えてみてください。「あ、いまこのことについて考えている!」と、自分の「思考」を観察できたはずです。そのまま、何度か別の考えを見張りながら、毎回のように成功することを確認してください。
「ああ、これか!」と実感できたら、今度は「思考」ではなく、「大きな自分」だけに集中してください。その瞬間だけ考えが止まり、さらに「大きな自分」を感じられないでしょうか。
これが、私たちのもっとも信頼できる機能、すなわち「意識」です。
そして、未来の妄想や意味づけ、罪悪感を手放すなど、
「しあわせであることを選ぶという意志を発揮できるのも意識」
なのです。
この次に「どうしてもできないし、やりたくないんだよ!」と感じる場面があったら、まず「手放さなきゃ」と考えるのをやめてください。すでに書いたように、妄想を始めてしまっている「思考」にその決断はできません。
そうではなく、「大きな自分」をイメージしながら、妄想している内容を淡々と観察してください。「ああ、自分はいま、こんな過酷な未来を予想しているのね」「ああ、相手の言動にこんなムカつく意味をつけているのね」と、ただ眺めるだけです。
反省もレビューも必要ありません。それもまた「思考」の仕事です。ただ妄想を眺めながら、「大きな自分」に判断を委ねるのです。
「どうしますか? この嫌なこと考えるのやめちゃいます?」
間違いなく「そりゃ、やめるに決まっているでしょ」と返ってきます。なぜならば、「意識」の答えはいつでも完璧で、あなたにとってしあわせな選択しかしないからです。
それでも「思考」は「いやだ、もっと考える!」と抵抗してくるでしょう。そのたびに「大きな自分」に戻って、子どものような可愛い言い分を眺めてください。
これを繰り返していさえすれば、あなたの中に確固たる「意志」が生まれてくるのは時間の問題です。グッドバイブスのメソッドがなかなか実践できないと感じているなら、ぜひ、このやり方を試してみてください!
Photo by Satoshi Otsuka.
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