どんなときに私たちは「難しい」と思うのか

拙著『グッドバイブス ご機嫌な仕事』やこのブログで書いてきたことに共感していただきながらも、「頭では理解できても、実践となるとやはり難しい」という感想をよく耳にします。

とくに、「未来の予測」や「意味づけ」を手放すことに「ハードルが高い」と感じる人は少なくないようです。そこで今日は、あらゆることに関して、私たちに「難しい」と感じさせる要因が何かを探ってみたいと思います。

まずは次のことを考えてみてください。

「どんなときに、私たちはそれをするのが難しいと感じるのか?」

ある人は「自分にはできないと判断したとき」と答えるかもしれません。はたしてそれは本当でしょうか。

たとえば、誰かがあなたに「ぜひ、次期首相の座を狙ってくれないか」と頼んだとします。もちろん、この依頼に「はい、がんばってみます!」と真顔で返せる人は日本に数人しかいません。

このようなケースで、あなたは間違っても「それは難しいですね」と答えないはずです。おそらく、

「いや、それは不可能です!」

とキッパリ断言するでしょう。

となると、先の質問からまた次のような新たな問いが生まれることになります。

「私たちは、不可能と難しいをどう使い分けているのか?」

絶対にできないときには「不可能です!」と答えます。では、「難しい」「ハードルが高い」と言うのはどういう場合なのでしょうか。

ある賢明な人はこう答えるかもしれません。

「実際に何度かトライしてみて、うまくいかなかったとき」

なぜ賢明かというと、もし「対象を眺めてみて、自分にはうまくできないと予想したとき」と答えると、いつものように「それは単なる妄想です。やってみないと本当のことはわかりませんよね」と私にツッコまれてしまうからです(笑)。

「実際に何度かトライしてみて」を付け加えておけば、「難しい」という判断が想像ではなく、現実であると証明できそうな気がします。

ではたとえば、初めて自転車の乗り方を覚えようとする子どもがいたとします。二度、三度、四度とトライしても、転倒を繰り返すばかりです。五度目に挑む前にこの子はこう言いたくなってしまいました。

「やってみたけど、こけてばかりですっごく難しいよ!」

まだ一度も成功した経験のないこの子にとって、自転車に乗ることが「難しい」のは紛れもない事実です。けれども、私たち大人はみな「自転車に乗るのはけっして難しくない」ことを知っています。

つまり、ほとんどの人が、

「たいていのことは、できるようになるまでは難しいと感じるもの」

という、私たちに共通の判断メカニズムについて熟知しているということです。

だとすれば、「何度かトライしてみてうまくいかなかった」ことが、かならずしも「難しい」と感じる理由ではないことになります。

実際に私たちは、できるようになることを心から楽しみにしているような場合、少しばかり失敗を繰り返しても「ハードルが高い」などと思わずに練習を続けることがあります。

すでに書いたように、本当にできないと判断したときには「不可能」と答えます。では、「難しい」と言いたくなるのはどんなときなのでしょうか。

ズバリ、

「心の奥底で、それをすることに恐れや不安を感じているとき」

だと私は考えます。まさに転倒を繰り返している子どもの気持ちそのものです。

結局のところ、私たちが「難しい」「ハードルが高い」と思うことの正体は、

「だからできなくても、途中でやめても、やろうとしなくても、自分に非はない」

と自分を正当化しておくこと、すなわち「それをすることに対する恐れや不安」からの自己防御なのです。

ただ、そうしてしまう全責任があなたにあるわけではありません。なぜならば、そのようなおかしなやり方で自分を守れと裏で糸を引いているのは、あなたの、

「自我」

だからです。

バックナンバー「身体は意識の創造を外の世界に表現する道具」で書いたように、あなたが自分自身を「全身の皮膚を境界線として、身体の内側だけが自分である」と捉えた瞬間に生まれるのが「自我」です。

「自我」は自分をサッカーボールと同じモノと見ています。そのような自分は他人からも、この世界からも切り離された孤独な存在です。他の何者とも混ざり合うことはできないので、「信じられるのは自分だけ。他者はみな敵」と感じながら生きています。

また、モノである自分は、外的な要因によってすぐに傷ついたり損なわれたりするもろくて弱い存在です。しかも、いつかはかならずこの世界から消えてなくなる儚い存在でもあります。

そんな自分を守るために、「自我」はいつでもあなたにこう命令します。

「この世界には危険が溢れている。だから、あらゆる危機を予想しろ! これ以上できないくらい考えろ! そして、あらゆる不測の事態に備えろ!」

ところが、この「危険に備えるために予測しろ、考えろ!」はまだ「自我」の本音ではありません。あらゆることが恐い「自我」が真にあなたに望むのは、

「考えるだけ考えて、恐怖を妄想しまくって、動けなくなること」

です。

「何もしなければ危険な目に遭うことはない」という困った信念のもと、「自我」はあなたにいろいろと命じているということです。

しかも! あなたがいまチャレンジしようとしているのは、こともあろうに「未来の予測」や「意味づけ」を手放すことです。それはもちろん、「自我」のもっとも嫌うことであり、「これだけは絶対にあなたに選んでほしくない!」と願う正反対のやり方です。

当然、「自我」はあなたが失敗することを祈って、「それは難しいぞ!」「めちゃくちゃハードルが高いぞ!」とささやきかけてくるに決まっています。

これこそが、冒頭の問い「どんなときに、私たちはそれをするのが難しいと感じるのか?」の本当の答えなのです。

でも安心してください。「自我」とはつまり私たちの中にいる「極端に恐がりな子ども」です。しかも、自分を守ろうとして自分を動けなくするような、矛盾だらけの解決方法しか思いつけないお茶目なヤツです。

私はいつも、映画『ロード・オブ・ザ・リング』のゴラムのような感じをイメージしています。ウザくてしつこいけど憎めないところもあって、「コラッ!」と叱ればそそくさと岩陰に隠れてしまう、そんな弱小キャラです。

ぜひ、この次に何かをやろうとして「難しいかも」「ハードルが高そう」と感じたときは、この話を思い出してください。その気持ちをあなたの中のゴラムに言わせるのです。

「旦那さん、ゴラム、それとってもムツカシイと思うよ。わるいこと言わないから、やっぱりやめておこうよー」

それを聞いたあなたは、鼻で笑って「またお前かよ。わかったからあっちで魚でも捕ってろ!」と、適当にあしらっておけばいいだけです。

最後に、最近よく耳にする「ムリー」は、たぶん不可能ではなく「難しい」という意味で使っています。だとすれば、「ムリー」もゴラムに言わせたほうがいいセリフということになります(笑)。

Photo by Satoshi Otsuka.


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