バックナンバー「生態系のように機能するチームや組織を創る」では、ひとつの生き物のように動くチームや組織には「淀みないコミュニケーション」が不可欠と書きました。そして、「淀みないコミュニケーション」は「自分の正しさを手放して対話する」ことによって生まれます。
この話を読んだ知人から次のような質問を受けました。
「たとえば何か重要なことを決める会議で、全員が自分の正しさを手放したら、最後まで結論が出せないのでは?」
とても興味深いグッドクエスチョンだと思います。
今日は、この疑問に答える形で「正しさを手放すコミュニケーション」の本質を見ていこうと思います。
そもそも、なぜチームや組織で何かを決める際には、複数人で議論を交わすのでしょうか。あまりにあたりまえのこと過ぎて、私自身、その理由を忘れてしまっているような気もします。
経営者やリーダーがすべてを決定して、他の人はただそれに従うというやり方もそれほどわるくはないように思うのですが、やはり私たちはわざわざ多くの人を集めて智恵を出し合うとします。
「それではメンバーの不満が噴出するから」という意見ももっともですが、リーダーの発案が圧倒的に優れたものであれば、誰も文句を言わないはずです。実際に、そのようなカリスマ経営者がいる会社も少なくありません。
私が思うに、やはり答えは「三人寄れば文殊の知恵」という言葉に象徴されるように、私たちは心の奥底で、
「ひとりで考えるよりも、何人かで発想するほうが、よりよいアイデアが生まれる可能性は高くなる」
ことを知っているからではないでしょうか。
たとえば私たちにとって、過去に失敗したことに再び挑むのは至難の業です。けれども、もしメンバーの中に失敗の経験のない恐れ知らずがいたとしたら、彼や彼女は「いや、自分はできると思う!」と言い切ってくれるでしょう。
また、私たちには74億分の1の違いから生まれる「個性」があります。その中にはオフェンスが大好きな人もいれば、ディフェンスが得意な人もいます。チームや組織が直面している問題に応じてそれらの個性が発揮されれば、最適解が生まれる可能性も高まります。
あるいは、それぞれがもつスキルや経験値、人脈などが、他の人が想像もしなかった解決策につながることもあります。いわゆる、「あ、それなら私の知り合いにめちゃくちゃ詳しい人がいますよ!」のひと言に救われる場面です。
まさに、
「足りないピースをそれぞれが補い合える」
というチームや組織のメリットそのものが、「なぜチームや組織で何かを決める際には、複数人で議論を交わすのか?」の答えでもあるわけです。
ところが、実際の現場でこのような理想形の会議を目にすることはごくまれです。「あるもの」が「三人寄れば文殊の知恵」の発動を妨げているからです。
その「あるもの」とは、このブログにたびたび登場する、
「バラバラ意識」
にほかなりません。
自他の区別がある「バラバラ意識」においては、自分の利害はつねに他の人と対立します。それが極端な場合、
「他の人がいいアイデアを出すと、自分の存在価値が薄れる」
と捉えてしまうことさえあります。
また、「バラバラ意識」とは防御と攻撃が飛び交う熾烈な争いの世界でもあります。とても残念なことにここでは、
「自分と異なる意見を、自分への攻撃とみなす」
というおかしな判断が行われます。
当然、自分のビジネス観やポリシーなどに反するアイデアを出す人がいれば、威信を賭けて戦いを挑まなければなりません。
これによっていつしか、「足りないピースを補う」とは真逆の、「自分以外のピースをいかに潰すか」が会議のゴールとなってしまうのです。
では、このような悲惨な状況に「自分の正しさを手放した対話」を導入するとどうなるでしょうか。
会議に5人のメンバーが出席しているとします。もちろん、あなたも自分の意見を発表しますが、最初から「正しさ」を手放しているので、それを死守しようなど考える必要はまったくありません。
他の4人もそれぞれ個性や役割に応じた提案をします。それは、あなたの発想や想像を超える、自分では思いつくことができなかったアイデアであるはずです。
すでに「正しさ」を手放しているあなたは、自分の意見も含めた5つのアイデアを分け隔てなく、ある種の尊敬の念さえ抱きながら、平等に頭の中にインプットすることでしょう。他のメンバーもまったく同じです。
これで、
「誰の発案といったラベルのない5種類のアイデアが、まるでの自分のものであるかのように5人全員の頭に浮かんでいる状態」
ができあがりました。
まさに「五人寄れば文殊の知恵」の完成です。「ひとつ意識」に照らし合わせて、
「自他の区別のない智恵の融合」
が起きたといってもいいでしょう。
あとは、5つの個性をもつ5人のメンバーが、自分の頭に浮かぶ5種類のアイデアをどう処理するかだけです。それもまた、5個のバリエーションを生むことになるでしょう。
そのたびに、「自他の区別のない智恵の融合」を繰り返していけば、3個、2個、そして最後には結論へと集約されていくはずです。
このプロセスは、よく「それではダメだ」と揶揄される「民主的な決め方」や「多数決で決める」といったものとはまったく異なります。どちらも「バラバラ意識」を無難に収める際の妥協案に過ぎません。
「自分の正しさを手放した対話」による発想は、チームや組織の智恵を「ひとつ」として扱う、極めてクリエイティブで奇跡をもたらすやり方だと私は考えます。
ただし、この方法にはひとつだけ難点があります。場合によっては、通常の対話よりも多くの時間を必要とすることです。「とにかく効率やスピード重視!」という組織にはそぐわないかもしれません。
けれども、「バラバラ意識」の不毛な会議に数時間でも費やすことに比べれば、何十時間、何百時間かけても文殊の知恵を生み出すことのほうが、はるかに生産的だと私は思うのですが、いかがでしょう。
Photo by Satoshi Otsuka.
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