生態系のように機能するチームや組織を創る

拙著『グッドバイブス ご機嫌な仕事』において、「ひとつ意識」は完全無欠のしあわせを得るための大前提であり、私たちが抱えるあらゆる悩みを消し去ってくれる万能な解決策でもあります。

ただ、そうはいっても、多くの人が「頭では理解できても実感するのが難しい」と感じているのではないでしょうか。

そこで今日は、世界全体といったスケールの大きな話ではなく、もっと小規模な「チームや組織がひとつ意識をもつとどう変わるか?」について考えてみようと思います。

身体の境界線を超えて他の人とつながっていると感じるのが「ひとつ意識」です。反対に、目に見える身体を自分と認識して、自他が切り離されていると感じるのが「バラバラ意識」です。

森にたとえるなら「ひとつ意識」では、植物や動物、昆虫、微生物など、森に生息する生き物がそれぞれになくてはならない役割を担いながら、ひとつの生命として生態系を形作っています。

「バラバラ意識」では、それらの生き物がみな自分以外を他者とみなし、利益を共有できる場合にのみ共存しようとしますが、それ以外は基本的に競合しながら個々の生命を個別に営んでいます。

樹木が小動物に「これからは勝手に私の木の実を取らないでくれ!」と言っているようなイメージでしょうか(笑)。

この違いを踏まえたうえで、組織がそれぞれの意識をもつと何が変わるのかを見ていきましょう。まずは俯瞰で捉えたときの見え方です。

「バラバラ意識」の組織=経営者、管理職、スタッフが分離、分断されている。
「ひとつ意識」の組織=経営者、管理職、スタッフがひとつである。

ここで誤解してはならないのは、「ひとつである」は、「統一する」「合体する」「団結する」などの言葉で表現される「もともとバラバラだったものをひとつにまとめる」とは決定的に異なるという点です。

分離していることを前提で無理やり統合したとしても、何かの力が働けば、いつかかならず元のバラバラ状態に戻ってしまいます。そうではなく、

「チームや組織が生態系、あるいは単一の生き物として機能している状態」

と考えてください。

では何によって、チームや組織は「ひとつの生き物」として動き出すのでしょうか。経営者やリーダー、スタッフが身体全体を構成する部分だとすれば、それぞれをつなぐは「神経系統」や「血液循環」です。

チームや組織でその働きを担うのはもちろん、

「いっさいの淀みがないコミュニケーション」

です。

これさえあれば、経営者やリーダーの「この価値を世の中に届けたい!」「このようなカルチャーの中、やり甲斐と手応えを感じながらしあわせに働いてほしい!」という思いや情熱が、1ミリの誤解もなく物作りの領域や、営業の最前線、店舗のスタッフにまで浸透します。

現場で問題が発生すれば、身体の一部が傷ついたのと同じように痛みが全体に伝達され、経営者やリーダーも瞬時にそれを知り、「他部署だからね」などと傍観する人もなく、あらゆるレイヤーのすべてのメンバーが「自分のこと」として対策に動き出します。

「組織に属する全員の利害が完全に一致している状態」

といってもいいでしょう。これが「いっさいの淀みがないコミュニケーション」によって、生態系、「ひとつの生き物」として機能し始めたチームや組織の姿です。

究極の課題は「どうすれば、そのようなコミュニケーションが実現するか?」に尽きます。状況によって個別の修正点は無数にあると思いますが、究極の答えは、

「経営者からスタッフまで、すべての人の恐れや不安を取り除くこと」

です。

拙著やこのブログで書いてきた「意味づけ」を手放すことでそれは実現します。なぜならば、「淀みないコミュニケーション」を阻害している最大の要因は、

「信頼の欠如」

だからです。

そして多くの場合、それは「そうでない可能性があるにも関わらず、そうであると結論づける」ことによって生まれます。すなわち「意味づけ」です。

経営者とスタッフが直接の対話をすることもなく、現象や伝聞をもとに想像や妄想を膨らませていく。思い込みと誤解は「恐れや不安」を生み、やがて負の感情へと変わる。最後には互いを敵視するようになり、信頼も大きく損なわれていく。

これが「バラバラ意識」のチームや組織で起こっている分離や分断の正体です。このような状態で、社員全員の前で経営者が自分の方針を熱く語っても、懇親会や親睦会を繰り返し開催しても、お互いを信頼する気になどなれるはずがありません。

まずは経営者やリーダーが、本来もっていたはずの原初の思いや情熱を再確認することです。そのうえで、効率や期限などをいっさい考えずに、たとえ何百時間かかったとしても、それをメンバー全員に伝えきる努力をすべきではないでしょうか。

そのうえで、経営者もスタッフも双方に、

「完璧な正義や正しさを相手に対して期待するのをやめる」

ことが重要だと思います。言い換えるならそれは、

「自分の正しさを手放して対話する」

ということでもあります。「自分の正しさに逃げない」とも同意語です。

つまり「いっさいの淀みがないコミュニケーション」とは、

「何もかも率直に伝え合いながらも、つねに自分の主張の外にも正解があることを受け入れておく」

という、いたってシンプルなルールに則った対話だと私は考えます。

「自分の正しさ」とは防御です。そして防御とは自分のまわりに攻撃が存在することを前提に施す対策にほかなりません。「自分の正しさを手放して対話する」ことができれば、そのチームや組織から攻撃という概念は消え去ります。

このとき、私たちの中に揺るぎない信頼とともに、

「互いの利害をひとつと見る意識」

が生まれます。まさに、「ひとつ意識」をもつチームや組織が誕生した瞬間です。

おそらく、数千人規模の大企業でこのことを実現するのは困難を極めるでしょう。けれどもたとえば、ある部署がこの「淀みないコミュニケーション」にチャレンジし、なおかつ、他の部署や会社に対して、「彼らは自分たちと別の存在」という分離や縦割りの感覚をもたなければ、全社に「ひとつ意識」が浸透する可能性はけっしてゼロではないと思います。

なぜならば、分断され、利害が対立し、強い不信感を抱きながら働くよりも、その真逆の組織で仕事をするほうが圧倒的にしあわせで、高品質なアウトプットを出せることを、私たちは心の奥底で知り尽くしているからです。

それはけっして夢物語というような話ではなく、組織に人間性や生命力を取り戻そうとする、極めてあたりまえの試みなのではないでしょうか。

Photo by Satoshi Otsuka.