「いまここ」にフォーカスすることで、私たちは「あらゆる悩みから解放される」「本来の能力を最大限に発揮できる」など、さまざまな恩恵を得られるようになります。
バックナンバー「終わりの意識を手放せばいまここにいられる」ではその方法として、次の2つを紹介しました。
① 終わりを意識するのをやめる。
② ゆっくりやる。
また、拙著『グッドバイブス ご機嫌な仕事』にも、過去や未来について思い悩まないように、「大きな自分」で思考を見張る方法を書きました。
今日は、これらを実践する際の大きな手助けになる、「時間に対する発想の転換」について書いてみようと思います。といってもけっして難しい話ではありません。
ただ、
「時間を帯状に捉えるのをやめる」
だけです。
たとえば、私たちはよく「楽しい時間にしたい!」「しあわせな人生を過ごしたい!」といった期待をします。このとき私たちが頭の中で思い描いているのは、何かが始まってから終わるまでの「帯状の時間」です。
ところが、私たちはリアルタイムにそのような「帯状の時間」を実感することはできません。もし、何かが終わって「ああ、とても楽しい時間だった」と思えたとしても、それは記憶の中にある過去の出来事を頭で再生しているだけであって、いまその楽しい時間を体験しているわけではないのです。
実は最初の「楽しい時間にしたい」も未来への期待です。こちらも記憶と同じように、頭の中だけにある空想、想像の世界です。
まずはこのメカニズムを認識しておくことが重要です。最大のポイントは、
「帯状の時間は、私たちの頭の中にしかない」
というところにあります。
では、空想や想像ではなく、私たちが実感できる時間とはどのようなものなのでしょうか。それは帯状の「楽しい時間」ではなく、いつでも、
「楽しい瞬間」
という形で私たちの前に出現します。
つまり、あとから思い出して「最高に楽しい時間だった!」と感じたとしたら、あなたはそのあいだずっと「楽しい瞬間」を連続させることができたということを意味しているのです。
たとえば、私たちのお尻がホタルのように発光するとします。それも、その瞬間の気分に反応して、楽しければ青に、つまらなければ赤に光ります。
そんなあなたがあるパーティーに参加しました。最初から最後まであなたのお尻だけを特殊なカメラで連写し続けると、リアルタイムに移り変わるあなたの気分を撮影することができます。
パーティーが終了したあと、すべての写真を横に並べてみて青の枚数が多ければ「楽しい時間だった」ことがわかります。この振り返りが時間を帯状に捉えるやり方です。ただし、このとき「楽しい時間」はすでに終わっています。
では、私たちが「楽しい!」をリアルに体験できるのはいつでしょう。そう、お尻が青に光ったまさにそのとき、すなわち「楽しいと感じた瞬間」だけなのです。
おもしろいことに、「楽しい瞬間」はちょっとした油断をきっかけに、またたく間に「つまらない瞬間」へと変わってしまいます。本来、楽しいことしか起こらないはずの恋人とのデートでさえ、たったひとつの言葉によって罵詈雑言が飛び交う修羅場と化してしまうこともめずらしくありません。
時間を帯状ではなく「瞬間」で捉えることによって、このようなどんでん返しを未然に防ぐことができるようになります。もし、あなたが「楽しい時間を過ごしたい!」と思うなら、やるべきことはたったひとつしかありません。
「何があってもあきらめずに、いまここを楽しくし続けること」
です。
どんなときでも、あなたには2つの選択肢が用意されていると思ってください。外的な要因に反応して「いまここ」を「つまらない瞬間」にしてしまうのか、それとも、「楽しい瞬間」にすることをあきらめずにいるのかです。
そしてこのことは、私たちの人生のあらゆる事柄に応用できます。「しあわせになりたい!」と思うなら、帯状の「しあわせな状態」を願うのではなく、毎秒、毎分、「しあわせな瞬間」を創造することです。
反対に、あまり望ましくない「大変な時期」にいるような気がするときも、妄想の「帯状の時間」ではなくリアルな「瞬間」を感じてください。「いまここ」で起こっていることをつぶさに観察すれば、けっして「大変な瞬間」ばかりが連続してはいないことに気づくはずです。
ややジャンルは異なりますが、「安定した仕事に就きたい」も実は帯状の捉え方です。すでに書いたように、入社してから定年退職するまでの「帯状の時間」をまとめて、「ああ、安定しているなぁ」などと実感することはできません。
毎日、決まった時間に出社し、終業時刻まで働く。その一瞬一瞬が自分にどのような感覚をもたらすかで、しあわせかどうかは決まります。「安定」や「高収入」は、頭で思い出したときに現れる概念であって、日々「感じられるもの」ではないことを忘れないでください。
こうしてみると、「瞬間」を連ねなければ成り立たない「楽しい時間」も「しあわせな人生」も、やや大変なように感じるかもしれません。だから私たちは、それらを一度の苦労でまとめてゲットできないかとの思いから「帯状の時間」を発明したのかもしれません。
ぜひ、あなたの身のまわりにある仕事や結婚生活、友人関係などを見直してみてください。最初に何かをしておけば、その後は楽しさやしあわせが永遠に続くなどというものはひとつもないはずです。つまりは「油断禁物」なのです。
しかも、私たちが頭で想像するほど、「瞬間」を連ねることは難しくも苦行でもありません。現実はその真逆で、何十年も先までまとめて楽しさやしあわせを確定させようとする無謀な試みよりは、「いまここ」をどうにかすることのほうがはるかに楽で簡単だと私は思います。
Photo by Satoshi Otsuka.
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