あなたが間違っていればイヤな思いは消える

今日は私たちの「正しさ」について考えてみましょう。

私たちは、出来事や他人の言動について、自分が感じたことを「正しい」と信じています。

たとえば、自分に辛辣な言葉を投げかける人がいれば、「この人は思いやりのない人だ」「この人とはあまり深くつき合わないほうがいい」などと感じます。

やっかいな問題に遭遇したときは、「ああ面倒くさい。できれば逃げ出したい」「どうして自分はいつもこんな目にばかり遭うのだろう」と感じるでしょう。

この自分が心に抱いた思いは、自分にとって完全に「正しい感覚」「正しい捉え方」であるはずです。とくに、多くの知識や経験をもっていると自負する人なら、自分の感じたことに正しさを疑う余地など1ミリもないと思います。

ではここで、まったく別の視点から私たちの「正しさ」を見ていくことにします。まずは、次のことを確認してみてください。

先の「辛辣な言葉を投げかける人」や「やっかいな問題」に対してあなたが感じたことは、あなたの心にザワつきや動揺、怒りなどの「イヤな思い」を生まなかったでしょうか。

おそらく答えは「YES」だと思います。出来事や他人の言動を「好ましくない」と感じれば、当然、心にも「イヤな思い」が芽生え始めます。

そして、「イヤな思い」とは文字どおり、本当はそれをもつことを望んでいない「望ましくない思い」です。

ここが最大のポイントです。新たな視点をもって次のことを自分に問いかけてみてください。

「自分が望んでいないイヤな思いを生む感じ方が、本当に正しいのだろうか?」

ここであなたは2つの選択肢を手にしています。ひとつはこれまでどおり「いや、誰が何と言おうと、自分の感じ方は絶対に正しい!」と主張することです。

こちらを選んだ場合、あなたの「正しさ」は依然として保証されたままです。けれども、あなたが抱いた「イヤな思い」は、そのまま心に残り続けることが確定します。なぜならば、あなたが正しいと信じる感じ方が変わることはないからです。

2つめの選択肢は、「自分が望んでいないイヤな思いを抱かせるなら、そもそもこの感じ方が間違っているのかもしれない」と、自分の「正しさ」を疑ってみることです。

こちらを選ぶと、これまでさまざまな場面であなたの支えになっていた「正しさ」を失うことになるかもしれません。けれども、その代わりに「イヤな思い」を手放せる可能性が生まれます。

そしてここが、出来事や他人の言動から「望ましくない思い」を抱いたときの唯一の出口になるです。

「もし自分の感じ方が絶対に正しければ、このイヤな思いが消えることはない。間違っていた場合にのみ、それを手放すことができる」

なんとしても「イヤな思い」を消し去りたいと願う人にとっては、「正しくなくてラッキー!」ということでもあります。

Photo by Satoshi Otsuka.