この行動、この体験自体が仕事の最大の報酬

ふだん、あまり気にすることがないこんな質問に答えてみてください。

「自分がした仕事の報酬を、あなたはいつ受け取りますか?」

最初に思いつく報酬はやはり「お金」だと思います。給料やギャランティーを受け取るのは多くの場合、「仕事をしたあと」でしょう。

お金以外にも報酬はあります。たとえば、あなたの仕事を受け取った人が「これは素晴らしい! とても助かるよ!」と「感謝の言葉」をくれたとしたら、それだけで気分がよくなったり、次の仕事に向かうエネルギーを得られたりします。

このような報酬もまた、「仕事をしたあと」に受け取るものです。ということは、仕事の報酬は、基本的にどれも後払いになるのがあたりまえなのでしょうか。

もしそうだとすると、仕事をこんな風に捉えても仕方ないように思います。

「お楽しみは仕事をしたあとの報酬にある。仕事はそれを得るために、ひたすら何かを堪え忍ぶ時間なんだよ」

ある意味、受け入れざるをえないことなのかもしれません。けれども、そのような発想を思い切り転換して、次のように考えられたとしたらどうでしょう。

「いま自分は仕事の中で何かを行っている。この行動、この体験自体が仕事の最大の報酬である!」

わかりにくいようなら、仕事を「遊び」に変えて読んでみてください。こんな感じになります。

「いま自分は遊びの中で何かを行っている。この行動、この体験自体が遊びの最大の報酬である!」

ごくごくあたりまえのことを言っているだけの文章になります。ゲーム、カラオケ、釣り、ドライブなど、遊びと思ってやることの報酬が、「遊んだあと」に得られるなどと考えている人はいません。

それぞれの遊びの中で行う行為そのものが、遊びにとっての唯一の報酬です。

「仕事のあと」に得る、お金という報酬の魅力はあまりに強烈です。そのまぶしさによって、私たちはいつしか、「何かを行うこと自体に喜びを見い出せる」という自分の特性を見失ってしまったのかもしれません。

遊びと仕事の違いを議論することにはあまり意味はありません。より本気で何かを行える仕事のほうが、行動や体験自体から得られる喜びは、遊びよりも大きい可能性さえあるのです。

「仕事の報酬は行動を行うたびにリアルタイムで受け取れる」

このことを実現できたときに、私たちは「しあわせな役割」や「ご機嫌な仕事」を手に入れたと言えると私は考えます。

Photo by Satoshi Otsuka.