予測や読みは自転車の補助輪のように外せる

私は幼少のころ、かなり長いあいだ自転車に補助輪を付けて乗っていました。

親からはいつも、「練習すればすぐに補助輪なしで乗れるようになるから、思い切って取ってしまったら?」と言われていましたが、自分にそんなことができるはずはないと思い込んでいたために、結局、幼稚園から小学2年までの約3年にわたって4輪の自転車に乗る羽目になりました。

私たちは出来事や人など、何かに向き合うときには「それなりの準備が必要だ」と思っています。

出来事ならば、「それが今後どのように展開していくのか?」「リスクは何か?」「うまくいかなかった場合の代替案は?」などを予測して、対策を立てておくのが準備です。

人の場合なら、「この人はどんな性格の人か?」「過去のいきさつはどうだったか?」「自分の提案にどう反応するか?」などを読んで、相手にひるまない心構えをもっておくなどの準備をします。

ただ、残念なことに、このような予測や読みはけっして完璧ではありません。「当たることもあれば大きく外すこともある」といったギャンブルの勝率に近い精度しかないと私は考えます。

そればかりか、出来事のリスクや相手の反応に対してネガティブな予想を行った場合、間違いなく私たちの心は恐れや不安でいっぱいになってしまうのです。

これが「意味づけ」であり、過去や未来について妄想することで「いまここ」にいられなくなる状態です。

そこで、そのような準備をいっさい手放した状態で、出来事や相手に向き合う自分の様子をイメージしてみてください。実は、ふだんのあなたのしていることと何も変わらないはずです。

なぜならば、先に書いたように私たちの予測や読みのほとんどは外れることになるからです。つまり私たちは、実際の現場では、目の前に現れた予想外の出来事に「いまここ」でアドリブ的に対処していることのほうが多いのです。

さまざまな準備、すなわち予測や読みを自転車の「補助輪」と捉えてみてください。一見、それによって転倒が防げるというメリットを得ているように思いますが、実はこぐ足には膨大な負担がかかっています。

予測や読みから生まれる恐れや不安もまた、いまの私たちに重くのしかかっている負担です。

幼少のころの私のように「いや、準備なしで対応できるはずがない」と思い込んでいるかもしれません。けれども、無意識かもしれませんが、あなたは日々、準備という補助輪なしにスイスイと前に進んでいるのです。

ぜひ、恐れや不安を生み出す予測と読みを捨てて、「いまここ」であらゆる物事にほぼ完璧に対処できる自分がいることを信じてみてください。

たとえ難しいと感じたとしても、自転車に乗るスキルを得る程度の練習しか必要としません。

Photo by Keizo Kurazono.