意味づけを手放せばありのままが見えてくる

私たちは、自分が遭遇する出来事や他人の言動に自分なりの意味をつけます。

「これは自分に災いをもたらすひどい出来事だ!」
「この人はきっと私のことが嫌いに違いない!」

そして、このような「意味づけ」から不安や悩みや怒りや憤りなどが生まれますが、多くの場合、その中身は自分で思うほど正しくはありません。

なぜならば、すべての「意味づけ」は「自分の経験に基づく予想」に過ぎないからです。

実際に、「本当に災いをもたらすだけの出来事なのか?」「その人が冷たい態度を取るのは、本当に私が嫌いだからなのか?」と少し疑ってみるだけで、自分が予想したこととは異なる「事実」がいくつも浮かび上がってきます。

仕事に「グッドバイブス」を宿らせられるように、いつでも「いい感じ」でいるためには、自分が日々、行っている「意味づけ」に気づく習慣をつけ、それを手放すスキルを身につける必要があります。

ただし、それは「自分の意味づけを前向きなものに変える」ということではありません。

そもそも、一度でも「災いをもたらすかもしれない」「嫌われているかもしれない」とみなしたものを、「いや、実は幸運をもたらす出来事に違いない!」「いや、この人は自分を嫌っていない!」など、自分に都合のいい意味に変えることなど、私たちにできる芸当ではありません。

つまり、「意味づけを手放す」とは、いわゆるポジティブシンキングや楽観主義とは違うということです。

その目的は、「意味づけをすることで隠れてしまった、出来事や相手の本来の姿を見ること」にあります。「意味づけ」というサングラスを外して、ありのままを見るといってもいいでしょう。

その意味で、「変える」のではなく「手放す」のです。

出来事や他人に負の意味をつけたとき、私たちはそれに反応して即座に負の感情を抱き、相手を攻撃するなどの行動を起こします。

「意味づけ」を手放せば、そのような反応をする前に「一瞬の間」が空くことになります。なぜならば、それまで自分がつけていた意味が消えるため、「これは何?」と、まずは対象を凝視せざるをえなくなるからです。

この瞬間、私たちは「いまここ」にいます。同時に、「これは何?」と本来の姿を見ようとする行為は、対象が好きかどうかに関わらず「興味」をもつことでもあります。

すでに書いたように、「意味づけのある世界」は、「これから自分の身に降りかかるであろう未来の予測」がすべてを決めます。それはいたって不確かであるにも関わらず、あなたの言動をある方向に限定してしまう世界です。

「望ましくない出来事だから不安だ!」
「この人とは二度と口をききたくない!」

一方の「意味づけのない世界」では、「いまここ」で「興味」をもって対象を眺めることから始まります。それはすなわち、あなたに無限の可能性と選択肢をもたらしてくれる世界でもあるのです。

「この出来事は私にとってどんな意味があるんだろう?」
「この人はいったい、私に何を求めているんだろう?」

あなたは、この2つの世界のどちらを自分の現実とするのか? その選択こそが、「意味づけを手放す」ことの本質です。

Photo by Satoshi Otsuka.