昨日の記事で「共感」には「ひとつ意識」を実感するための大きなヒントがあると書きました。
「バラバラ意識」によれば、他人とは自分から完全に切り離された存在です。そんな人たちが創った物語や、そんな人たちが行うスポーツの競技に私たちが「共感」できるのは、身体を超えた「つながり」があるからだと私は確信しています。
前話では、私たちが何かに「共感する」側に立ってこのことを考えました。今日は、その逆の「共感される」立場から同じテーマを眺めてみようと思います。考察したいのは次のことについてです。
「どうすれば、私たちは共感を得られる何かを創造できるか?」
拙著『グッドバイブス ご機嫌な仕事』で書いたように、私は仕事を「創造」と捉えています。そして、私たちが行う創造には2つの種類があります。
ひとつは、創り手と創り出されたものが別の存在となる「分離する創造」です。言葉にすると難しいことを言っているように見えますが、なんのことはない、こちらは私たちがふだんやっている普通の創り方です。
たとえば、あなたが学校の美術の授業で、粘土細工の作成という課題を出されたとします。残念ながら、あなたはそんなものに興味はなく、合格点を下回らない程度に適当に作品を創りました。
夏休みを迎えて、多くの荷物を家に持ち帰らなければならなくなったとき、あなたはやっつけで創ったその粘土細工をどうするでしょうか。おそらく、下校途中か自宅のゴミ箱に捨ててしまうでしょう。
このとき、創り手であるあなたと、創り出された粘土細工は完全に別の存在であるはずです。この感覚をもって行うのが「分離する創造」です。
ではもし、あなたのもっとも愛する趣味が粘土細工だったとしたらどうでしょう。幸運にも、それが今回の課題とジャストフィットしたということです。あなたは自分の思いを込めながら、楽しく、そして真剣にその制作に没頭するでしょう。
できあがった作品に対する愛着もハンパではないはずです。いつまで眺めていてもけっして飽きることはなく、こだわって削り出した曲線を見るたびにニヤニヤしてしまいます。
このときあなたは、自分の作品を見ながらこんな感覚を抱くはずです。
「ああ、コイツはまさに私の分身だ。まるで我が子のように愛おしい!」
この創り手と創り出されたものが「ひとつ」であるかのように感じる創り方が、もうひとつの「広がる創造」です。
自分の思いが創造物の中に広がっていく。あるいは、自分自身を拡張することによって創造物が生み出される。そんな意味を込めて私はこれを「広がる創造」と呼んでいます。
2つの創造の違いがわかれば、先の問い「どうすれば、共感を得られる何かを創造できるか?」の答えもおのずと判明します。そう、
「広がる創造によって何かを生み出せば、他者はそれに共感する」
のです。
「ひとつ意識」では、自分と他の人たちは「ひとつ」の存在としてつながっています。そのような世界で、あなたが「分離する創造」によって「自分とは別の存在」と感じるものを創れば、それは他の人たちからも切り離されることになります。
けれども「広がる創造」によって、あなたと「ひとつ」である何かを生み出したとすれば、それは当然、他の人たちとも「ひとつ」ということになります。
この単純な公式こそが「共感」のメカニズムなのです。
拙著では「創造」に加えて、仕事を「自分以外の誰かの役に立つこと」と定義しました。そして「役に立つ」とはすなわち、「共感してもらう」ことでもあります。
「なぜ、あなたのした仕事に対して、受け手がお金を払いたくなるのか?」を考えてみてください。機能や品質、デザイン、手触り、体験、新しさ、価格など、何らかの「共感」が起こったからではないでしょうか。
ここに、
「いい仕事=広がる創造=共感」
という図式ができあがります。
では、どうすれば「広がる創造」ができるのでしょうか。先の粘土細工の話のように、「思いを込める」や「情熱を絶やさず」を意識するのもわるくありませんが、もっと再現性の高い方法があります。
「いまここで何かを創ること」
です。けっして難しいことではありません。より具体的には、
「終わりを意識せず、ゆっくりとていねいに、最大のエネルギーを注ぎ込む」
だけでそれは自動的に実現します。
さらに、「いまここ」とは妄想や幻想が起こりえない時間でもあります。この中にいることによって、私たちは「恐れや不安」のない「平安な心」を得られるようになります。それはまさに、
「グッドバイブスを携えている状態」
でもあるのです。
ここが昨日から書いてきた「共感」の話の終着点です。まとめるとこうなります。
「いい仕事=広がる創造=いまここ=グッドバイブス=共感=ひとつ意識」
最後に、「広がる創造」によってもたらされるもうひとつのメリットを書いておきましょう。それは、
「受け手を信頼して創れるようになる」
ことです。
「バラバラ意識」と「分離する創造」においての仕事は、そのほとんどが「疑心暗鬼」の中で行われることになります。自分と創造物が別の存在であるうえに、それを受け取る人とも切り離されているのであれば、あらゆる事柄を疑いたくなるのは必然です。
結果として、私たちは明らかに「蛇足」なものを数多く付け加えてしまったり、実際には存在しない空想の「ターゲット」なるものを想定して、現実のニーズとはかけ離れたおかしなものをひねり出したりすることになります。
反対に、自分と創造物、そして受け取る人までを「ひとつ」と捉える「ひとつ意識」と「広がる創造」によって行う仕事には、あらゆる不信感は存在しません。
なぜならば、あなたが「いまここ」で行うことには、かならず「共感」という「つながり」が伴うからです。
ここでは、「どうせわかってもらえないだろう」「たぶん伝わらないだろう」と疑ったり不安に思ったりする代わりに、
「受け手に委ねる」
ことが可能になるのです。
この「受け手への信頼」を回復することがいい仕事をするために不可欠であり、それを実体験の中で思い出させてくれるのが「広がる創造」だと私は考えます。
Leave a Reply